最初で最後のわがまま。

 この三人は、先程までカースティン男爵邸で同じことを聞いていた。さらにブレンさまがすっと人差し指を立てると、ふわふわとした煙がでてきて、その煙の中にあの話をしていたわたくしたちが映っていた。


 ――その内容を知り、公爵家の人たちはゆっくりと息を吐き、苦々しそうに表情を歪める。


「わたくしはもう、あなた方の愛情を求めません。最初は、愛されたかった。どうしていつも、わたくしにだけ冷たいのか、悩んで……あなた方の望むようにすれば、いつかきっと愛してくれると信じていた。……でも、もう良いのです。こんなこと、終わりにしましょう……!」


 言っているあいだに、涙が出そうになった。なんとか涙をこらえて、ぐっと拳を握りしめた。


 ――家族に、愛されたかった。褒めてもらいたかった。優しく微笑んでほしかった。でも、それももう、今日で終わり。


「わたくしを、自由にしてください……!」


 そう切実に伝えると、お父さまの瞳が揺れた。


「自由になって、どうするつもりだ? お前は、ベネット公爵令嬢であることには変わりないんだぞ!」

「――リンブルグへ行きます」


 その言葉だけは、凛とした声で言えた。レグルスさまはこちらを見る。ぱぁっと明るく笑う姿を見て、わたくしも同じように笑みを浮かべる。


「わたくしを望んでくれる人と、一緒にいたいのです」


 心の底からの言葉に、お父さまたちが言葉をんだのがわかった。


「――これがわたくしの……カミラ・リンディ・ベネットとしての、最初で最後のわがままですわ」


 ブレンさまがカースティン男爵家でのことを魔法で見せてくれたから、わたくしとマーセルの中身がトレードされていたことも理解したのだろう。お母さまはその場に崩れ落ち、お兄さまも呆然としていた。お父さまも顔を伏せ、「こんな、ことが……」と小さくつぶやく。


 ――実の娘にはできないことを、わたくしにはしていたのね。


「……陛下には、話してみよう」

「お願いします。わたくしはもうこれ以上……この国に、いたくありません」


 それだけ、つらい日々を過ごしていた。


 ぽんっと肩を叩かれて、弾かれたように顔を上げる。……わたくし、いつの間にかうつむいていたのね。


「リンブルグ王太子として、そしてただの『レグルス』として、俺は彼女を望んでいる。だからこそ、マティス殿下との婚約を白紙にしてもらう」


 ――優しい人。こんなわたくしを、まだ望んでくださる。


「どうして、カミラをそんなに……?」


 お母さまの声が震えていた。まるで、信じられないとばかりに。


「――姿勢が綺麗だったんだ。数多の令嬢の中で、誰よりも。その凛とした姿に惹かれた。それだけでは理由になりませんか?」


 お母さまに視線を向けて問いかける。……彼と会ったのは、本当に一瞬の出来事だったはずだ。それなのに……その頃から、わたくしを想ってくださっていたの?


「俺がマティス殿下に勝ったら、婚約を白紙にすると、約束してください」

「……それで、陛下が納得すると思うかい?」

「いいえ。ですが、マティス殿下も望んだら? 自分の息子が婚約を白紙にしたいほど、マーセル嬢を望んでいると知ったら?」


 にぃっと口角を上げるレグルスさまに、思わず目をパチパチとまたたかせた。


 そういえば、マティス殿下は一度もわたくしとの婚約を白紙にするとは、言っていなかったわね。


 マーセルをめとるとは言っていたけれど……それは、どちらのことを言っているのかしら。


 ……いえ、どちらでも構わないわ。


 わたくしは、マティス殿下と結婚するつもりはないもの。


「――マティス殿下が、カミラとの婚約を白紙にしたいわけがないだろう」

「なぜ?」

「ベネット公爵家のものと結婚すれば、ベネット公爵家がマティス殿下を支えることになる。それは、彼が王位に近付くということだ」

「――偽りの公爵令嬢でも?」


 ああ、わたくし、こんなに冷たい声が出るのね、と何度でも感心しちゃう。


 わたくしの言葉に、ぴくりとお父さまの眉が跳ねた。


「わたくしは、あなたたちと血の繋がりのない、ただの他人ですわ」


 家族に愛されたかったわたくしは、もういない。


 マーセルの身体に入り、彼女として過ごすことでわたくしの心はもう固まったのよ。


 ベネット公爵家の人々から愛されることは、もう望まないということを。


「カミラ!」

「お兄さまだって、本当はマーセルを可愛がりたいのでしょう? そうですわよね、マーセルは本当の妹ですもの。偽物のわたくしと違って」


 目元を細めてお兄さまを睨みつける。彼の瞳は揺れていた。


 なぜ、動揺するのかしら。ベネット公爵家の人たちは、ずっとわたくしのことを『家族』と認めていなかったのに。


「――ッ」


 立ち上がったお母さまが、わたくしに手を上げようとしているのが見えた。すっと目を閉じて衝撃を待つ。


 ――でも、いつまで経っても衝撃はこなかった。


 そっと目を開けると、レグルスさまがお母さまの手首を掴んでいるのが見え、目を大きく見開く。


「家族に対しても、他人に対しても行うことではありませんよね。それとも、この国ではこうやって子どもを育てるのですか?」

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