どういうことなの?

 わたくしはごくりと唾を飲んだ。そのことに気付いたのか、お父さまはゆっくりと息を吐き、優しいまなざしを向ける。


「本来ならば、マーセル。お前は私たちと一緒に暮らすはずだった。だが――誰の仕業かはわからないが、生まれて間もないマーセルとカミラが入れ替えられていた。まだ、お前たちに名前もついていない……生後間もなくのことだ」


 淡々とした口調で話すお父さまに、わたくしはきゅっと下唇を噛み締めた。


「育てていくうちに、カミラに違和感を覚えた。そこで調べた結果、カミラが私たちの子であることは限りなくゼロに近く、逆にマーセルが私たちの子である可能性がとてつもなく高いことを知った。……カミラは、そのことを知らない。あの子はあのままなにも知らずに、マティス殿下にとついでいく……そう、思っていた」


 わたくしとマーセルを入れ替えた犯人を、お父さまたちでさえ探せなかった……?


 どういうことなの? と困惑して、ベネット公爵家の人たちを見つめると、お父さまは目線を下げて緩く首を左右に振る。


「カミラが私たちの子ではないと知ったとき、マーセルの父親に自分の子を返してほしいと頼んだ。だが、きみの父親は『たとえ入れ違っていたとしても、この子は自分の子だからこのまま育てます』と言って聞かなくてね」


 マーセルは……本当に大切に育てられてきたのね。


 そしてマティス殿下と恋に落ちた。


 本来ならば、わたくしの立ち位置にいるべきマーセル。


 王家と公爵家の婚約は珍しいことではない。……マーセルは、落ちるべくして、マティス殿下に恋をしたのかしら……?


「なぜ、カミラさまに伝えないのですか……?」

「私たちは、あの子を自分の子のように思えないまま暮らしてきた」


 懺悔ざんげのように、ぽつり、ぽつりとお父さまが言葉を紡ぐ。


 わたくしの心が締め付けられるように痛み、ぎゅっと胸元に手を置いて服を掴んだ。


「せめて……あの子には、殿下に嫁いで幸せになってもらいたいと、そう思っている」

「……いいえ、いいえ、公爵さま。あのままでは、カミラさまは幸せとは程遠いところにいってしまいます。お願いします、マティス殿下とカミラさまの婚約を白紙にしてください……! そして、カミラさまを自由にしてください……!」


 自由になりたいと、わたくしの心が叫んでいる。


 この歳まで育ててくれた恩はあるけれど、わたくしはもう、自由になりたい。


 お父さまたちに……ベネット公爵家に縛られることなく、自由に生きたい……!


 切実な願いを聞いて、お父さまたちは息をんだ。


「カミラさまは、マティス殿下を愛していないことをご存知でしょう……!?」

「……カミラとマティス殿下の婚約は、陛下が希望したことだ」

「……陛下は、マーセル嬢とカミラ嬢の生家が入れ替わっていることを、ご存知なのですか?」


 探るようにレグルスさまがたずねる。


 お父さまは少しだけ目を見開き、「さぁ、な」とつぶやいた。


 ……おそらく、陛下は知っていて、わたくしをマティス殿下の婚約者にしたのだろう。


 ゆっくりと深呼吸を繰り返して、昂った気持ちを落ち着かせる。


「……マティス殿下は、カミラさまを想っていないでしょう……?」


「想い合うふたりが結びつくということは、貴族の世界では難しいのだよ、マーセル」


 幼い子を言い聞かせるように、お父さまはそう言った。


 ……そうね、お兄さまの婚約者も貴族……侯爵家の令嬢だ。


 だけど、それでも……!


「そういう結婚って、長続きするもんなんですか?」

「れ、レグルスさま?」

「いや、うちの国は恋愛結婚が主だから、ちょっと気になって」


 レグルスさまはわたくしに向かってウインクをした。その姿を見て、ほんの少しだけ、心が軽くなる。


 大丈夫、わたくしにはレグルスさまたちがいてくれる。自分に味方がいるということが、これほどまでに心強いとは……


「貴族同士の繋がりを、強固にする必要がある」

「なぜ? そこまで雁字搦がんじがらめにしないと、ほつれてしまうほどの繋がりなのですか?」

「……貴殿にはわからんさ。リンブルグは貴族同士の繋がりが薄いと聞く」

「そうでもありませんよ? ただ、俺らは裏切ったらどんなことになるのかを、『知っている』だけで」


 ……知っている?


 貴族の繋がり……この国にとって、貴族同士の繋がりは、おそらく貴族の暮らしを豊かにするためのもの。


 平民たちの生活はどうなのか……わたくしにはわからない。


 レグルスさまはカクテルの入ったグラスをゆらゆらと揺らしながら、お父さまに笑顔を見せた。


「リンブルグは貴族の繋がりが薄い? 逆ですよ。他国の貴族との繋がりは強固です。それは貿易だったり、農業だったり、互いに足りないものを補うためのもの。だからこそ、リンブルグにはいろんな国の人たちがやってくる」


 一度言葉を切り、グラスを動かしていたのを止め、くっと一口飲む。


「――そう、亡命した貴族や戦で住む場所を失った人たちも。そんな人たちが集まってリンブルグは大きくなった。我が国の民たちは幸せそうに暮らしていますよ。スラムもないし、みんなが自由に生きられる国ですから。……この国とは違って、ね」


 挑発するような視線を受けて、お父さまたちが言葉をんだ。


 ……リンブルグのことは少しだけレグルスさまたちから聞いただけだったけれど、この国の在り方とはまったくと言っていいほど違うのね……


「カミラ嬢の幸せを願うのならば、マティス殿下とは結婚しないほうが良いでしょう。彼には意中の相手がいるのですから。……そうだな……どうしても、彼女とマティス殿下を結婚させるというのなら、一つ、賭けをしてみませんか?」

「賭け、だと……?」

「ええ。俺とマティス殿下が一騎打ちをするのです。勝敗がわかりやすいでしょう? 勝ったほうがカミラ嬢をめとる。……一ヶ月後にはパーティーがありますからね。そのときにでも。どれだけ強いのか、パフォーマンスにもなりますし」


 ……騎士学科で、マティス殿下に勝てる人はいないと聞いている。


 どうして、そんな賭けをしようと思ったのかしら……?


 わたくしが呆然としていると、お父さまはぽかんと口を開け、肩を震わせて笑い出した。


「面白い、陛下にそう伝えてみよう」

「ええ、必ず伝えてください」


 ……ところで、わたくしの意向は無視ですか……?

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