ホテルのディナー。

 馬車に乗りこんで、ホテルまで向かう。ホテルの名前を聞いて驚いた。


 王室御用達のホテルだったから。よくそんなホテルの予約が取れたな、と感心しながらレグルスさまとブレンさまを見る。すると、レグルスさまはわたくしの疑問に気付いたのか、「留学生の特権」と微笑む。


 学園では冷遇されているようだけど、こういう場面では優遇されている……?


 いえ、違うわね。きっと、彼なりにわたくしを心配させまいとしてくれているのだろう。


 ……それに、学園内で話しているだけでも、一気に噂が広がるだろうから、わざわざこうして人数を増やしてくれていると思う。


 気遣われているわね、わたくし。


「夕食は食べましたか?」

「いいえ、まだですわ」

「それなら良かった。ディナーもそのホテルに用意されていますから」


 あのホテルのディナーかぁ。一度だけ行ったことがある。


 そのときはマティス殿下と一緒で、わたくしたちの両親も一緒だった。何歳くらいだったかしら。確か、五歳くらいだったかな。


「別のホテルのほうが良かったですか?」

「あ、いえ……少し、思い出しただけです。あの頃は、よくわかっていなかったなぁって」


 あのときの記憶は正直、あまりない。


 ただ、わたくしとマティス殿下は黙々とディナーを食べて、大人たちがワイワイと盛り上がっていた。


 きっと、マティス殿下はあの頃からわたくしのことを良く思っていなかった……と、そんな気がしてきたわ。


 大人が勝手に決めた婚約者だったもの。


 貴族というのは、それだけで生き方が制限されるのかもしれないわね……


「……それは、あまり良くない思い出?」

「良くない……うーん、わたくしが覚えているのは……」


 どんなふうに説明すれば良いのかしら。


 とりあえず、わたくしが子どもの頃にそのホテルで、マティス殿下と両親たちと食事をしたことを話した。


 すると、彼らは神妙な表情になってしまい、眉を下げて微笑む。


 やっぱり話すべきではなかったかしら……と考え込んでしまった。


「それじゃあ、今度は楽しい思い出にしよう。昔は楽しくなかったんだろ? 顔を見ればわかるよ」


 思わず、頬に触れてしまう。クロエがふふっと笑い出すのを見て、ブレンさまは慈しむようなまなざしでこちらを見る。


「……そうですわね」


 三人に見つめられて、こくりとうなずいた。


 そうね、楽しくなかった思い出を、楽しい思い出に変えてしまえばいいのよね。


 ホテルにつき、中に入るとすぐに個室に案内された。


 わたくしたちが一緒にいるのを見られないように? または、気兼ねなく会話できるように?


 そういう心配りも、とても嬉しく感じる。


 コース料理をすでに予約していたようで、スムーズに料理が運ばれてきた。


「どの料理も美味しいですね」

「さすが王室御用達……?」

「うーん、僕には量が物足りないです……」


 しょんぼりと肩を下げるブレンさまに、わたくしたちはくすくすと笑う。


 確かにたくさん召し上がるブレンさまには、物足りないかもしれない量だったのかもしれない。


 ……でも、パンケーキを食べたあとにガトーショコラやパフェも食べたのに、まだ入ることに驚きを隠せないわ……


「食いしん坊め」

「否定はしません!」


 きっぱりと断言するものだから、わたくしとクロエは声を出して笑わないようにするのが大変だった。


 そして、そんな和やかな雰囲気を楽しんで、デザートまでいただいたあと――ガシャン、となにかが割れる音が耳に届く。


「な、なにかしら……?」

「別の個室から、みたいですね。なんだか騒がしくなりそうですし、部屋に向かいましょうか」


 ブレンさまの提案に、わたくしたちはうなずいた。


 個室を出ると、近くの個室にホテルの従業員が集まっているのが視界に入る。


 必死に謝っている姿を見て、なにがあったのかしら? と首をかしげると、怒り心頭という雰囲気をまとった一人の女性が現れた。


 思わず、息をんでしまった。だって、出てきたのはベネット公爵夫人だったから。


「……」

「……」


 レグルスさまがわたくしとお母さまを交互に見て、それからお母さまに向かってにっこりと微笑みを浮かべた。


 お母さまはレグルスさまのことを怪訝そうに見ていたけれど、お母さまを追いかけるように出てきたお父さまとお兄さまもわたくしたちに気付いて、お父さまが「ああ」と一言口にし、レグルスさまに愛想よく笑みを見せる。


「これはこれは、リンブルグの王太子殿。奇遇ですな」


 ……名前を呼ばないのは、わざとかしら?


「デート中でしたかな?」


 目元を細めてたずねるお父さまに、わたくしはぎゅっと拳を握る。レグルスさまは緩やかに首を振って否定した。


「友人たちとディナーを楽しんでいただけですよ。なぁ、みんな?」


 わたくしたちはそれぞれうなずいた。お父さまたちにバレないように深呼吸をしてから、ベネット公爵家の人たちの前に立ち、カーテシーをする。


「お初にお目にかかります。ベネット公爵さま、公爵夫人さま、小公爵さま。マーセルと申します。以後、お見知りおきを」


 顔を上げて、真っ直ぐに彼らを見ると、息を呑むのがわかった。お母さまはわたくし――いえ、マーセルをマジマジと凝視すると、扇を取り出して口元を隠す。


「きみがマーセルか。マティス殿下から、いろいろ聞いているよ」


 マティス殿下がなにをどう説明したかはわからないけれど……お父さまの、『マーセル』を見る瞳はとても優しかった。


 わたくしを見るとき、そんなに優しいまなざしを向けられたことはない。


 お兄さまも、感極まったような……そんな表情を浮かべていた。


 彼の……マティス殿下の言っていたことは、本当だったのね……


 お母さまだけ、鋭い視線を向けていた。


「……マティス殿下は、わたくしのことをなんと話していましたか?」


 少しだけ気になって、たずねた。すると、お父さまは「立ち話もなんだから、ラウンジに行こう」と歩き出す。


 わたくしたちは顔を見合わせてから、お父さまたちについていくことにした。

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