第39話 今後の方針

「サティの紹介なら安心だよ」

「お世話になります」


 風呂と朝食付きで一泊銅貨10枚(約1000円)、銀貨1枚(約1万円)払えば一泊お得に11泊できるとも言われたが、今日のところはとりあえず一泊分の宿代を支払う。


 この宿はアカとヒイロがあげたセキュリティ、風呂、食事という条件をしっかり満たしていた。そのわりに価格も標準的な水準なので当たり宿だと思う。


 二階建ての宿であるが二階の客室部分は女性客しか泊まらせない事にしているらしく、受付から見える階段を男が登らないに店主夫婦が目を光らせているのでかなり安心できる構造だ。


 井戸のある中庭が二つあり、身体を洗う場として利用して良いとのこと。二つの中庭が男性用と女性用に別れているので安心して体を洗うことが出来る。


 一階の食堂は夜は酒場として使われているが、朝は簡単な朝食をサービスしてくれるとの事だ。「味はあまり期待しない方がいいですよ」とはこの宿を紹介してくれた受付嬢サティの談であるが、出して貰えるなら有り難く頂いた方が良いだろう。


 さて、なんとか宿を確保できた。通された部屋は狭いしベッドもひとつしかないが、アカとヒイロは既に同じ布団で寝る事に対して抵抗は全く無い。さっさと身体を洗おうと井戸に向かうと、入り口でサティに会った。


「あ、サティさん。お疲れ様です」

「お二人もお風呂ですか」

「井戸で身体が洗えるって聞きましたが、お風呂もあるんですか?」

「桶に水を張るだけですけどね。こういうのを使うと水を温めることが出来るんですよ」


 そう言ってサティは小ぶりな水筒のような魔道具を見せてくれる。魔石を入れて捻ると発熱する仕組みで、これを水を張った桶に入れてしばらく待つとお湯になるということであった。


「これって宿で貸し出しとかしてくれているんですか?」

「残念ながらこれは私の私物です。雑貨屋さんで銀貨1枚で買ったんですけど、お湯に浸かると疲れが取れるのでオススメです」


 サティは井戸の横で実演してくれる。桶に水を張って、そこに魔石を入れた魔道具を沈める。このまま暫く待つ必要があるそうだ。水桶は小型のバスタブくらいの大きさがあるのでなるほど確かにこれならお風呂に浸かる事はできそうだ。


「時間がかかっちゃうのが欠点ですけどね。業務用の高出力のタイプだとすぐに沸くんですけど重いし何よりお値段がすごく高くなります」


 お湯が沸くのを待つ間に身体を洗って、少し話をして、大体15分ほどでアカとヒイロは部屋に戻ることにしたがその時点でまだ桶の水は浸かるには冷たいかな、ぐらいの温度であった。この調子だと30分以上はかかるだろう。


 部屋に戻ってベッドに腰掛ける。お風呂かぁ……この街を拠点に暫く滞在する事になるなら考えたほうがいいよなあ。この世界で夏を迎えるのは初めてだけど、かなり暑くなるらしいから汗も気になるし。でも魔道具か……。

 アカは先程サティに見せてもらった魔道具について考える。銀貨1枚なら買えない額では無いけれど、旅をするのに持ち歩くことを考えると贅沢品じゃないかしら。


「アカさんや、私気付いてしまったのじゃが」

「おやおやヒイロさん、一体どうしたのじゃ?」


 芝居がかった口調でアカの肩を叩くヒイロに、思わず乗っかってみせると、自然と笑いが起こる。最近ではこんな風に冗談まじりの会話も交わす二人である。


「魔道具じゃなくて、火属性魔法で水を沸かしちゃえばいいんじゃないかな?」

「それ、チラッと考えたけど桶は木で出来ていたし焦げちゃうと思うわ」

「アカ、お鍋みたいに下から熱する事を考えてるでしょ。そうじゃなくって水の中に火の玉を直接入れたらグラグラっと煮立ってくれるんじゃないかなと思ったんだけど」

「火の玉を直接水の中にか。確かにそれは考えてなかったな」

「でしょ。上手く火力を調節すればいけそうな気もするんだよね」


 後に定番となる水に火の玉を沈めて一瞬でお風呂を沸かすライフハックはこうして生まれたのであった。


◇ ◇ ◇


「明日からはとりあえず船探しかなあ」

「ぼったくり店主おじさんによれば、方法は四つだね。娼婦として乗せてもらうか、労働力として乗せてもらうか、大金を積んで乗せてもらうか」

「それで三つと、あと一つは貴族にコネを作って乗せてもらうって方法ね。Bランク上級の冒険者になれば貴族の依頼を回してもらうって事も出来るらしいけど、これは流石に非現実的かな」


 CランクからBランクに昇級するには通常は十年以上、早くても五年以上はかかるらしい。なるべく早く元の世界に帰る手段を探したいアカとヒイロとしては流石にチンタラ昇級を目指していくのは遠慮したいところである――ただでさえ、旅に出るまでに半年以上掛かっているのだ。


「早さを最優先にするなら娼婦として船に乗るのが一番だと思うけど」

「ダメに決まってるでしょ。この世界では合法かもしれないし、それをやってる人達の事は否定しないけど、私とヒイロが身体を売るのは無し」

「それは、倫理観から? 既にこの世界のルールに則って人も殺してる私達が日本の倫理観に縛られて非効率的なやり方にこだわる意味がある?」  

「ヒイロ、本気で言ってるの? 娼婦の意味がわからないわけじゃ無いでしょ」


 ヒイロのまるで身体を売ることを肯定するような物言いに、アカは咎めるような口調になる。

 

「アカこそ軸がブレてるよ。私達は日本に帰りたい、そのためには一日でも早く南にあるっていう魔道国家に向かう。その手段として身体を売るっていう手段があるのにそれを使わない理由はなんなの?」


 責めるわけでもなく、淡々と意見を述べるヒイロだが、アカはそんな彼女の態度に空恐ろしさを感じる。


「だって……そういう事って、好きな人とするものでしょう?」

「うーん、まあそれが理想ではあるけどさ、理想論を述べたらそれこそ最後まで清廉潔白で居たいわけじゃん? でももう私達はそうじゃないわけで、だからこそこれ以上汚れたらとかそういう事を考えても仕方ないと思うんだよね」


 あ、身体を売るのが汚らしい行為だと言ってるわけじゃなくてあくまで日本の常識で考えた場合の話ね、と付け加えるヒイロ。つまり彼女自身は不特定多数の男性と性行為をする事に抵抗が無い……とまでは言い切れずとも、手っ取り早く船に乗って隣国に行くためにはやむを得ないと割り切れているというわけだ。


「ヒイロってもしかして、その、経験済み?」


 ファッション誌か何かで見た女子高生の初体験済の割合は30%前後だという。前にヒイロは恋人は居ないと言っていたけれど、もしかして初体験は済ませているのかもしれない。


「まさか。私だって初めてくらいは好きな人とって思っては居たし」

「だったら……」

「だけどそんな事を言える状況でも無いじゃんっていう。優先順位の問題で、一日でも早く日本に帰る手段を探すためにはそういった願望とかは捨てざるを得ないかなと思ってるんだよ。……アカが嫌なら、私だけでも娼婦として乗ってアカは同乗させて貰うっていうのはどう?」

「それこそダメ! 絶対ダメ!」


 ヒイロの提案を喰らいつくように否定する。


「えっと……?」

「私のために、ヒイロだけが傷付くなんて絶対、ダメ……。お願いだから、そういう判断はしないで」

「アカ……」

「言ったでしょ、二人で力を合わせて日本に帰ろうって。だからヒイロが一人で背追い込もうとするのは、私、一番つらい」

「でも、そうすると船に乗る方法がかなり難しくなりそうだし」

「それはもう、仕方ないじゃない。ヒイロがどこの誰かもわからない人に抱かれるなんて、!」


 アカはグイッとヒイロを引き寄せて、至近距離でその目を見つめる。ヒイロは居心地が悪そうに目を逸らす。


「え、えっと……アカがそこまで言うなら、うん、私だって積極的に身体を売りたいわけじゃ無いから、ね」

「ホントにホント? 勝手な事しない?」

「し、しないよ」

「私に隠れてそういう事してお金作ったら、絶交だからね!?」

「わ、わかった……」


 コクコクと頷くヒイロを見て、アカはやっと手を離してヒイロの隣に座り直す。


「じゃあ、船に乗る方法は残りの二つ、肉体労働要員として乗るか、お金で解決するか。これ以外は認めないからね」

「う、うん。わかった」

「……どうするかは明日冒険者ギルドに行って相談してみましょう。もしかすると丁度いい依頼が出てるかもしれないし」

「そ、そだね」

「じゃあ今日はもう寝ましょうか。久しぶりにゆっくり寝られるね」


 アカは窓際に置いてあった魔道具を操作して灯りを消すと、おやすみと言ってベッドに入る。


「ヒイロ、寝ないの?」

「うん? 寝る寝る。おやすみー」

「はい、おやすみなさい」


 ……。


 …………。


 スヤスヤと寝息を立てるアカの横でヒイロはまだドキドキしていた。


 さっきのアカの言葉ってどういう意味だろう。あくまで仲間、友達として自分を咎めたのかな? だけどそのわりにはすごく必死だったと言うか……。


 もしかして、もしかすると、もしかしちゃうのかな?


 チラリとアカの寝顔を窺う。


 月明かりに照らされたその寝顔。天然パーマが丁度よくウェーブを作り、前髪が長いまつ毛にかかっている。小ぶりな鼻と少しぷっくりとした唇は、同性のヒイロから見てもセクシーだと思う。


「いかんいかん、友達に欲情してどうする」


 ヒイロは敢えて口に出して、変な妄想を振り払うと布団を被って目を瞑り無理やり眠りについた。

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