第2話 港町の冒険者ギルド
ゴーン……、ゴーン……。
低い鐘の音が街に響く。
「ん……、もう朝?」
「朝どころか九時の鐘だったみたいだよ、ほら」
寝ぼけ眼を擦るヒイロに、アカは声をかけつつ窓を開いて見せる。朝日というには高く上がった太陽が二人に挨拶をした。
「……寝坊しちゃったね」
「まあ昨日も重労働だったし、仕方ないよ」
「だからこそ「明日は早起きして
「む、そんなこと言うならアカが起こしてくれれば良かったじゃない!」
「残念、私も今起きたところなの」
そう言ってイタズラっぽく笑うアカ。ヒイロも釣られて笑った。
「さて、朝食はまだ残ってるかな」
「硬くて酸っぱいパンとクズ野菜のスープね」
「頂けるだけありがたい……と、思わないとね」
アカは肩をすくめた。自分もあんなまずい食事では到底満足は出来ない。しかしこの世界ではあれが普通であるのなら、それに慣れるしか無い。味は悪くても飢えないだけマシなのだから。
手早く準備を済ませたアカとヒイロは宿の部屋を後にして階下の食堂へ向かった。
◇ ◇ ◇
大陸の北に位置するこの王国は自由の国と呼ばれていた。舞台は王都からだいぶ離れた港街。街の中央にある冒険者ギルドには日々多くの人間が訪れる。そのほとんどは日銭を求めて稼げる
「おいコラ! その依頼は俺が受けようと思ったんだぞ!」
「うるせぇ、早い者勝ちだろ」
朝九時に開く掲示板の前には
◇ ◇ ◇
小一時間ほど経って、朝イチの争奪戦とその受付業務が終われば一転、比較的暇な時間が訪れる。夕方には依頼を完遂した者達が報告にやってくるのでまた忙しくなるが、それまでは同僚と会話をする余裕もあるぐらいだ。
そして、真に実力のある冒険者達がやってくるのもこのぐらいの時間だ。彼らは朝イチの貼り出し争奪戦には参加せず、そんな騒動が落ち着いた後に悠々とやってくるのである。そもそもおいしい依頼とは「大した実力が無くてもそれなりに安全にかつ大きな労力をかけずに達成できて、かつ最低限の報酬が約束されている」ものである。実力がある者からすれば飛びつく様な物ではない。
さて、
「おはようございます、サティさん。今日はこの依頼を受けたいのだけど、いいかしら?」
丁寧に挨拶をして依頼票をカウンターに置く二人。冒険者の多くは荒くれ者で、受付嬢に横柄な態度を取るものも少なく無い。そうでなくても無言で依頼票を突きつけて来たり、言葉があっても「おい。これな」とかそんな雑なものだ。仕事だから余程酷い態度でなければ対応はするが、気分は良くない。
そんな中で丁寧な物腰で対応するこの二人には当初から好感が持てた。この辺りではあまり見ない系統の顔立ちだが、どこかの国から旅をして来たのだろうか? 言葉遣いや所作に育ちの良さが滲み出ているので、もしかすると何処かの貴族の出かも知れない。
そんな事を考えながらも受け取った依頼票に目を通す。
「アカさん、ヒイロさん。おはようございます。街の近くの森に出来たと思われるゴブリンの集落の調査ですか……」
依頼を見てサティは眉根を寄せた。
「あれ、私達では受けられませんか?
サティの様子に違和感を覚えたアカが心配そうに訊ねる。おいしい依頼の争奪戦に敗れたどころか、寝坊して参加すら出来なかった二人が見つけた依頼は「これなら自分達でも受けられそう」で、かつそれなりの報酬金額のものであった。
「いいえ、そう言うわけじゃ無いんです。確かにCランクの依頼なので受ける事は出来るんですが、実はこれ「Cランクの場合は五名以上」の条件があるんです」
「そうなんですか?」
「はい。こういう調査って行ってきて「何もありませんでした」って報告は困るのである程度きちんと見て来れる実力と実績のある人にやって貰わないといけなくて。Bランク以上であれば人数制限は無いんですが、Cランクの場合は五名以上っていうギルドとしてのルールがあるんです」
「ああなるほど、そうなんですね。依頼票には人数制限は書いてないのでてっきり私たちでも受けられると思っちゃいました」
「はい……申し訳ないです」
「いえいえ、サティさんは悪く無いですよ」
「そうそう、ギルドのルールを見落としていたのは私達なので」
謝罪するサティに笑顔で返すアカ。
「まぁ、ゴブリンは討伐ならまだしも集落の調査となると女性二人で行くなんてのはかなり危険ですからね」
「ゴブリンってあのゴブリンですよね? 集落にいるタイプは特別強かったりするんですか?」
「いえ、例え集落にいる個体でも単体では所詮ゴブリンです。だけど集落ってなると五十か百か、かなりの数のゴブリンが居ますよね? 多くのゴブリンに囲まれると熟練の冒険者でも不覚を取ることがあります。特に相手の住処に入っていくとなると罠があったり、それ以外でも死角から不意打ちで意識を奪われたりするとかもあるらしいです」
「意識を奪うんですか? 殺すんじゃなくて?」
「えーっと……大きい声じゃ言いにくいんですが、お二人は女性なので、もしもの時は苗床にされてしまう可能性があるかなと……」
「なえどこ?」
「アカ、ちょっと」
ピンと来ていないアカの手を引いてヒイロが耳打ちする。彼女はサティの言葉の意味がわかったので、アカに詳しく説明しているのだろう。アカは顔がみるみる真っ赤になった。
「ちょ、ゴブリンってそんな事するの!?」
「する個体もいるの。普通はゴブリン同士の雄雌で交尾するんだけど、魔力を持った人間の身体に妊娠させてより強い個体を産ませようとするって事例があるんだよ」
ヒイロから詳細を聞いたアカはブルブルと身を震わせた。ヒイロが今言った通り、魔力が豊富な人間の身体は上質な苗床になり得る。ゴブリンに囚われた女性は凌辱され孕まされてしまう事があるのだ。
「人間とゴブリンの間に子供が出来るの……?」
「うーん、生まれてくるのはゴブリンらしいからよっぽど遺伝子情報が強いのか、はたまたジュセイランをオスゴブリンのあれ経由で人のシキュウに入れるのか。そういう医学的な理由は分かんないね。アカだって自分で試したくはないでしょ?」
「嫌に決まってるでしょ! ところでなんでヒイロはそんなに詳しいのよ?」
「ギルドの資料室にあるモンスターレポートに書いてあったよ」
「そっかー、私の勉強不足か……」
何やら聞き慣れない単語を交えつつも、アカはサティが言わんとしていた事を分かってくれたようだ。ヒイロとの会話を切り上げると、改めてサティの方に向き直る。
「えっと、じゃあこの依頼は辞めておこうかなと思います。まあそもそも私達二人だけじゃ受けられないって事ですし」
「はい。あ、依頼票はこちらで掲示板に戻しておくのでそのままでいいですよ。他のお仕事を探されますか?」
サティは先程アカから受け取ったゴブリンの集落の調査依頼票を傍に置くと改めて向き直る。冒険者は基本的にその日暮らしなので、こうして受付がキャンセルされた時はその日の口に糊するため大抵そのまま別の依頼を受けるためだ。
「ヒイロ、今日はどうしようか?」
「今日も街の掃除でいいんじゃない? 宿代にはなるし街は綺麗になるし」
「そうだね。サティさん、この前受けた街のお掃除依頼って今日もありますか?」
「はい、あれは常設なのでいつでも受けられますよ」
こういう時に「じゃあ良い感じの依頼を紹介してくれ」とよく言われるのだが、そういう輩に限って仕事内容や報酬に文句を言うのもよくある事だ。
その点、特にやる事がない時は常設である街の掃除を積極的に受注してくれるアカとヒイロのコンビは色々な意味でありがたい。
重労働だし報酬は安いしで一般的に駆け出しの冒険者がどうしても他に受けられる依頼が無い時にやむを得ず受ける仕事だと思われている常設の街清掃の仕事だが、長い期間受けてくれる冒険者が居なければ街からは「最近掃除をしてくれる冒険者が居なくてねぇ」と催促がくるし、それで働きかけても受けてくれる人が居なければ最悪ギルド職員が休日返上でやらざるを得なくなる。しかしここ数ヶ月はアカ達が定期的に受注してくれているためギルドの職員達は暫く街掃除をせずに済んでいるのだ。そんな事情もありサティのみならずこのギルドの職員達はほとんどがアカとヒイロに少なからず好印象を抱いている。
サティが慣れた手付きで街掃除の受領手続きをしようとしたところに、隣のカウンターから後輩が声をかけて来た。
「先輩、そのゴブリンの集落の調査、キャンセルしちゃいます?」
「キャンセルも何もこちらの2人はそもそも受注してないわよ」
「そう言う意味じゃなくてですね、良かったらこっちの人たちと合同で行ってもらえないかなって……」
「合同?」
隣のカウンターで後輩が相対していた冒険者を見る。そこにいたのはこの街の出身で最近Cランクに昇格した若手冒険者パーティであった。そして彼らの手にはアカとヒイロが受注を取り下げたゴブリンの集落の調査依頼票と同じものが握られていた。
彼らは幼馴染の男女四人で集まったパーティであるので、先程サティがアカ達に伝えたように彼らだけでは人数が足りずに受注が出来ない。しかしアカ達と違って彼らは後輩の説明に納得せずに受付で駄々をこねているようだ。
「人数制限規則に納得して貰えなくて。このままゴネ続けられるとマスターに相談しないといけないんですが、もしもアカさん達が合同で受けても構わないって言ってくれたら受注資格は満たすかなと思ったんですけど」
そう言って上目遣いにこちらに聞いてくる後輩。あまりにいう事をきかない冒険者はギルドマスターに出てきてもらって実力で排除する事になるのだが、そもそも冒険者を納得させるのは受付嬢の仕事だ。後々「あのくらいのトラブルは窓口で対応して貰わないと困る」と叱られてしまうので、引き下がってくれない相手にその
後輩の行動の最大の問題は、それぞれのカウンターにきちんとした仕切りがあるわけではないので、その提案は当人達にもしっかり聞こえていることであった。
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