早速ノートを使いましょう。

 寮のマーセルの部屋まで、クロエが送ってくれた。さすがに門限ギリギリだから、最後までエスコートをしようとしてくれたレグルスさまたちを、男子寮に帰した。


 残念そうだったけれど……代わりにクロエが念のため、とわたくしと女子寮を歩いてくれた。クロエの部屋も寮にあるみたい。


 学生寮ではなく、教師寮らしい。確かもうひとり、マティス殿下の担当医は彼の部屋の近くにいたはず。


 部屋に入って椅子に座り、ノートを閉じて誰にも見られないように魔法をかける。ああ、そうだ。マーセルのテキストやノートにも魔法をかけておこう。汚れないように。


 せっかくレグルスさまがきれいにしてくれたのだもの。大事に扱わなくちゃ。


「……やることがたくさんあるわね」


 一ヶ月後のパーティー。おそらく、マティス殿下はマーセルをエスコートするだろう。


 その前にわたくしとマーセルの身体をもとに戻さないと。……マーセルは、ちゃんと調べてくれるかしらね。


 そもそも彼女、本当にどうして魔法が使えなくなったのかしら?


 わたくしの身体になっても魔法が使えないということは、きっとマーセルの魂そのものになにかしらのロックがかかったと思うのよ。


 魔術学科では、魔法の使い方やその在り方を教わっていたから、それを思い出してみる。


『魔法の質は魂によって変化します。良いですか、魂の質とは己の矜持。それぞれ魔法が使えることを誇り、上を目指しなさい』


 参考になるような、ならないような。


 そもそも、魂の質とは?


 大魔法使いの生まれ変わりの魂なら、かなり質が良いということ?


 専門家ではないから、よくわからないわ……。生活魔法は誰でも使えるし、攻撃魔法だって練習すれば使えるようになる。


 唯一、光属性の魔法だけは素質がなければ使えないらしい。


 光魔法――ようするに回復魔法と浄化魔法よね。アンデッド退治に聖職者が向かうのは、それが理由だと本で読んだことがある。


 さすがにアンデッドは見たことないわ。魔物自体はそこそこ見たことあるのだけど。


 可愛い顔をして人を襲うときは恐ろしい顔になるリスの魔物とか、なかなか降りてこない鳥の魔物とか、水の中で優雅に泳いでいる魚の魔物とか。


 魚の魔物に関しては、大きかったなぁという感想しか出なかった。


 陸に上がるとぴちぴち跳ねて、そのまま火の魔法で焼いて魚になったのよね。淡白な味だったわ。


 ……なんで味を知っているか、なんて、好奇心に負けたからに決まってるじゃない……


 それに、万が一のことを考えれば、食べられる魔物のことを覚えておくと便利そうだったし。川魚だから淡白だったのかしら。思ったよりは食べられた。


 ちなみにリスの魔物は麻痺持ちで、鳥の魔物は毒持ちだったから食べられなかった。


 案外わたくし、学園生活を楽しんでいたわね。外に食べられるのが楽しかったという理由ではあるんだけど……実習が楽しくて仕方なかったのよねぇ。


 座学はまぁ、習っていたところばかりだから、なんとも言えないのだけど。


 あ、一ヶ月後のパーティーの前にテストがあるわね。わたくしの成績、どのくらい落ちるのかしら? 少し気になるわね。


 昨日はあんなにつらかったのに、今はなんだか気分が良いわ。自分が落ちぶれることに恐怖なんて感じない。


 だって、わたくしには味方がいる。そのことがすごく嬉しくて……それと同時に、今までの人生を振り返り胸が痛くなる。


 わたくしが必死でやってきたことって、なんだったんだろう……って。


 まぁ、でも、無駄なことではなかったと胸を張れるようになりたい。


 きちんとカミラの身体に戻って、婚約を白紙にして、マティスとマーセルから慰謝料をもらって公爵家に別れを告げて、この国から去るの。


「……そのためにも、マーセルにはマティス殿下のそばにいてもらわなくちゃ」


 マーセルは、マティス殿下と付き合う前からいじめられていたと言っていた。彼女の他にも男爵家の人はいる。それなのになぜ、マーセルだけが狙われたのか……


 まさか近くにいたからとか、顔が気に入らないとか、そんなしょうもない理由ではないでしょうね?


 思い返せば、マーセルに意地悪をしようと人も、嫌味を言ってきた人たち、すべて令嬢だった。


 召使学科は伯爵令嬢までしか入れない。つまり、否応なしにトップは伯爵家の人。


 令息たちはマーセルに興味を示しているようには見えなかったから、伯爵家の令嬢となにかがあった、と考えるのが自然かしら。


 メイドも執事も待遇が良い公爵家か侯爵家、もしくは王城の職に就きたいって人がこの学科に集まるわけで……いろいろややこしいわね。頭が痛くなりそう。


 今日は夕食を食べる気分にならないから、ちょっと掃除をしてから早めに休んじゃいましょう。休息も大事、よね。


 わたくしは部屋の掃除を初めて――気付けば部屋がピカピカになるまでやってしまった。一度始めると気が済むまでやりたくなるのよ。


 床が光っているように見えるし、窓もピカピカ。心地良い空間って最高だわ。それに――……なんといっても、レグルスさまからいただいた花がある。ふんわりと柔らかい、花の香りに心が癒されるきがした。


 個人的に花をもらうのも、初めてだったかも。


 ぼんやりと考えていると、扉がノックされた。


「はい?」


 こんな時間に誰が? と思ったら、現れたのはクロエだった。彼女の手にはなにかが握られている。


「行きましょう、か……マーセルさま! 許可をもぎ取ってきました!」

「え? クロエ!?」

「ほら、早く!」


 許可って? とたずねる前に、クロエはわたくしを部屋の外に出して、ぱたんと扉を閉めて鍵をかけた。


 そして、わたくしの手を握るとパタパタと寮の裏門に向かって走り出す。


 いったいなんの許可をもぎ取ってきたのかしら、と考えて――あ、と思った。


『ホテルはもう取ってあるんだ』


 レグルスさまの言葉を思い出す。寮に戻ったときにデートは終わりという感じだったから、冗談だったのかしらと思っていたのだけど……そうではなかったようね。


 ただ、あのとき外泊許可をもらっていなかったから、クロエが取りに行ってくれたということなのかしら?


 それでも、まだ彼らと……レグルスさまと一緒にいられると思うと、なんだか胸がドキドキとしてきて、不思議な感覚だった。


 裏門まで行くと、レグルスさまとブレンさまが馬車の前に立っていた。


 そしてレグルスは開口一番、「ごめん、浮かれていて許可取るのを忘れていた」と謝った。浮かれていて? と首をかしげると、ブレンさまがくすくすと笑い越えを上げる。


「レグルスさまね、カミ……マーセル嬢とデートって張り切って用意したのに、肝心の外泊許可を取ってなかったので、慌てて寮に戻ってきたんですよー」


 もしかして、あのとき相当焦っていたのかしら? 表に出さないだけで。


 そして、わたくしとのデートを、そんなに張り切ってくれるなんて……。人に大切にされた覚えがないから、なんだかすごく胸がいっぱいだわ……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る