第7話 調査開始
その後、何事もなく朝を迎える。日の出と同時に眠っていた者達も目を覚まし、保存食で簡単な朝食をとると野営の後片付けだ。
「よっ……と」
「ヒイロ、リュックの肩が捻れてるわよ」
「え? あ、ホントだ。アカ、ありがとう」
革の鎧を着直してリュックを背負い、メイスを持てばアカとヒイロは準備完了だ。振り返ると獅子奮迅サイドも準備が終わったようだ。
「お待たせ。じゃあさっそく森に向かおうか」
「ええ。暗くなる前に森を出ないといけないしね」
今は朝五時過ぎ。日が長い時期なので日没まで14時間程度はある見込みだが、森の中で夜を迎えるのは危険だ。森の中には今回調査対象のゴブリンは勿論、他にも獣や蟲、さらにこの世界には人を襲う樹木型モンスターなんてものもいる。これらが跋扈する森の中で夜を明かすなんて考えただけで身震いする。
「隊列はどうする?」
「俺たちはいつも俺、アクア、ソフィ、トールの順で並んでいるけれど……」
「じゃあその前を私達が歩くわ。着いて来て」
さっさと分担を決めるとそのまま森に向かって歩き始める。森の前に着くと、アカはリュックから虫除けの塗り薬を取り出して手に垂らす。強烈な青臭さが鼻をついた。
「はい、ヒイロ」
「うへー。これかぁ」
手に出した虫除けをヒイロにも分けると、そのまま両手に広げて腕に塗っていく。二の腕部分までしっかりと伸ばし、さらに半袖シャツの下に手を差し込んで肩と腋の辺りまで薬を塗り込んだ。
脚は長ズボンの裾を革のブーツにインしており露出している部分は無いので大丈夫と判断、手に残った薬はそのまま首回りに塗り付けて最後に顔全体にうっすらと広げた。
そんな二人の様子を奇怪な様子で伺うリオン達。
「随分しっかりと虫除けを塗るんだな」
「虫って変な病気を持っていてに刺されると感染したりするからね」
「刺されると痒くなったり腫れたりする事はあるけど、病気になったりするのか?」
「……私達はそう言われて育ったから、出来る予防はしてるのよ。あなた達は虫除けしないの?」
「それ、結構高いだろ? なかなか手を出しにくくてな」
「この瓶で銅貨20枚(2000円)ね。まあ安くは無いけど」
「やっぱりな。宿に四回泊まれる額って考えると虫刺されぐらい我慢しようって考えちゃうなあ」
あ、それダメな考え方だ。そう思ったアカだったが口には出さない。
この世界に、マラリアのような蚊に刺されることで起こる伝染病があるかは分からないけれど、分からないからこそ予防はすべきだとアカは考える。
そもそも医者というものが国家資格をパスした専門家ではなく「回復魔法を使える一般人」でありその回復魔法も基本的には受ける本人が持つ治癒力を高めるものでしかないので、出来る限り怪我や病気をしないように細心の注意を払うべきというのがアカとヒイロの共通認識だ。
そのため衛生管理と病原菌感染予防に掛けるお金はケチらないようにしている。服と下着は同じモノを3セット用意してきちんと洗濯して――石鹸も質が悪いわりに高いが仕方ない――着回しているし、宿も風呂付きで一泊銅貨10枚の部屋を長期で借りている。
こういった部分にどうしてもお金がかかるので中々貯金が出来ないのであるが、これはもう必要経費として割り切るしかない。虫除けの銅貨20枚も仕方のない出費であるとは思うけれどこちらの世界の人々、少なくともリオン達はそうではないという事だろう。この辺りの感覚の差異は育ちや常識の違いから来ているので埋めようとして埋まるモノでもない。
ああ、でも身内で回復魔法が使えればそれはそれで安上がりなのかも。
アカとヒイロは炎魔法しか使えないので何かあったら医者にかかる必要がある。医者にかかるとかなり吹っ掛けられると聞いているし、なにより回復魔法でも治せないような大きな怪我や病気をしたら稼げなくなりジリ貧まっしぐらだ。だからこそ予防にコストをかけているのだが、リオン達のパーティのようにメンバーが回復魔法を使えるなら余程の大怪我以外はタダで治してしまえばいいという考え方もある。
……ということは、つまりここで彼らと仲良くなっておけばいざという時に回復魔法で助けてもらえる可能性もあるのか。
ここに来て回復魔法持ちと仲良くなっておくメリットに行き着いたアカは虫除けが入ったビンを掲げて微笑む。
「良かったらお試しでコレ使ってみる? 残り四分の一くらいだから全員分は無いと思うけど」
「え、いいのか?」
「ええ。こういうものって実際に使ってみないと良し悪しの判断もつかないでしょ?」
そう言ってビンをリオンに渡す。
「タダでいいのか?」
「勿論。これであなた達のパフォーマンスが上がってくれれば結果的に私達にとっても利になるわけだしね」
「じゃあ遠慮なく使わせてもらうよ。アカ、ありがとう!」
リオンは振り返ると後ろにいたアクアとソフィに「せっかくだから女子が使ってみなよ」とビンを渡した。
よしよし、狙い通り
アクアとソフィが虫除けの臭いに顔を顰めつつも一通り塗り終わったところでリオンが改めて指揮を執る。
「お待たせ。じゃあ行こうか!」
◇ ◇ ◇
慎重に森の中を進む六人。アカは足元を、ヒイロは逆にやや上の方を重点的に警戒する。
「ヒイロ、そこ大きなワームの穴があるわ」
「おっけ。アカもそこに蜘蛛の巣あるから気を付けて」
お互いが認識しているであろう事であっても声掛けは怠らない。もし見落としていたら大変だし、常に声を掛け合う事で無事を確認する意味合いもあるからだ。
鬱蒼とした森を一時間ほど進んだところでヒイロが足を止める。
「何かあった?」
「逆。ここまで何も無かった。だから、どうしようかって」
「ああ、そういう事か」
「どうしたんだ?」
「私達、結構まっすぐ進んできたけれどゴブリンの姿もいた形跡も見当たらなかったでしょ? これ以上森の奥に進んでも見当たらない可能性が高いと思うわ」
「……確かにゴブリンが集落を作るにしても、これ以上奥地だとは考えづらいか」
「残念だけど一旦来た道を森の外まで戻りましょう」
このまま進んでゴブリンの集落を見つけられないのであれば、一度戻った方が良いだろう。
「待ってくれ、どうせ戻るなら真っ直ぐ戻るより別の方向を進んだ方が良くないか?」
そう言ってリオンは地面に半円を描いた。真っ直ぐ戻ってもゴブリンは居ないが、弧を描くように戻ればルート上に集落やその痕跡を発見することが出来るかもしれない。
「無理。ただでさえ森の中は方向感覚を失いやすいもの。真っ直ぐ戻るのだって途中で樹に付けてきた傷を探しながらになるんだから、迂回して元の場所に戻るなんて出来ないわ」
「そんな慎重にならなくても太陽を見れば方向は分かるし、ここまでは大体東に向かってきたから最初は南西に進んで、しばらく行ったら北西にって行けば元々入ったところに出られると思うんだけどな」
「それ、明らかにこれから迷う人の発言だと思うんだけど……」
「でもあまりに慎重にやってると調査に何日もかかっちゃうだろ?」
「もともとある程度の日数はかかる前提の調査でしょ? だから報酬も高めだったんだろうし」
「そうだとしてもさ、効率化できる部分はしていきたいじゃないか。みんなもそう思うだろ?」
リオンが振り返り全員に訊ねる。
「私もリオンと同じ意見。安全は大事だけどモンスターに遭遇する前からあまりに慎重すぎるのも、ね」
アクアがリオンの意見を後押しする。トールとソフィは難しい顔をしているが、揉めるくらいなら
「……分かった、あなた達の意見を従う。だけど私とヒイロが先頭で歩いたらきっと迷っちゃうから、先導をお願いしていいかしら?」
「ああ、わかった。アカ、ありがとう!」
リオンが笑顔で頷いた。そのままリオンとアクアが前に出て、次にトールとソフィが続く。アカとヒイロは後ろ四人の後ろからついていく形になった。
「……アカ、良かったの? 明らかにこれから迷うフラグだと思うけど」
ヒイロが小声で話しかけてくる。
「ここで大きく揉めても仕方ないでしょ、どっちみち多数決したら二対四で負けるんだから。ここは素直に譲ったって形にしておいた方が次に何かあった時に意見を通しやすいかなって」
「次があればいいけどね」
「まあ彼らがフラグを折ってくれる事を祈りましょう」
意気揚々と進むリオン達に一抹の不安を覚えながら、アカとヒイロはついて行くのであった。
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