番外編

海辺の街で。 1話

 馬車の旅はゆっくりと続いた。


 レグルスさまは、わざとゆっくりリンブルグに向かっているのだと思う。


 わたくしがあまりにも住んでいた国の人々と話す機会がなかったから、かしら? 今までずっと、自分のことに精一杯で……世界がこんなにきらめいて見えることはなかった。


 宿屋に泊まったとき、そのことをクロエに話したら一瞬キョトンとした顔を浮かべて、彼女は優しく微笑んでわたくしの肩に手を添えて言葉を紡ぐ。


「それは、カミラさまがレグルスさまと一緒に過ごしているからではありませんか?」

「え?」

「恋をすると、世界がきらめいて見えるらしいですよ。それに、カミラさま、以前にもまして綺麗になりましたし……」

「ええっ?」


 ぺたぺたと自分の顔を触ってみる。鏡は毎日見ているけれど……


「……告白はしましたか?」


 ふるりと首を横に振る。学園から旅立った日に、レグルスさまから伝えられたことは、クロエに話していない。


「ずっと一緒の馬車なのに?」

「……普通にお話はするわよ?」


 レグルスさまはこの国のことについて詳しかった。わたくしよりも詳しいのではないかしら? と思えるくらいに、各町のことを話していたもの。


 どこから得たのかと尋ねたら、この国からの移住してきた人たちに聞いた、と教えてもらった。とはいえ、自分の目で見ると印象が違う、とも。


「そういえば、カミラさまはあまり外に出たことが……?」

「こんなふうにゆっくり見て回ることはなかったわね。レグルスさまのお話を聞いて、実際自分の目で見て、改めていろんな人が住んでいるのね、と感心したわ」


 たとえば、いつも笑顔で接客してくれる宿屋の人。


 たとえば、いつも声を張り上げてお土産を売っている人。


 たとえば、町の広場でプロポーズをする人。


 ――本当に、いろいろな人たちを見た。


 一人一人、自分とは違う人生を歩んでいる人たち。


 今までずっと、鳥かごの中で暮らしていたのだと、改めて思い知った。


「貴族だけが生きているわけでは、ないのよね……」

「はい。貴族よりも平民たちのほうが多いですからね」

「そうね」


 畑をたがやす人、山に薬草をりにいく人、川辺で魚をる人……こういう人たちに支えられて生きているのよね。


「わたくし、上辺うわべだけしか知らなかったのね……」

「貴族の大半はそうだと思いますよ。カミラさまはまだ未成年ですし、知る余裕もなかったでしょう?」

「それを言われると、確かにそうなのだけど……知ろうとも知らなかったのよね、わたくし」

「なら、これから知っていけばいいと思います。そのために、レグルスさまはゆっくりと国を回っていると思いますよ」


 家族に愛されるために勉強や教養をがんばっていたわたくしは、頭がそのことでいっぱいだったの。だから、平民たちの暮らしをこうしてしっかりと見て回ることで、新鮮な気持ちになったわ。


 学園を出てから、ずっと新鮮な気持ちが続いている。


 レグルスさまとブレンさまが、いろいろ教えてくださるから。


「私もこんなにゆっくりするのは初めてなので、楽しいです」


 ふふっと笑うクロエに、「そうね」と言葉を返した。


◆◆◆


「カミラ嬢、馬車の窓を見てごらん」

「……? ……まぁ!」


 馬車の旅は続いていた。


 レグルスさまに言われて窓の外に視線を向けると、とても澄んで大きな水面が見えて思わず声を上げてしまう。


「馬車から降りたら、きっと驚くよ」


 にっと白い歯を見せるレグルスさまに首をかしげた。でも、馬車から降りてすぐにその理由がわかったわ。


「――独特の香りがしますのね」


「潮の香りだからね。馬車の旅は終わり。今日からは船旅になるけれど……船酔いしないかな?」

「……わかりませんわ。ボートに乗ったときは酔ったことありませんけれど……」


 湖でボートに乗ったことはあるけれど、……こんなに大きい船に乗るのは初めてで、なんだかワクワクとドキドキが混ざって変な感じがする。


「豪華客船って感じですね」

「一応リンブルグの王太子だからね、俺。手配したのはブレンだけど」

「いやー、思ったよりも大きな船がきましたねー」


 ブレンさまが船を見上げてぽつりとつぶやいた。どうやら、もう少し小さい船が迎えに来ると思っていたようだ。


 でも、レグルスさまはリンブルグの王太子なのだから、このくらい大きな船が迎えにきてもおかしくはない……と思うわ。


「もしも具合が悪くなったらおっしゃってくださいね」


 ぐっと拳を握ってわたくしを見るクロエ。こくりとうなずくと、満足そうに微笑んだ。


 船に乗り、リンブルグへ向かう。陸地とは違い足元が心もとない感じがして、レグルスさまにエスコートをされていなかったら、きっと歩くのももっと遅かっただろうなと苦笑を浮かべる。


 クロエもブレンさまにエスコートをされて、なんとか船の中を歩いている。その足が少し震えていたけれど、彼女は気丈に振る舞っていたから、気付かないふりをした。


「もしかして、船に乗っているのはわたくしたちだけですか?」


 こんなに大きな船なのに、まったくお客さんとすれ違わないことに疑問を抱きたずねると、ブレンさまが「そうですよー」と答える。


 こんなに大きな船にわたくしたちだけ、なんて……貸し切りのようね。


「リンブルグの国王が、カミラ嬢とクロエさんに最上級のおもてなしを、と」

「わ、私も?」

「はい。カミラ嬢の侍女として、移住するのですから当然ですよー」


 にこにこと微笑みながら、ブレンさまはわたくしとクロエを交互に見た。どこか呆れたように肩をすくめるレグルスさまに首をかしげると、「なんでもないよ」と緩やかに頭を左右に振った。


「あ、そうそう、レグルス殿下。陛下から伝言があったことを思い出しましたー」

「伝言? 陛下から?」


 ブレンさまは悪戯っぽく目元を細めて、人差し指を口元に添える。


「『甘い時間を過ごせるかは、そなたにかかっているぞ』……だそうですー」

「あの人は……」


 大袈裟に息を吐くレグルスさまに、「きゃあっ」とはしゃぐように頬を赤らめるクロエ。心なしか、目がキラキラと輝いているように見えるわ……

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