リンブルグの話。

「それは……酷いな」


 ぽつりとレグルスさまがつぶやいた。それに同意するように、ブレンさまもうなずく。


 わたくしもうなずいてしまった。クロエの才能は一番抜きん出ていると思っていたのだけど……だから、目を付けられてマティス殿下の主治医に?


「それに私、貴族ではありませんから」

「え? そうだったのかい?」


 レグルスさまが驚いたように目を丸くした。


 彼女の出身について、わたくしは詳しくない。ただ、とても優秀で真面目な人。そして――正義感が強いということだけは知っている。


「私は――孤児院出身なんです」

「孤児院から、医者へ?」

「はい。孤児院で毎月行われるテストで一位をキープしていたら、声がかかりまして。医者なら稼げると思い……まぁ、こんな性格ですので、煙たがれているんですけどね」


 肩をすくめてから、お代わりのコーヒーを飲むクロエに、わたくしたちは顔を見合わせた。


 カフェオレを飲み終えてしまったから、わたくしもお代わりを注文する。レグルスさまもコーヒーを飲み終えたからお代わりをした。


 ブレンさまは相変わらずパフェを美味しそうに食べている。


「ですので、このままここに居るのもどうかなぁと考えていまして! 転職しようかと!」

「転職?」

「はい。医者をやめて侍女に!」


 わたくしを見てにっこりと微笑むクロエに、心がざわついた。


 だって、だってそれは……わたくしとともに、リンブルグへ行ってくれるということよね……?


 口を開く前に、お代わりが届いた。それを受け取って、胸元に手を置き、何度か深呼吸を繰り返す。


「……クロエは、わたくしのそばにいてくれるの……?」

「はい、カミラさま。そのつもりです。私をカミラさまの侍女にしてください。といっても、侍女らしいことなんて、一度もしたことがないんですけれどね」


 医者という職業を捨てて、わたくしの手を取ってくれるの……?


 視界がぼやけてきた。クロエはハンカチを取り出して、わたくしの目元を優しくぬぐう。ダメね、今日も泣いてしまうなんて……


 だけど、これは昨日のような涙じゃない。


 彼女がわたくしのことを思ってくれるのが嬉しくて出る涙だから……許してちょうだいね。


「それで、どうでしょうか。移住してきた者にも、リンブルグは優しいですか?」

「ああ。知っているかい? リンブルグはこの大陸の中で一番、移住者が多いんだよ」

「よく、暴動が起きませんね?」

「ならないように手は打ってあるからね」


 ということは、移住者にも国民にも優しい制度があるということ、よね。


 実際はどうなのかしら、リンブルグ……本当に興味深いわ。涙を拭いて、わたくしたちはレグルスさまとブレンさまへ視線を向けた。


「まず、リンブルグで三年間の移住の権利を得る。そのあとは、仕事を探してもらって、一度職に就く。そのまま三年間働いてもらったり、結婚したりすれば永久移住権を得られる」

「同じ仕事を三年?」

「いや、職にも合う、合わないがあるだろう? いろいろ試して三年以上リンブルグで働けば、移住権がもらえる。リンブルグは気候が良いから、植物や野菜、果物がよく育つんだ。農家の人たちの手が足りないから、最初は大体農家に連れていかれるね。美味しい野菜や果物が食べ放題だよ」


 なるほど。確かに、たくさんれるなら人手は多いほうがいいわね。ちらりとブレンさまを見ると、うんうんとうなずいていた。リンブルグの食事はとても美味しいみたいね。


「僕のお勧めは………………いっぱいありすぎて、わかりません!」

「だと思った。ちなみにレディたちにお勧めするのは、チーズケーキ。濃厚で美味しいって評判が良いよ。黒コショウや塩を振ればおつまみにもなるしね」

「なんだか、レディ扱いされるのは気恥ずかしいですわね……」


 額に手を当ててつぶやくと、みんなでわたくしを見たあと、わたくしも含めて同時に笑い出した。友人と会話をするときって、こんな感じなのかしら?


「ワインとチーズケーキ……」


 ぽつりつぶやくクロエに、もしかしたら彼女はお酒が好きなのかもしれないわね。


 もしも――もしも、本当にわたくしについてきてくれるのなら、そのときは一緒にお酒を飲みたいわ。


「良いですね。赤も白もロゼも美味しいですよー」

「まぁ……! わたし、お酒の中で一番ワインが好きなんです。飲むのが楽しみです!」


 クロエはわたくしに顔を向けた。その目はキラキラと輝いていて、ふふっと口元を隠して笑う。嬉しい。彼女はわたくしと同じ考えなのだろうと感じたから。


「リンブルグへはどうやって行きますの?」

「途中まで馬車で。あとは、転移魔法か海路かを選べるよ」

「転移魔法か、海路?」

「リンブルグは広いんですよー。王都は海上にあるので、陸路より海上を移動したほうが楽なんです」


 王都が、海上に……海上。海の上? だから海路が……って、あら? リンブルグってそうだったかしら? わたくしが困惑していると、レグルスさまが肩をすくめた。


「ここ一年くらいの出来事だからな、それ。俺が継ぐ頃にはもう少し増えていそうだよな」

「陛下が張り切っちゃってますからねぇ。伯父としては、甥に良いところを見せたいんじゃないですか?」

「優秀な人材はいつでも募集しておかないと、手が回りそうにないな」


 やれやれとばかりに首を横に振るレグルスさま。


「もちろん、一番はきみが俺と婚約してくれることだけど」


 そして急に、そんなに優しいまなざしを向けないでほしいわ……!


 鼓動がバクバクとうるさい。わたくしがなにも言えずにカフェオレを飲むことで誤魔化そうとすると、クロエはわたくしたちを交互に見た。


「あれ、クロエさんはなにも聞いてなかったんですか?」

「レグルスさまに『もしかしたら、カミラ嬢はリンブルグに来てくれるかも』程度にしか聞いてなかったので。ちょっと待ってください、いつの間にそんな仲に?」


 ああ、クロエ。貴女あなた、こういう会話も好きなのね。食いつきがすごい。


 ブレンさまはパフェを食べ終わったと思ったら、ガトーショコラを注文した。


 この人の胃は本当にどうなっているのかしら……?

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