ノラン・カースティン男爵。 1話

 レグルスさまはちらりと視線をブレンさまの持っている紙に移動し、ひょいと彼の手から紙を抜き取った。そして、ぴらりとその紙を見せてくれた……けど、なにを書かれているのかはわからず、クロエと顔を見合わせる。


「リンブルグっていろんな文化があるんだよ。これも、その一つ」

「ブースターとおっしゃっていましたよね」

「ああ。この紙に書いたのは、ブレンの能力を上げるためのまじない」


 まじない? とその紙に書かれているものをじっと見つめた。クロエも興味深そうに紙とレグルスさまを眺めて、すっと手を上げた。


「それは誰でも書けるものですか?」

「ちょっとコツがいるけど、まぁ誰でも書こうと思えば書けるんじゃないかな」

「私でも?」


 ワクワクとした表情のクロエ。ブースターが書けるようになったら、いろいろな使い道がありそうね。わたくしも気になるわ。


「集中力がある人なら、きっと書けると思う。その前にどんな効果にしたいのかを考えないといけないけどね」


 紙をブレンさまに戻すレグルスさま。どうやら紙に書けるのはブースターの効果だけではなさそうね。どんな効果があるのを書けるのかしら?


 そう考えているとカースティン男爵邸についた。


 レグルスさまたちの会話が弾んだおかげで、あっという間だったわ。


 わたくしたちが馬車を降りようとすると、マーセルが玄関から飛び出してきた。馬車に気付くと……いいえ、この場合わたくしたちに気付くと、ね。彼女はズンズンと近付いてきて、「カミラさま! お願いがございます!」と大きな声を上げた。


「……お願い?」


 馬車の窓を開けて、マーセルに視線を向ける。彼女はとても真剣な表情を浮かべて、こくりとうなずき、自身を落ち着かせるように深呼吸を繰り返してわたくしを見つめる。


「私に――教えてほしいのです。どうすれば、マティス殿下の隣に立てるのかを」


 その真摯しんしなまなざしに、わたくしはふっと微笑みを浮かべた。


 ――マーセル、貴女あなた、本当に……マティス殿下が好きなのね。


 いつか思ったことを、また感じた。


「わたくしは彼と婚約を白紙にしたいから、協力するわ。でも、その前に……カースティン男爵と少しお話がしたいのだけど、……会えるかしら?」

「……大丈夫だと思います。案内しますね」


 本来なら、わたくしがマーセルの立場なのよね。でも、身体に沁み込んだ『公爵家の令嬢』という立場はなかなか抜けなさそうだと考えた。どうしても、『ベネット公爵家の令嬢』として振る舞ってしまう。


「ありがとう。では、貴女との話は、カースティン男爵と話してからね」

「わかりました。こちらです、ついてきてください」


 馬車から降りて、マーセルの案内でカースティン男爵のもとへ。


「オリヴィエさまは……」

「寝込みました。お母さまは、陛下のお考えも知らなかったみたいで……」

「……そう」


 マーセルは迷いなく家の中を歩いていく。


「ここは……?」

「お母さまの部屋です」


 マーセルがぴたりと足を止めた。目的地についたみたい。


 そして、オリヴィエさまの部屋、なのね……。寝込んだ、と言っていたから、きっとカースティン男爵が付き添っているのだろう。


 仲睦まじい夫婦、のように見えたのだけど……いえ、今、考えることではないわね。


「――お父さま。マーセルです」


 トントントン、とマーセルが軽くノックをすると、ガタンとした音とバタバタとした足音。ガチャっと扉が開き、憔悴しょうすいしきったようなカースティン男爵が出てきた。


 そして、わたくしたちを見ると一瞬、表情を強張こわばらせる。


「ノラン・カースティン男爵。お話がございます」

「……わかりました。こちらへどうぞ」


 歩き出すカースティン男爵。その歩き方は、フラフラとしていて……最初にお会いしたときとはまるで違う。


 マーセルが慌てて彼に近付き、その身体を支えるように手を添えて歩く。後ろ姿だけ見れば、とても仲睦まじい親子だ。


 彼女に支えてもらいながら、カースティン男爵は目的地まで歩いた。案内されたのは、彼の執務室のようだ。「適当に座ってください」と声をかけられ、わたくしたちは顔を見合わせてそれぞれ好きなところに座る。


「それで、話とは……?」

「ノラン・カースティン男爵。マーセルが花姫に選ばれていたことを、ご存知ですか?」

「え? ええ、はい」


 違うことを聞かれると思っていたのか、彼は目を丸くしてこちらを見た。


「おそらく、そのときマーセルに魔法をかけたのだと思います」

「なんのために……?」

「わかりませんわ、陛下のお考えは。――ただ、わたくしとマーセルが入れ替わったのは、陛下が関わっているのでは、と考えております」

「そういえば、マーセル嬢。魔法は使えるようになりましたか? 試してみてもらっても?」


 ブレンさまがマーセルへたずねると、彼女はハッとしたように顔を上げて、「試してみます」と一言つぶやいてから目を閉じて魔法を使う。


 両手の手のひらを上にし、ぽわりと優しい光が両手を包み――ポンっと、花が出てきた。


 花姫の条件として、魔法で花を出せる女学生、というのがある。


 彼女はぴったり、それに当てはまっているわね。


「――魔法……」


 うるっとマーセルの瞳に涙がにじんだ。……使えるようになったことが、嬉しいのね。


「マーセル、魔法が使えるようになったのなら、生活魔法も使えるわね?」

「はい、そうだと思います」


 ハンカチを取り出して涙を拭き取り、ぱぁっと明るい表情を浮かべる彼女に小さくうなずく。


「――ノランさま。わたくしの話を、聞いてくださいますか?」


 すっと立ち上がり、彼の前まで移動する。


 胸元に手を置いて、じっと彼を見つめると、カースティン男爵は真摯しんしなまなざしをわたくしに向けた。

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