もう、我慢はしない。

 レグルスさまがわたくしをかばってくれた。そして、お母さまに冷たい言葉を浴びせている。彼の言葉に、お母さまは「離しなさいっ」と声を荒げた。


「どうしてそこまで、カミラ嬢を『完璧な公爵令嬢』にしようとしたんですか? カースティン男爵夫妻の子だから、にしては厳しすぎる気がするのですが?」


 呆れたようなレグルスさまの声に、お母さまは忌々しそうに表情を歪め、お父さまが立ち上がりそっとお母さまの方に手を置く。


「……マティス殿下の婚約者として、完璧な公爵令嬢が必要だからだ」

「完璧な公爵令嬢、ねぇ……。カミラ嬢、きみは完璧になりたいかい?」


 こちらを振り返り問いかけるレグルスさま。


 わたくしはゆっくりと首を左右に振った。……無理よ、わたくしには。


「いいえ。わたくしは、完璧ではありませんもの」


 マーセルの身体に入って、召使学科の人たちを見て気付いたの。


 普通の令嬢や令息は、『完璧』とは程遠いところにいるのだと――……


「公爵家の令嬢として、お母さまたちに厳しく育てられ……わたくしは、わたくしの自我を押し殺して生きていました」


 ベネット公爵家で過ごしていた年月を思い出しながら、一度言葉を切った。わたくしの前にいるレグルスさまの背中がとても大きく見える。


 手を伸ばして、彼の服を軽く掴む。そのことに驚いたのか、レグルスさまが目を丸くしてわたくしに視線を向け、それからふっと表情を緩めて小さくうなずいた。


 まるで、これからわたくしが伝えることを、肯定するかのように。


「――わたくしは、この国から出ていきます。誰がなんと言おうとも。レグルスさまたちと一緒に、リンブルグルに行きますわ」


 そして、わたくしはわたくしの人生をやり直すの。一から。


 ――そのとき、隣にいてほしいのは――……レグルスさまだ。


「ここまで育てていただいたことには、感謝しております。……それと同時に、恨んでもいます。あの部屋にわたくしを閉じ込めて、自我を奪ったことを」


 幼い頃から繰り返されたこと。言うことを聞かなければ閉じ込められていた部屋。


 家族に愛されたかったわたくしの気持ちを、利用していたこと。


「あなた方に利用されるわたくしは、もういませんわ」


 声は、震えなかった。


 よく言った、とばかりにレグルスさまがうなずく。


「さようなら、ベネット家の方々。――それを、伝えにきたのです」


 お母さまから習ったカーテシーをして、ベネット家の三人を置いて執務室から出ていった。


 ブレンさまが鎖をいてくれたおかげで、身体の中に力がみなぎってくるようだわ。今のわたくしに、怖いものはないと思えるくらいに。


「カミラ嬢、泊る場所はあるのかい?」

「マーセルの部屋に泊まらせてもらいますわ。あそこには、わたくしだけのものがありますもの」


 マーセルはきっとカースティン男爵邸に泊まるだろうから。


「……そうだね、俺が贈ったのはきみのものだ」

「ふふ」


 ベネット家のものはベネット家のもので、わたくしのものなんて一つもない。


 お母さまの趣味で揃えたものだから……


 学園生活でもいろいろ制限されていたけれど、わたくし、もう我慢をしないわ。


「でも、その前にカースティン男爵にお話がありますの」

「彼に?」


 こくりとうなずいて、レグルスさまを見上げる。


 きっと、少しはオリヴィエさまも落ち着きを取り戻したでしょうし……お父さまたちとは、これ以上話したくない。


「じゃあカースティン男爵邸に戻りましょうかー」

「わ、私も行きます」

「ええ、みんなで行きましょう」


 スタスタと早足でベネット公爵邸をあとにする。屋敷から出たところで、一度振り返った。


「――さようなら」


 小さくつぶやいて、前を向く。


 馬車に乗り込んで再びカースティン男爵邸へ。


 数回、深呼吸を繰り返してから真っ直ぐにブレンさまを見つめた。


「ブレンさま、お聞きしたいことがございます」

「なんでしょうー?」

「わたくしたちの鎖は、どうしてかれたのですか?」


 クロエの部屋では無理だった。あの一回で、コツを掴んだということかしら? 小首をかしげて尋ねると、ブレンさまはきょとんとした表情を浮かべてから、ぽんと手を叩く。


「動揺したからですよー」

「動揺?」


 確かにマーセルもわたくしも、動揺したとは思うけれど……それだけで?


雁字搦がんじがらめの鎖が緩んだ瞬間を狙ったんです。これもありましたし」


 すっと取り出したのはお札……のように見える一枚の紙。


「それは?」


 クロエが興味津々にその紙を見つめてから、ブレンさまに視線を移して問いかける。


 彼はにこっと笑って、ひらひらと紙を揺らした。


「これは、ちょっとしたブースターです」

「ブースター?」

「うわ、まだ持ってたのか、それ」


 ぎょっとしたようなレグルスさまの声に、彼らを交互に見て首をかしげる。


「レグルスさまのおかげでもありますねー」

「レグルスさまの……?」


 眉を下げてレグルスさまを見つめると、彼は後頭部に手を置いて「うーん」となにかを悩んでいるようだった。


 わたくしたちには教えづらいことなのかもしれない、と口を開こうとすると、レグルスさまは言葉を紡ぐのが先だったので、口を閉じる。


「趣味でそういうの作っているんだ」

「……趣味、ですか?」


 それはあまりにも意外な言葉で、目を丸くしてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る