授業態度の改善。

 とりあえず、トレード後のマーセルが、マティス殿下の隣に立っていても大丈夫なように、いろいろと模索しなくてはいけないわね。


 わたくしの今後の身の振り方も。


 家族に愛されようとがんばって隙のない公爵令嬢を演じていたけれど、家族はわたくし自身には興味を持たなかった。


 愛されようともがけばもがくほど、どん底に落とされることを知った。それでも諦めきれなくて、努力だけはおこたらなかったのよ、わたくし。


 マティス殿下の婚約者として発表されたあとも、『第一王子に相応しい婚約者』であり続けようとした。


 ……隙のない女性って面白味が欠けるのかしらね。マティス殿下はこの学園に入ってから、あっという間にマーセルと恋仲になってしまった。この学園に通うのは貴族しかいないから、『カミラ』がマティス殿下の婚約者だと知らない人はいないのよね。


 ちなみに今は、ホールから教室に移動して、チクチクと刺繍を作っているわ。いろいろ考え事ができてちょうどいいわね、この作業。


 公爵家の令嬢として叩き込まれた刺繍の腕も、ここで発揮できるとは……。なんでもプラスになるものだわ。やっていて良かった。


 ……それよりも、ぐちゃぐちゃになっている『マーセル』作の刺繍のほうが気になるわ。明らかに彼女以外の手が加わっているのだもの。……こんなことをしているのがこの国の貴族だなんて、本当に悲しいことだわ。


「マーセルさん、とてもきれいな刺繍ですね」

「ありがとうございます、先生。少々難しいところがあるのでおたずねしたいのですが……」

「はい、構いませんよ」


 先生は丁寧に教えてくれた。きれいな刺繍を作り上げるのはなかなか大変よね。


 それにしても……教室がこんなにしんと静まり返っていると、逆に不気味だわ。


 チクチクと針を進めながら、ぼんやりとそんなことを考えつつ、バラの刺繍を終えた。


 うん、我ながらうまくできたわ。作り上げたものを先生に渡すと、先生は受け取って「お疲れさまでした」と微笑む。


 刺繍の時間はこれでおしまい。できあがった人から休憩時間になるようで、終わった人は教室から出ていく。なんとも緩い授業ね。次の授業まで暇になったし……ちょっと散歩しようかしら? 西棟に来ることってないから、今のうちに見て回りましょう。


 西棟を歩いてみたけれど、東棟とあまり変わらなかった。ちょっと教室の数が多いくらいかしら?


 傭兵学科と召使学科って、騎士学科と魔術師学科より教室が多いのね。それだけ学生の数も違うのかも。あまり考えたことはなかったわね。


「あら、花壇」


 ……育ってないけど。


 わたくしがしゃがみ込んで花壇を眺めていると、後ろから声をかけられた。クロエだったわ。びっくりした。


「どうしたんですか、そんなところで」

「クロエこそどうしたの? 貴女あなた、殿下の主治医よね……?」

「その殿下から、マーセルの様子を見に行くように言われたので……身体の調子はどうですか?」


 マティス殿下ったら、心配性なのね。知らなかったわ。彼、そんなに優しいところもあったのね。


 ……いいえ、おそらく彼が優しいのは『マーセル』にだけなのでしょう。特別なのね、彼にとって彼女は。


 そう考えても、胸がちっとも痛まないから、やっぱりわたくし……マティス殿下のことが好きではなかったのね、と改めて感じてしまったわ。


「すこぶる元気よ。ああ、でも……マティス殿下からのお誘いは全部断るつもりよ。二人きりになるつもりはないの」

「……そう、ですね」


 マーセルがマティス殿下の隣に立てるようにするには、まずこの関係をきちんとしなくてはいけないでしょう。わたくしからマティス殿下に婚約を白紙にするように提案してみようかしら。クロエに立ち会ってもらうのも良いかもしれないわね。


「ねえ、クロエ。知っていた? 『マーセル』が嫌がらせを受けていたこと」


 クロエは黙った。沈黙は肯定とよく言うわよね。……知っていたのね。


 別に責めるつもりはないのよ。彼女はマティス殿下の主治医としてこの学園に来ているのだから、学生同士のいざこざに巻き込むつもりはないもの。


「どうして『マーセル』が嫌がらせを受けるようになったのか、知っているのなら教えてちょうだい?」


 クロエの瞳が揺れる。彼女は辺りを見渡して、誰もいないことを確認すると、わたくしの隣にしゃがみ込んでぽつぽつと話し始めた。


 どうして、『マーセル』が嫌がらせを受けていたのかを。


「元々、『マーセル』はとてもよくできた子でした。男爵令嬢として、胸を張って学園の授業を受けていたのを、見たことがあります。ですが、ある日……ぱたりと彼女は魔法を使えなくなったのです。この国で魔法を使えない人はいないでしょう? その頃から、授業を休みがちになり、部屋にこもるのもいやだったのか、授業を堂々とさぼるようになったらしいです」


 クロエは淡々とした口調で教えてくれた。


「屋上でこっそりと泣いているときに、マティス殿下と出会い、慰められたそうです。殿下はマーセルを励まし、彼女が魔法を使えるように様々なことを試した……とのことです」

「詳しいのね」

「すべて、マティス殿下から聞きました。……それで、一緒にいる時間が長くなり、それを面白く思わない学生たちが、『マーセル』のことを排除しようと嫌がらせが始まったみたいです」


 ……なるほど。彼女にそんな事情があったとは知らなかったわ。


 マティス殿下が『マーセル』のそばにいたのも、そういう理由があったのね。


 きっと、一緒にいるうちに惹かれていったんでしょうね……ロマンチックな話だわ。なんて、つい考えてしまった。

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