13.覚醒(後編)

「待て、葛城!」

「待たなーい! 新入り! そっちの小さなやつはあんたに任せた!」


 駆けだした美雨は、赤色のロングヘアを激しく揺らしながら「闘装顕現とうそうけんげんっ」と声を上げた。


 まもなく両の掌にあらわれた刀を握りしめ、幻蝕の群れに斬りかかる。


「あの馬鹿……! 懲りずに命令無視とはいい度胸だ!」


 姫崎の怒鳴り声が届くも、美雨は突進を辞めようとしない。


 ドンという鈍い音が響いたのは、激昂する隊長が机に拳を叩きつけたのだろうか。緋色が邪推している横で、少し困ったような表情の真澄が呟いた。


「まあまあ、隊長もある程度は予想していたでしょう? 美雨が独断専行することを」

「うるさいぞ、鷹匠! お前もお前だ、わかってるなら止める努力をしたらどうだ!?」


 はあとため息を漏らした姫崎は、気を取り直したように顔を上げ、ディスプレイに映った雪面の光景へと視線を戻した。


「こうなった以上は仕方ない。葛城が対応している間、一ノ瀬は残りの一体を仕留めろ」

「りょ、了解しました!」

「慌てなくてもいい。ランクCマイナスの幻蝕が相手だ。先ほどの武器さばきなら、問題なく対処できる」


 励ましの声を受けながら緋色は雪面を駆けだした。


「闘装顕現っ!」


 呟くと同時に光の球が現れると、みるみるうちに大太刀へとその姿を変えていく。両手でそれを握りしめた緋色は、足の動きをさらに加速させた。


 真澄の強化プログラムのおかげもあって、走る感覚は平地を駆ける時と変わらない、いや、身体能力が向上している分、通常の数倍の速度で走っていくことができる。


 200メートルの距離をわずか数秒の間で詰め寄った緋色は、大太刀が背中にくるよう腰の横へと腕を回した。


 あとは幻蝕目がけて斬りかかるだけである。数十分前、動かない標的に対して行った動きを、緋色が再現しようと試みた、まさにその時。


「ねえ? こいつらのコア見当たらないんだけど? どこにあるのよ?」


 すでに三体の幻蝕を真っ二つにした美雨が怪訝な声を投げかけると同時に、オペレーターが絶叫した。


「作戦区画の探索率、現在99パーセント。終了まで……待ってください、異常現象の発生を確認っ!」

「なに!?」

「局地的なバグストーム致命的欠陥の嵐……いえ! 新たな幻蝕反応です!」

「幻蝕ランクAと確認! 発生源は一ノ瀬隊員の眼前っ!」

「一ノ瀬、避けろっ!」


 声を上げる姫崎。すでに大太刀を振り抜く態勢を取っていた緋色は、慌てて地面を蹴り上げ飛び上がった。


闘装宣告とうそうせんこくっ! 対象の跳躍能力を向上っ!」


 後を追うように真澄が呟き、緋色の身体が空を舞う。バランスを崩しながら、宙をただよう緋色が真下を見やると、たった数秒前まで自分が立っていた場所を飲み込むように、地中から直径20メートルはあるであろう、巨大な口を持った幻蝕が出現していた。


 違和感の正体は、雪面の下に潜んでいた幻蝕だったのだ。


 いびつな歯をむき出しにした幻蝕の喉元には、緋色が斬りかかろうとしていた小さな幻蝕が鎮座しており、巨大な幻蝕はそれを飲み込むようにバクリと口を閉じる。


「疑似餌っ!?」

「馬鹿な! 隠れていただと!?」


 第一戦略室のオペレーターたちが突然の出来事にざわめく中、隊長である姫崎はきわめて冷静に指示を出した。


「葛城、お前が斬りかかったのは囮だ。本命は一ノ瀬のほうだったらしい。すぐに救援へ向かって……」

「いやあ、それはちょっと難しいかなあ」

「なんだと?」

「どうやらこっちも罠だったみたい」


 美雨が言い終えると、雪面を猛烈な地響きが襲った。次の瞬間、三体の幻蝕がいた場所が跳ね上がり、やがて空中には鞭を思わせる尾のような物体が現れる。


「魚タイプの幻蝕か! おとなしく海で泳いでなさいよ!」


 すでに上空へと難を逃れた美雨は体勢を整え、襲いかかる尾に対し、二本の刀でもって迎撃の構えを見せた。


 一方の緋色と言えば、バランスを崩したまま体勢を整えられずにいる。大太刀で斬りかかろうとした瞬間、空中に舞い上がったのだ。


 危機的な状況を見やりながら、真澄は後悔の念にとらわれていた。対象の幻蝕が地上型ということもあり、強化プログラムもそれに関連したものだけをかけていたのだ。


 あわてて跳躍能力の向上のプログラムを発したが、滞空時間には対応できない。


強化バフが間に合うか……?)


 脳裏をかすめる疑念を振り払い、真澄は緋色へ向けて両手をかざした。


 幻蝕が再び口を開けた。まがまがしい口腔が、緋色が落下するのをいまやおそしと待ち構えている。


 美雨であれば、喉元に鎮座する小さな幻蝕目がけて反撃を試みることが可能であったかもしれない。


 しかし、特機に入隊してわずか二日の新入隊員に、状況の把握や冷静な判断などできるはずもなく、緋色は大太刀を握りしめたまま、なすすべもなく落下していくしかできなかったのだ。


「強制転送プログラムを!」


 姫崎がオペレーターに指示を送る。返ってきたのは絶望的な答えだった。


「駄目です! 間に合いません!」


 次々に飛び交う声を意識におさめながら、緋色は“死”が間もなく訪れることを本能的に察していた。


(なんだよ……。死ぬ間際、走馬灯がよぎるとかよく言うけど、そんなの嘘じゃないか)


 視界に捉える光景がスローモーションとなっていくのがわかる。わずか数メートル先には幻蝕のむき出しとなった歯があって、あれに噛み砕かれた瞬間、現実世界の自分もその命を終えるのだろう。


「大太刀を突き刺せ、新入り!!」

「闘装宣告っ! 対象の身体能力……」


 遠くで美雨と真澄の叫ぶ声が聞こえる。だが、もう遅い。すでに口腔の中へと飛び込んだ緋色はその気配で口が閉じられていくのを感じ取ったのだ。


(……ゴメン、翡翠。おにいちゃん、ここでおしまいみたいだ)


 緋色は目を閉じ、そして妹の姿を思い浮かべた。笑顔の翡翠が、まっすぐにこちらを見やっている。



『頼りにしてるね、おにいちゃん』

『まかせろ。おれは幻蝕退治のプロだからな』



 その刹那、暖かい光景が、緋色の中へ鮮明によみがえった。それはみるみるうちに巨大な希望となって、緋色の全身を満たしていく。


(おれは、まだ……死ねないっ!!)


 大太刀を放り投げ、緋色は拳を握りしめる。体勢を崩しながらそれを振り上げると、鎮座する幻蝕目がけて殴りかかった。


 激突する。ぶち当たった拳は、バグによる浸食を受けることなく、幻蝕にめり込んでいく。


 異変は次の瞬間に起きた。


 緋色の拳と接触した幻蝕の喉元がモザイクがかり、崩壊を始めたのである。モザイクは爆発的に拡大し、やがて幻蝕の体軀全体を覆うと、壊死するように崩れていった。


「なにが起きている……?」


 食い入るようにディスプレイを見やる姫崎に、オペレーターが答える。


「わかりません……。原因は不明ですが、幻蝕、崩壊していきます」

「敵性反応、微弱なものとなりつつあります」

「喉元の最深部に核を確認……。しかし、これは……!?」


 緋色が放った一撃は、核をも打ち砕こうとしている。多角形をしたエメラルドグリーンの核は波打つようなを動きを見せた後、音もなく散っていった。


「て、敵性反応、完全な消滅を確認」

「対象となる幻蝕、撃破しました……」


 戸惑いとざわめきが第一戦略室を満たす。ディスプレイの中央に映し出された新入隊員は、みずからも困惑の面持ちを浮かべ、ただ雪面に立ちすくんでいた。


(……なんだったんだ……いまの。おれが、やったのか……?)


 放った拳を開閉し、緋色は自分の手をじぃっと見つめる。いったい、なにが起きたのだろうか? 状況を把握できないまま時間だけが過ぎていく中、静寂を破るように足音が響き渡った。


 振り返った先には微妙な角度に眉を動かした美雨がいて、二刀流の女剣士は赤色のロングヘアをたなびかせると、ためらいがちに口を開いた。


「……新入り。あんた、いま、なにをしたの?」

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