5.初任務
「……まったく、お前というやつは何度言ったらわかるんだ」
入室した二人を出迎えたのは姫崎の説教じみた声である。一方、説教を受けている側はわかりやすくそっぽを向いて、両耳を塞いでいたが、やがて視界の端に緋色と真澄の姿を捉えると、待ってましたとばかりに声を上げた。
「おっそーい。もうちょっとで一服しに行くところだったわよ」
「行こうとするな。そもそもだ、遅くなったのもお前が喫煙所に行っていたからだろう?」
はいはいとすねた口調で応じた美雨は、行儀悪く椅子の上であぐらを組んだ。喫煙所から直行したようで隊員服には着替えておらず、黒いタイツに上着を羽織ったまま、テーブルに置かれた缶コーヒーに手を伸ばし、まずそうにそれをすすっている。
やがて緋色と真澄が腰を下ろしたのを確認すると、姫崎は気を取り直したように表情をあらため、リング状のテーブルを眺めやった。
「よし、とりあえず全員揃ったな」
「研修で不在の三人はどうするんですか?」
真澄が挙手すると、姫崎は首を振った。
「残りの三人は後回しだ。当面の間、一ノ瀬くんと鷹匠、葛城で任務を遂行していくぞ。そのための意思疎通と連携をはかるため、このような場を設けたわけだが……」
そこまで言うと姫崎は緋色を見やって、なにか言いたげな新人に発言を促した。
「三人しかいないんですか?」
「現状はな」
「人員が足りないと思うんですが……」
「うん。不足しているな」
「おれ……じゃなかった、私、実戦経験ありませんけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないじゃない。あと、自分の呼び方なんて自由でいいわよ。ここじゃそんなこと、誰も気にしちゃいないんだから」
視線を横にずらすと、やれやれとため息をつきたげな美雨の顔が見える。端整な顔立ちが憂愁を帯び、本来であれば見惚れているに違いないのだが、それらの魅力をなかったことにする、一連の行為に緋色は無念さを覚えるのだった。
もっとも、間違ってもそんなことは口にできない。せいぜい、胸の内だけに留めておいて、実際には取り繕ったような態度で赤髪の問題児へと問いかける。
「解決策があるんですか?」
「トレーニングあるのみね」
再び缶コーヒーに手を伸ばした美雨は、それを口元に運びつつ、つまらなそうに呟いた。
「本当は現場で実戦経験積むのが一番手っ取り早いけど、童貞に幻蝕退治は厳しいだろうし……」
「どっ!?」
童貞ちゃうわ! と、思わず立ち上がっては声を荒らげそうになる緋色だったが、慌てて真澄が隊員服の袖を引っ張る。
「美雨のアレは、現場未経験者を指しているんだよ」
「それにしたって露骨すぎません?」
「下品なのは認めるけどね」
下手したらセクハラで訴えられない発言に目を丸くしていると、姫崎が大きく咳払いをしてみせた。
「葛城。言動にはくれぐれも注意するように」
「はぁ~い」
「とにかく、だ」
緋色に着席を促した姫崎は三人を見やってから、言葉を続けた。
「訓練を重ねるという方針に間違いはない。それも短期間のうちにな。今日から三人にはチームを組んでもらい、それぞれの役割のもと円滑な任務遂行にあたってもらうことになる」
「やっぱり、そうなると思ってから着替えなかったのよねえ。このスーツ、いちいち脱ぎ着するの面倒なんだもん」
伸縮性のある素材で作られているのか、美雨は着用している黒の生地を引っ張っては、パチンと離した。
「ブラも付けられないし。おっぱいの形が崩れたらどうするんだって、設計者に聞いてやりたいわ」
「葛城よ、繰り返し注意するがな……! 言動にはっ! く・れ・ぐ・れ・もっ! 注意してっ!」
と、怒気を含んだ姫崎の声が室内を満たそうとしていた、まさにその時だった。警報音が施設内に響き渡り、「緊急放送」というアナウンスがそれに続いた。
「救援信号を受信。対象の仮想空間はサイバーシフトテック社運営『サウスメトロポリタン』、コーストショッピングエリア。現在、詳細なアドレスと敵対反応を確認中。繰り返す……」
その放送を耳にすると、姫崎は額に手を当て、こんなはずじゃなかったとばかりに頭を振った。
「間が悪いな……。基本的な演習プログラムをこなしてもらうつもりだったのだが……」
「なに言ってるの、ベストタイミングじゃない!」
反対に声を弾ませたのは美雨で、缶コーヒーの残りを飲み干すと、勢いよく立ち上がった。
(これは……どういう状況なんだろうか?)
わけがわからずポカンと口を開ける緋色だったが、やがて隣に座っていた真澄は肩を叩き、それから席を立った。
「すまないな。また着替えの時間だ」
「……はい?」
「現時刻をもって、特機は第一種戦闘体勢に入る。第一戦略室にて、配置につけ」
「了解」
姫崎と真澄のやりとりを眺めつつ、緋色は全身が緊張でじわじわと固まっていくのを実感していた。
――どうやら実戦に入るらしい。……は? 隊員としての演習もまだなのに?
(おいおい、嘘だろ?)
戸惑うことしかできないといった面持ちで立ちすくんでいると、「ぼけっとしない」という言葉とともに、緋色の背中めがけて美雨の蹴りが炸裂した。
「安心していいわよ。誰も新入りのあんたに期待してないから」
「なっ……」
暴論としか受け取れないのだが、いまの緋色には反論の術がない。返答を待たず、赤色のロングヘアをふわりと漂わせるようにきびすを返した美雨は、肩越しに不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「心配しなくても、私一人でケリをつけるわ」
***
黒地に白のラインが入った、
こちらも訓練室と同様に、広い空間にケーブル類と精密機器類が連なっていて、中央部には弧を描くように、一番から六番までの数字が割り振られたカプセル型のプリンティングシステムが設置されている。
「一ノ瀬隊員。パーソナルデータは入力してある。三番機に入りたまえ」
メガネをかけた、いかにも優秀そうなオペレーターが声をかけると、緋色が返事をする間もなく、屈強なオペレーター二人が抱えるようにして緋色をカプセルに収容した。
そこへさらに四、五人、作業服姿のオペレーターが加わると、緋色の手足や頭部へバンドなどを巻き付け、慌ただしく様々な色のコードを接続していく。
「えっ? えっ?」と戸惑いの声を上げることしかできない緋色に、二番のカプセルに乗り込んだ美雨は先が思いやられるといった具合で呟いた。
「児童を遠足へ引率する教師の気分だわ」
手慣れた様子でみずから機器類を装着する美雨に、真澄が軽口を叩く。
「よく言うよ。教師って柄じゃないだろう?」
「失礼ね。これでも昔、一度だけ教師になろうって思ったことがあったのよ」
「初耳だな。なんで断念したんだ?」
「子どもが嫌いなのよね、私」
なるほどと苦笑しつつ、真澄は全身をかがめて緋色を見やった。
「そう緊張せずとも大丈夫さ、僕らがサポートに回るからね」
「それは、助かります」
「訓練所ではどういった内容のカリキュラムを?」
会話を交わしながらも、オペレーターたちの手は止まらない。やがて真澄の頭部にバンドが巻かれ、コード類が接続されるのを眺めつつ、緋色は答えた。
「幻蝕ランクCを仮想敵とした模擬戦闘を中心に……い゛っ!?」
話している最中だったが、オペレーターたちに緋色の身体は押し倒され、カプセル内部のベッドに仰向けになってしまう。
それを見届けてから自分もベッドに横たわると、真澄は不安をかき消すかのような穏やかな口調で続けるのだった。
「だったら問題ない。ほとんどの場合、我々が相手にするのは幻蝕ランクCもしくはランクBだからね。訓練所でのカリキュラムを思い出して……」
その時だった。会話を打ち切るようにオペレーターが声を大にする。
「敵性反応確認できました! 目標、幻蝕ランクA!」
「…………っ!?」
その声に緋色は思わず真横を見たものの、すでにカプセルは閉じられ、美雨や真澄の様子をうかがい知ることはできない。
(待ってくれ! こんなはずじゃなかったぞ!?)
思わず緋色は心の中で毒づいた。昨日の面会の際、千疋統括課長からは『実戦投入は“適宜”様子を見て判断する』という話を聞いていたはずなのだ。
あるいはこれが“適宜”ということなのだろうか? ……ああ、クソッ! いまになって思い返せば、そういうことだと理解してもいいはずだったのにっ。
しかしながら、もはや事態は取り返しのつかないところにまで来ている。なるようになれと半ばやけくそ気味に思いながら、緋色は顔を正面に戻し、ゆっくりと息を吐いてから瞳を閉じた。
「一番機、二番機、三番機、パイロット収容完了。システム『
「パイロットの意識レベルオールクリア、パーソナルデータ異常見られません」
「救援要請アドレス解析完了。仮想空間への介入、支障なし」
「スーパーコンピュータ『
カプセルの外からオペレーターの声が次々と響いてくる。やがてそれらの声が収まり、姫崎の号令が耳を打った。
「……よろしい。特機、出動せよ」
瞬間、緋色は自分の意識が遠のいていくのを実感した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます