4.紳士と問題児

 喫煙所の入り口横にある壁面にはディスプレイが備え付けられていて、風光明媚な光景とクラシカルな音楽をBGMに、落ち着いた声のナレーションがタバコの有害性を繰り返し垂れ流している。


「……喫煙はあなたの心身に凶悪な影響を及ぼすに留まらず、緩慢な死を招く危険な行為です。大切なご家族、ご友人のためにも、いまいちど喫煙の危険性を考え、禁煙に取り組むことをおすすめします。なお、禁煙プログラムに対しては全額健康保険が適用され……」


 20年前に可決された”健康禁煙推進法”により、日本中、どこの喫煙所へ行っても、煙草を吸うためにはこの手の動画を目にしなければならない。


 リラックスのための行為が、もはやストレスの原因になっているのではないだろうか? みずからは煙草を吸わないものの、緋色は喫煙者を気の毒に感じてしまうのだ。


 しかも、喫煙所の外壁はガラス張りと法律で決められている。衆人環視の中であれば、視線が気になり、喫煙するという行為から次第に離れていくだろうというのが政府の見解らしい。


 まったくもってバカバカしいと思うのだが、当の喫煙者自身もそう感じ取っているらしく、喫煙所の中の美雨は上着をまとい、壁にもたれかかったまま、ぷかぷかと煙を漂わせている。


 人差し指と中指の根元に煙草をはさみ、再び口元に運びかけた美雨は、ほどなくして緋色の存在に気付いたようで、パクパクと口を動かしながら、反対の手で煙草を指した。


 完全防音で聞こえるはずもないのだが、どうやら「一緒にどう?」と誘っているようである。緋色が身振りを交えつつ「結構です」と断ると、美雨はおもしろくもないといった表情で、聞こえずともはっきりとわかる舌打ちをしてから、


「あっ、そう」


 と、つまらなそうに呟くのだった。


 それから約5分間――もっとも、緋色の体感では30分ぐらい――の時が流れ、ようやく美雨は喫煙所からその姿を現した。


(……おれのこと、いないもんだと思ってたのかな、この人)


 五分の間、緋色が美雨に視線を向ける時間こそあれど、美雨は緋色に一瞥もくれず、ただただ口と灰皿に煙草を往復させる作業に没頭していたのだった。


 自分の存在に若干の疑問を抱きながらも、ようやく引き返せると胸をなで下ろした緋色が近づくと、煙草の匂いを交えて美雨が口を開いた。


「いくらだと思う?」

「……は?」

「これ。ひと箱いくらだと思う?」


 ごそごそと上着のポケットから煙草を取り出した美雨は、緋色にそれを差し出した。もちろん緋色に銘柄や金額などわかるはずもない。


 さあ? と答えを濁すと、美雨は煙草をポケットにしまってから続けるのだった。


「2000円よ、2000円。タバコ一箱でどんだけむしり取るんだって話よ」

「高いですね」

「しかも、そのうちのほとんどが煙草税で国に納められているってわけ。で、喫煙者に対する見返りがこの有様よ。酷いと思わない?」

「確かに」


 そうとしか答えられないなという圧を感じながら、緋色は応じる。やがて美雨はあらためるような眼差しで、緋色をじっと見つめた。


「あれ? そういや、なんか用があるんだっけ?」

「ええと、ミーティングがあるから呼んでくるように、鷹匠さんから言われまして……」

「あっそう。しかし、あんたも律儀ねえ」

「なにがです?」

「わざわざ私が出てくるのを待っていなくても、喫煙所に入って声をかければいいのよ。『さっさと煙草を吸うのを終わらせて、ミーティングに来い』って言えばよかったでしょうに」

「言われてみれば……」


 みずからの発想にはない考えに緋色が感心していると、毒気を抜かれた体で美雨は続けた。


「え? もしかしてバカなの?」

「失礼な。そんなんじゃないですよ。ただ……」

「ただ?」

「邪魔するのは、なんだか悪いなって思って」


 今度は美雨が新鮮な驚きを覚える番だった。大きな瞳をぱちくりと何度か瞬きさせた後、興味深げに緋色の全身を観察すると、誰にいうでもなく口を開いた。


「なるほど。あんたはそういう感じなのね」

「はい?」

「なんでもないわ。名前……、自己紹介がまだだったでしょ? 私は葛城美雨。ま、適当にヨロシク」

「一ノ瀬緋色です。こちらこそ、よろしくお願いします」


 そう言って緋色は手を差し伸べるが、美雨はそれを無視して廊下をスタスタと歩いて行く。


(あれが噂の問題児か……)


 やり場のない手のひらを何度か開閉させたあと、緋色はその手を後頭部にやって髪の毛をかき、その背中を追いかけるのだった。


***


 紺色のスーツとスラックス、それにハーフブーツ。支給された隊員服の着替えたものの、緋色は落ち着かない様子で鏡に映る自分の姿を眺めやりながら、内心で自虐の声を発した。


(うーん。しっくりこない)


 美雨の後ろに付き従いながら戻っていた最中、帰りが遅いことを心配した真澄が迎えに来てくれたのだが、その際、緋色の分の隊員服を持ってきてくれたのだ。


「せっかくだ。着替えてからミーティングに参加するといい」


 人好きのする笑顔をたたえた義足の青年はそう言うと、緋色を更衣室まで案内してくれた。


「わからないことがあればなんでも聞いてくれ」


 着替え終わるまでわざわざ更衣室の外で待っていてくれる真澄に感謝しつつ、この人とならば安心して任務に臨めるだろうと緋色は安堵を覚えた。


 美雨については……、いまのところ不確定要素が多すぎるため、なんとも言えない。姫崎は真澄と美雨がバディ関係にあると言っていたが……。


(かたや問題児で、かたや紳士か)


 性格も思考もことなる人物同士がよき友人や戦友になる。映画やマンガの中ではよく見受けられるパターンだが、あの二人もそうなのだろうか?


「ああ、それと」


 更衣室の外から真澄の声が届き、緋色の意識を現実へと引き戻した。


「きみに謝っておかなければいけないことがあってね……お、よく似合っているじゃないか」


 更衣室から出た緋色の隊員服姿を見て、真澄は微笑みかける。お世辞ではなく、本心からそう言っているのだろうと受け取って、緋色は頭を下げた。


「ありがとうございます。それで、謝るってなにをです?」

「この足だよ」


 義足である右足を指し示し、真澄は語をついだ。


「驚かせてしまっただろう? 事情も知らずにいきなり目にしたんだ」

「いえっ。その、興味本位に見てしまったので、こちらこそ申し訳なかったといいますか」


 片足がないことに一瞬でも好奇の眼差しを向けてしまったこと、そして当事者である真澄に気を遣わせてしまったことに対して、緋色が自己嫌悪を覚えていた矢先、かばうように真澄が口を開いた。


「義足を付けたまま仮想空間へフルダイブできればいいんだけどね。あいにく、生体反応に異常をきたしてしまうんだよ」

「それは……、大変ですね」

「というよりも、単純に面倒なんだ。いちいち付け外ししなくてはならないからね。最近は義足の性能もよくなっているし、僕としては外したくないんだけど……」


 廊下を歩く真澄の足取りはきわめて自然で、言われなければ義足だということに気付かない。


「……その。足は事故で?」

「いや、生まれつきの障害でね。子どもの頃から義足コレだったから、慣れたものさ。むしろ、この仕事に就いた当初が大変でね」

「……?」

「仮想空間にフルダイブすると、不思議なことに右足が“生えて”いるんだ。ずっと義足で過ごしてきたから、なまじ、そちらのほうが薄気味悪くてね」


 苦笑いを交える真澄の声に、どういった反応を返すべきか迷っていると、着いたよという声とともに、義足の青年は立ち止まった。


「ここが作戦室だよ。中で隊長と美雨が待っているはずさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る