これが、わたくしの決断。(完)
それから――三日ほど、わたくしは寝込んだらしい。クロエが一生懸命に世話をしてくれた、とレグルスさまたちから聞いた。ブレンさまが考えるに、今まで使わなかった神聖力を一気に解放したから、身体がついていかなかったとのこと。
神聖力が身体に馴染んだのか、今はとても身体が軽いわ。
「体調はもう、本当に大丈夫なのかい?」
「ええ。もうすっかり! それに、わたくしはもうこの国に未練はありませんの」
心配そうに眉を下げるレグルスさまに、にっこりと微笑んでみせた。
彼はじっとわたくしを眺めて、肩をすくめる。
「学園も無事に長期休暇に入りましたし、わたくしたちはさっくりと卒業しましたし、空は晴れていますし! 絶好の旅立ち日和だとは思いませんか、レグルスさま?」
――そう、わたくしたちは、学園を卒業し、今日旅立つ予定だ。
身体が戻ってから、魔術師学科の先生に、卒業試験を早めに受けられないか打診した。先生には目を丸くされたけれど、これからのわたくしの人生を考えた結果だと力説して、承諾してもらったの。
レグルスさまとブレンさまも、目的を果たしたからこの国にいる理由はない、とのことで……結局わたくしたち三人は、他の学生たちより一足飛びに卒業したのだ。
クロエも退職届を出して、すぐに受理されたらしい。
「――本当にいいのかい? このまま旅立って」
「ええ、構いませんわ。マティス殿下とマーセルから、慰謝料もたっぷりいただきましたしね」
マーセルからは『教えていただいたことを、絶対に忘れません。今まで本当に申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございます』と丁寧に頭を下げられたわ。
マティス殿下もぶっきらぼうに、『お前に嫉妬していた。そして、お前は強いから大丈夫だと思っていた。……悪かったな』とたどたどしく言われたの。まさか、彼からそう言われるとは思わなかったから、驚いてしまったのよね。
「マティス殿下、
「ブレンさま」
「お待たせして申し訳ありません、カミラさま、レグルスさま」
ブレンさまとクロエが姿を現した。
学園は長期休暇に入り、学生たちはそれぞれの家に帰った。残っているのは、わたくしたちと先生たちくらい。
王立レフェーブル学園。わたくしは、ここから旅立ちたいと考えていた。
「ジェマは大丈夫だった?」
「はい。今、グラエル陛下はエセル王妃にいろいろ……されているようです」
クロエが苦笑を浮かべる。いったいどんなことをされているのかはわからないけれど、エセル王妃は今回の件でわたくしとマーセルに改めて謝罪してくださったのよね。グラエル陛下はわたくしたちの入れ替わりを『なぜ悪いのだ。これが一番だったろう』と反省の色がなかったと聞いている。
陛下の考えはさっぱりとわからないわ。でも、夫のしたことだから、とエセル王妃がお詫びの金貨をくださった。
マティス殿下とマーセルからの慰謝料と、エセル王妃からいただいた金貨で、わたくし自身の財産がそこそこ潤ったのよね。この国に未練はないから、このまま国を去ろうと思ったの。
ベネット公爵家の人たちとも、カースティン男爵家の人たちとも、会っていない。
すべての決断はエセル王妃に任せた。わたくしのことは、もういないものだと思ってほしいと伝えてある。もともと公爵家の令嬢であるマーセルは、きっとこれからマティス殿下を支えていくでしょう。きっと、エセル王妃も力を貸してくれるわ。
そうそう、彼女がいったいどんな失敗をしたのかは、こっそりと教えてもらった。
お茶を
そのことにショックを受けた令嬢が、腹いせとしてマーセルに嫌がらせを始めたのがきっかけみたい。そのうちにマティス殿下と親しくなって、さらに嫌がらせされるようになった。
マーセルも化粧を落としてしまった伯爵令嬢に謝って、なんとか彼女の化粧をもとに戻そうとしたけれど……結局変な化粧になってしまったらしくて、『なにもできないヤツ』になってしまったと聞いたわ。
なんというか、きっかけってそういうものよね、としか言えないわ……
「……どうして馬車が三台もあるの?」
「一台は荷物用ですよ。いろいろ運び出しました!」
クロエがぱぁっと明るい笑顔で一台の馬車を指す。そして、二台目の馬車を指した。
「二台目の馬車は私とブレンさまが乗ります。そして、あの乗り心地が良さそうな馬車は、カミラさまとレグルスさまのために、エセル王妃が用意してくださいました!」
「エセル王妃が?」
目を丸くして、三台目の馬車を見る。豪華な馬車で、本当にこれに乗ってリンブルグまで行っていいのかと一瞬考える。
「はい。王妃は今回のことを、とても重く受け止めているようです。レグルスさま、伝言がございます」
「伝言?」
「『カミラのことをお願いします』と」
「……直接言ってくれたらよかったのに」
両肩を上げるレグルスさまの表情は、優しかった。レグルスさまもレグルスさまで、いろいろと大変だったみたい。ようやく落ち着いたので、荷物をまとめてリンブルグに帰ることを決めたと聞いた。
エセル王妃は、レグルスさまとブレンさまにも『リンブルグの方々に無礼なことをしてしまい、申し訳ない』と謝罪したそうだ。グラエル陛下に何度もレグルスさまたちのことを話したけれど、まったく改善されることはなかった、と。
グラエル陛下のしたことに対し、エセル王妃はアフターケアに追われていたようね……
いつか、きちんと自分のことを見てくれると信じていた、と眉を下げてぽつりとつぶやいたこともあった。エセル王妃とは、マティス殿下の婚約者として親睦を深めていたから、お茶会に呼ばれることもあったのよ。
「まぁ、でも、今回のことでこの国も変わるかもしれないな」
「良い方向に変わることを、願いますわ」
「さて、準備もできましたし、早速リンブルグにいきましょうー。のんびりと、ね」
ブレンさまがわたくしたちに声をかけた。こくりとうなずいて、それぞれの馬車に乗る。
馬車に乗ってから、学園を振り返る。――この国で暮らしていたときのことを思い出し、ふっと小さく笑みを浮かべた。
「どうしたの?」
「……最後に、わたくし自身が決断できて良かった、と心の底から思いましたの」
「そうだね。ここから先はきみの物語だ」
「あら、わたくしだけはありませんわ。レグルスさまとわたくしの物語が、始まるのです」
わたくしの言葉に、レグルスさまが目を大きく見開いて、それから「そうだな」と柔らかい口調で言葉をこぼし、そっと手を取る。
「レグルスさま?」
「カミラ嬢の新しい人生に、祝福を」
手の甲に唇を落とすのを見て、顔に熱が集まった。貴族の挨拶として慣れているはずなのに……
好きな人にされると、こんなにも胸がときめくものなのね。
「レグルスさま。わたくし、あなたのことが――」
ふに、とレグルスさまの人差し指が、わたくしの唇に触れて言葉を止めた。
「それはまだ、言わないで。きちんとしたところで、俺から言いたいから」
パチンとウインクをされて、わたくしはくすくすと笑ってしまった。心の底から笑顔を浮かべられたのは、レグルスさまたちのおかげね。
そっと彼の手を取って、きゅっと握った。
きっとこれから、たくさんの大変なことが待っているでしょうけれど――……
公爵令嬢カミラ・リンディ・ベネットとではなく、ただの『カミラ』として、わたくしはわたくしの決断をしていくの。
ブレンさま、クロエ、そしてレグルスさまと一緒に考えて――その決断を、後悔しないように過ごしたい。
「リンブルグがどんなところなのか、楽しみですわ」
「真っ直ぐ向かうんじゃなくて、いろんなところに寄っていこう。自分の目で見て、手に取って感じることって大事だからね」
レグルスさまの言葉が胸の中に沁み込んでいく。わたくしのことを考えて、言ってくれているのがわかるから。
「そうですわね。いろんなことを、感じたいです」
みんなと一緒に。今までできなかったことを、していきたいと明るい声色で話すと、レグルスさまは相槌を打ちながらわたくしの話を聞いてくれた。
こんなふうに、目を見て話してくれる人が隣にいてくれるって、とても幸せなことよね。
――レグルスさま。わたくし、あなたに出逢えて良かった。
そう伝えられるのは、きっと、すぐ。
レグルスさまの瞳に確かな愛情を感じて、わたくしはこれからのことをたくさん話した。
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