第一部 双焔の魔女の旅立ち

第1章 2人の少女

第1話 アカとヒイロ

 アカとヒイロは、草原に伏せて百mほど先にいる集団の様子を伺う。草木が陰になり少々見辛いが、決して風上に立たないようにと口を酸っぱくして教えられたため、風下であるここから場所を移そうとは思わなかった。


 彼女達が見ているのは草原を跋扈する人ならざる集団、魔物モンスターと呼ばれる存在だ。身長は平均1m程度だろうか。集団を率いるリーダー格の者でも1.3mほど、人間の子供くらいの大きさだ。その肌の色は暗い緑色をしており顔は醜く歪んでいる。小鬼ゴブリンと呼ばれる、この世界に蔓延る魔物の中では比較的御し易い存在である。とはいえ腐っても魔物に分類されるだけあってその脅威度は十分に高い。


「伏兵はいないわね?」

「うん。あの五体だけでいいと思う」

「じゃあやりましょうか」


 二人はゴブリンの集団に気付かれないように慎重に近付く。20m程度まで近付いたところで一度止まって様子を見るが、ゴブリン達が彼女達に気付いた様子は無い。


 アカが手元に魔力を集中させると、ボウリングの玉ぐらいのサイズの火の玉が浮かび上がる。ゴブリンの方を見ながら慎重に、慎重に狙いを定める。


 行けっ!


 アカが手を前に翳すと、火の玉はリーダー格のゴブリンに向けて発射された。


「グキャッ!?」


 当たる直前にリーダーは火の玉に気が付くも、時既に遅し。火の玉はリーダーの頭に直撃した。十分な魔力を込めた一発はその威力でゴブリンの首から上を吹き飛ばす。群れのリーダー格を無力化したアカとヒイロは、事前の打ち合わせの通り勢いよく飛び出すと残りの四体のうちそれぞれ一体ずつ、その脳天に全力でメイスを振り下ろした。


 グチャ、と鈍い音と手に残る不快な感覚と共にゴブリンの頭は潰れて崩れ落ちる。二人は油断せずに残ったゴブリンに対峙する。首尾よく一対一の形に持ち込む事が出来た。


 ここからは先程の奇襲の様にはいかない。アカは目の前の敵に集中する。ゴブリンも慎重に様子を伺っていたが、やがて痺れを切らせて飛びかかってきた。石の斧の雑な振り下ろしを冷静に避けるとその隙だらけな背中にメイスを叩き込んだ。堪らず地面に突っ伏したゴブリンに対してアカは容赦無く追撃を行う。二度、三度とその背中にメイスを振り下ろす。油断するな、確実に止めを刺さなければ自分が殺される。教えを思い出しながらひたすらメイスを振るう。


「アカ、もう大丈夫だよ」


 ヒイロの声で我に帰ると目の前には胸が完全に潰れたゴブリンの死体があった。


「……ふぅ」

「そこまで念入りに潰さなくても多分最初の一、二発で倒せてたよ?」

「そうかも知れないけど、頭以外を潰した時は倒せたかどうかが分かりづらくって」


 先の一体のように頭を叩き潰せば絶命は確実だけど、胴体の場合は倒したつもりでも生きている場合がある。そんな手負いのモンスターに思わぬ反撃をもらう事もあるからやるときは徹底的に。これもまた師からの教えであり、アカはそれを忠実に守っている。


「ヒイロも勝ったのね。敵のリーダーは?」


 思わずヒイロに問いかけると、彼女はそっと地面を指差す。そこには首から上が黒焦げになり、ピクリともしないゴブリンのリーダーが横たわっていた。


「念のため、潰しておく?」

「そうね」


 アカが同意すると、ヒイロはえいっ!とメイスをその黒焦げの頭に叩きつけた。ボクッと音を立ててその脳天が崩れる。


「魔石も砕いちゃったんじゃない?」

「もしも生きてたら反撃されちゃうし、そもそもアカの炎で炭になってたんじゃないかな」


 悪びれずに言うヒイロに、それもそうかと思い直す。結局五体中四体は頭ごと魔石を潰してしまい、アカが胴体を叩き潰した一体の脳みそからのみ、小指の爪ほどの小さな濁った魔石を取り出す事ができた。


「あとは討伐証明の左耳ね」

「うん」


 既に解体用のナイフで頭を潰したゴブリンの耳を切り落としていたヒイロは、戸惑った様子もなく最後の一体からも左耳を回収する。

 野ウサギを半ベソで解体していた頃とは雲泥の差だとアカは頼もしく思いつつもヒイロの魅力であった、つい守ってあげたくなってしまうか弱さが失われてしまったようで複雑な気持ちになった。


「さて、これで完了。血でベトベトだ」

「死体は燃やす?」

「そうだね。街道から近い、の基準は曖昧だけど念のため処理しておこう」


 モンスターの死骸をその場に放置するとその臭いが他のモンスターを呼び寄せることがある。ダンジョン内や森の奥などであれば気にすることはないが、街や街道に近い場合は一般人への二次被害が出ることがあるので燃やすか埋めるかの処理が義務付けられている。


 とはいえヒイロが言ったようにその「近い」の基準がやや曖昧はため、アカとヒイロは森の外でモンスターを狩った場合は毎回燃やすようにしていた。脛に傷を作らないのがこの世界を生き抜く処世術である。


「死体を一箇所にまとめて……ヒイロ、お願い」

「了解」


 ヒイロが手を翳すと死体から炎が立ち登る。周囲の草原に延焼しないように慎重に魔力を調整すること数十秒、ゴブリン達は真っ黒い炭となった。


「これでよし!」

「じゃあ今日は帰ろうか。森で採った薬草の報酬と合わせればそこそこの稼ぎにはなったんじゃ無い?」

「ゴブリンは五体のうち四つは魔石も砕いちゃったから討伐報酬だけでしょ。一体あたり銅貨3枚。魔石が銅貨5枚だから合わせて17枚だね」

「だいたい1700円分かぁ」

「宿代の足しにはなったね」

「目標金額にはまだまだだけど」

「でも最近は少しずつ貯金も増えてるから」


 そう言って背中のリュックをポンポンと叩くヒイロ。貯金というシステムのないこの世界で財産は基本的にタンス預金である。しかし自分達の家を持たない――ちなみに殆どの冒険者はマイホームなど持っていないが――アカとヒイロは常に全財産を持ち歩いている。宿に置いてきたら盗んでくださいと言っているようなものだからだ。


 まあこのリュックを盗まれたり失くしたりといったリスクはあるのだが……お小遣いを自分の部屋に置いておいても盗られないしある程度貯まれば銀行が預かってくれていた、日本の恵まれた環境にアカは想いを馳せる。


「アカ、また日本のこと考えたでしょ?」

「バレた」

「そんな顔してたよ。「早く日本に帰りたーい」って」

「どんな顔よ」


 大袈裟に祈るポーズをとるヒイロにチョップしつつ、アカは小川に向かって歩き出す。ゴブリンの返り血を流すためだ。


「目標金額は遠いけど一歩一歩進んで入るってことで、魔道国家マールを目指して頑張ろう!」

「そうね。そこに私達を日本に帰す手段があれば良いんだけど」

「ネガティブなこと言わない! 現状他に手掛かりも無いんだから。魔道国家にも日本に帰る手段が無かったらその時クヨクヨしよう!」

「クヨクヨはするんかい」

「そうなったらアカが慰めてね」

「その場合私のことは誰が慰めてくれるの?」

「私しか居なくない?」

「……そうね、期待しないでおくわ」


 とはいえ魔道国家への道のりは長い。隣国への旅費すらまともに稼げない二人では、到着はいつになることやら。


 それに……。


 ふと不安になる。仮に日本に帰れたとして、元の生活に戻れるのだろうか。この世界に来てもう1年以上経過している。家族は自分達を行方不明として扱っているだろうし、異世界に飛ばされましたなんて言っても信じて貰えるとは思えない。


 さらに命の価値がとても軽いこの世界に順応するためアカもヒイロも良く言えば逞しく、悪く言えば残酷になった。最初は泣きながら野ウサギを捌いていたヒイロも今では躊躇なく人型の魔物ゴブリンを撲殺するし、なんならアカもヒイロも、やむを得ない状況であったとはいえこの世界で人間の命を奪っている。無論、自分がサイコパスになったとは思っていないし、日本に帰っても異世界の事が忘れられずにその手を血に染めるなんて事にはならないと断言できる……今はまだ。


 だけどこのまま何年もこの世界にとどまる事になったら、それでも私は日本に帰った時に日本人としての心を取り戻せるのかな……。


「アカー、何ぼーっとしてるの?」


 ヒイロが下からアカの顔を覗き込んでくる。


「うんん、なんでもない」


 アカは首を振って前を向き直す。どうなるか分からない事を悩んでも仕方ない。ヒイロだってクヨクヨするのはその時になってからだと言っているわけだし、今は前に進むしかないのだから。

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