12.覚醒(前編)
「
データ化された武器を具現化する言葉を、この短時間で何度呟いてきただろう?
苦痛に似た感情が心の中を蝕む中、緋色の掌に光球が出現し、瞬く間に身の丈ほどあろうかという大太刀に姿を変えていく。
(これで何種類目だっけ? 30までは数えていたんだけど……)
繰り返される単純作業は、開始から三時間が経過していた。
そろそろ一休みしたいなと思いつつ、次々と現れる標的目がけて突進していく。右へ斬りかかり、左になぎ払う――。使ったことのない武器の重量感に振り回されそうになりながらも、緋色は大太刀をコントロール下に置くべく、懸命に全身を動かし続けた。
身体機能をそのままデータ化しているため、仮想空間とはいえども呼吸は上がる。ほとばしる汗が空間に消えゆくのを実感しながら、緋色は最後の標的に大太刀を振り下ろした。
『ミッションコンプリート。次のデータ収集に入ります』
額ににじむ汗を腕で拭いつつ、緋色は手持ちの武器を格納しようと試みた。次の武装に切り替えるためだ。
その時である。
警報音が施設内に鳴り響いたと思いきや、緊張感をはらんだ「緊急放送」というアナウンスが繰り返された。
「幻蝕か?」
ディスプレイから視線を外し、姫崎はオペレーターに問いかける。
「はい、救援信号を受信しました。対象の仮想空間はバーチャルソリューションワン社が運営する『バーチャルスポーツフィールド』。アドレスはウインタースポーツエリア第八区画です」
「敵性反応を確認しました、幻蝕ランクCマイナスです。目標は複数存在する模様。すでに四体報告に上がっています」
「わかった。現時刻をもって訓練は中止、特機は第一種戦闘態勢へ移行する。パイロットの帰還プロトコルを開始せよ。それと、一ノ瀬、聞こえるか?」
「はい」
「そちらにも伝わっていると思うが、幻蝕が現れた。訓練を中止して任務に向かうぞ」
「了解です」
応じたものの、緋色は急展開する事態に困惑の色を隠しきれない。
(二日連続で幻蝕討伐か……)
あるいは毎日のように幻蝕が出現するのが日常なのだろうか? そうでないことを願いたいなと胸に抱きつつ、緋色は仮想空間から現実へと帰還したのだった。
一方で、連日、幻蝕が出現した事実は、特機の“問題児”をも驚かせた。オールドファッションドーナツを口いっぱいに頬張っていた美雨は、警報とアナウンスを耳にしながら缶コーヒーを喉に流し込み、誰に言うまでもなく呟いた。
「二日連続、か。やる気でないなあ」
それから大きく伸びをして息を吐き、眠たげな眼差しで虚空を見やる。
「……ランクCマイナス。あの化け物じゃなさそうね」
両手で紙袋を丸め込み、ゴミ箱目がけて放り込んだ美雨は、ゆっくりとした足取りで第一戦略室へと向かうのだった。
***
灰色の空が一面の白い大地を覆っている。
防寒プログラムをかけられているとはいえ、風は冷たい。凍えるとは言わないまでも、寒いと言って差し支えのない体感温度に、緋色は身じろぎした。
「特機本部で寒さに慣れているつもりだったけど、大自然の冷え込みはさすがに堪えるな」
白い息を吐きながら真澄が呟く。仮想空間の中に作り出された人工の環境内なので、大自然と表現するのは誤りなのだが、緋色は心から同意した。
「同感です。仮想空間なんだから、多少は過ごしやすくてもいいじゃないかと思いますね」
「本格志向が仮想空間の売りなのよ。きらめく太陽があっても肌寒かったら興ざめするのが人の心理なんですって」
つまらなそうに美雨が口を挟む。実際、人間の感覚ですらデジタル化してデータ変換できるようになった現代においては、設定された環境に見合った気候や温度でない仮想空間は不人気なのだ。
南国であれば暑さを、雪国であれば寒さを欲するのが人間の欲求であり、中にはより過酷な環境を作るよう、企業にわざわざ要望を出すユーザーもいるほどである。
そういったわけで、スキーやスノーボードといったウィンタースポーツを体験したいユーザーにしてみたら、雪山と寒さは必須条件であるのだった。
もっとも娯楽を目的としない任務には、そのような条件などはかえって邪魔になるのだが。
忌々しい気持ちを押し殺そうともせず、美雨は軽く舌打ちする。
「寒いし、さっさと片付けて帰りましょう。管理者と連絡は取れているんでしょ?」
「焦るな、葛城。その区画一帯の探索確認がまだ終わっていない」
直接、脳に届く声は姫崎のものである。特機の隊長でもある彼女は、第一戦略室のディスプレイを見つめながら、現状、作戦区画の七三パーセントの探索が完了しているというオペレーターの報告に、攻撃命令を控えているのだった。
「そんなこと言ったって、ランクCマイナスが四体でしょう? 1、2体増えたところであっという間に倒せるわよ」
「油断するな。どこに危険が潜んでいるかわからん。とにかく、探索が完了するまでは待機だ」
「えぇ? せめて90パーセント終わったら、やらせてもらえないかなあ。さっきから幻蝕がうろちょろしてるのが目障りなのよね」
美雨の前方、5、60メートル先に三体の白い物体がうごめいている。氷の結晶を模した外皮に覆われた二足歩行型の幻蝕で、腕はなく、赤く濁る大きな一つ目が特徴的だ。
身長は2メートルほどだろうか。幻蝕にしては小型で、見た目は脅威を感じない。
後方200メートル先にも、同じ外見の幻蝕が控えているのだが、こちらはさらに小型といった感じで、背丈は群れをなす幻蝕の半分といったところである。
待機の指示をもどかしく思ったのは美雨だけではない。緋色自身、できれば早いところ任務を片付けてしまいたい気持ちを覚えながら、望遠機能で幻蝕を眺めやっていたのだ。
緋色の胸の中に、微妙な影が生じたのはまさにその時だった。
(……あれ? なんだ? なにかがおかしいような……?)
微動だにしない小さな幻蝕を視界に入れながら、だがしかし、緋色は脳裏のどこかでなにかが引っかかっていることを自覚したのだ。
それはもといた職場でテスターとして働いていた時の経験であり、いわゆるバグを発見した際に覚える特殊な感覚であった。
テスターがバグを発見するのは、過去の経験や知識に基づくことが多いが、それ以外にも本人にしかわからない違和感であったり、不自然さによって導き出されることがある。
緋色が感じたのはまさに後者であり、同時に、テスター業務の記憶がなぜここでよみがえってくるのか疑問に思った特機の新入隊員は、一旦、その感覚を遮断した。
(まあ、いいか。任務には直接、関係ないだろう)
「作戦区画の探索率、現在九四パーセント。完了予測時間およそ50秒です」
オペレーターの声が脳に届く。準備運動で全身の筋肉をほぐしていた美雨は、もう退屈はこりごりといった表情で、隊長に問いかけた。
「いい加減、もう攻撃してもいいんじゃない? 幻蝕の動きも変わらないしさ」
「まだ待て。残り一分もないだろう? そうしたら思う存分動いてもらうから」
つまらなーいと不平を鳴らす同僚をよそに、少し離れた場所に真澄は佇んだ。
「
ブラウンアッシュの長髪を後ろに束ねた義足の隊員は、身体および精神能力を向上させるための言葉を呟き、次々と強化(バフ)プログラムを口にしていく。
ほどなくして、それに気付いた緋色の視線が真澄の視線と交差すると、真澄は片目をつぶってから、新入隊員のもとへ歩み寄った。
「念のため、強化プログラムの“予約”をしておいたのさ」
いたずらっぽく囁く真澄に、緋色が問いかける。
「予約ですか?」
「このまま美雨が待機しているとは思えないからね。しびれを切らして幻蝕に突撃していく可能性が高いとみた」
「そんなこと……」
獲物を狙う猫のように、じりじりとした眼差しで幻蝕を見やる美雨を視界の端に捉え、緋色は前言を翻した。
「……ありますね、あれは」
「だろう? というわけで、30秒後には強化プログラムが発動するように、前もって予約しておいたのさ」
もちろん、きみの分もかけてあるから心配しなくていいよ、と、真澄は穏やかに微笑んだ。
(相変わらず頼りになる先輩だなあ)
緋色が感心の眼差しを真澄に向けている中、ついにその時は訪れた。
「作戦区画の探索率、現在98パーセント。完了予測時間……」
「しゃあ! いっくぞー!」
残り2パーセントを待たずして、美雨が飛び出したのだ。
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