ダンスレッスン。

 わたくしが最後かしら? ホールに集まっている人たちを眺めていると、ぽんと肩に手を置かれた。振り返るとマティス殿下がいた。……まぁ、いるわよね、騎士学科だものね。


「身体の調子はどうだい、マーセル」

「そこそこですわ、マティス殿下」


 あまり声をかけてほしくない。ほら、こっちを見ている人たちの多いこと多いこと! 不躾な視線を受けて居心地が悪い。……でも、こちらを見る人たちの気持ちもわかる。


 わたくしだって、関係なければ見ていると思うわ。


 とはいえ、先生がすぐに来たから、みんなの視線は先生に集中した。刺すような視線を感じるけれど、今は気にしない。


「それでは、本日のダンスレッスンは……」


 先生がワルツに話して、騎士学科の人とワルツの練習をすることに。マティス殿下がわたくしに手を差し伸ばした。……ここで拒否するのはだめよね。足、踏んじゃおうかしら。


 ああ、でもそうしたら彼のことだもの、「気にしなくて良いよ、マーセル。ステップの確認をしよう」なんてマーセルと踊り続けそうね。


「マーセル」

「はい、マティス殿下」


 愛しそうに、マーセルの名を呼ぶマティス殿下。


 わたくしの心はびっくりするほど動かなかった。


 親同士で決めた、婚約者。ずっと彼に気に入られるようにならなきゃって思っていた。それも、間違いだったのかもしれないわね……。割り切った関係にしようとも思ったけれど、わたくしは愛したいし、愛されたい。


 ……それが叶わないことだと、知ってしまった。


 マティス殿下がわたくしの手を取って、ぐっと引き寄せてホールドする。音楽に合わせて踊り出すと、不思議なことにいつものように踊れた。身体がついていかないんじゃないかって、少し不安だったのだけど……わたくしったら天才なのかしら? なんてね。


 あまりにもスムーズに踊られるからか、彼は意外そうに目を丸くしたけれど、すぐに笑みを浮かべた。なにを考えているのかはわかる。『がんばったね』と顔に書いてあるから。


 わたくしもにこりと微笑みを浮かべる。ダンスのときは笑顔が基本。パートナーに不愉快な思いをさせないためにもね。


 あまりにも上手に踊れたからか、先生がわたくしたちに近付いて、パンパンっと手を二回叩いて動きを止めさせた。


「驚きました、今日は一度も殿下の足を踏んでいませんね」


 マーセル……あなた、どれだけマティス殿下の足を踏んでいたの? ちょっと気になるじゃない。


「これなら、他の人と踊っても大丈夫そうですね。誰か、マーセルの相手をお願いします」

「え、ちょっと待ってください、先生……」

「先生、それなら俺が。マーセル嬢の相手をしますよ」


 レグルスさまが立候補した。マティスは意外そうに目を丸くして彼を見た。レグルスさまはわたくしに向けてパチンとウインクをしてから、近付いた。そして、胸元に手を当てて、右手を差し出す。


「レディ、俺と踊っていただけますか?」

「――喜んで」

「マーセル!?」


 踊りたいようにマティス殿下が『マーセル』の名を呼ぶ。わたくしはこっそりとマティス殿下につぶやいた。


「マティス殿下と踊りたい令嬢は、たくさんいらっしゃいますわ。わたくしだけがマティス殿下を独占するわけにはいかないのです。……どうか、彼女たちのお心をご理解ください」


 と言ってみた。彼はじーんとしたようにわたくしを見て、残念そうに眉を下げて、「わかった」と首を縦に振る。


 実際マティス殿下と踊りたい人は、たくさんいたみたいで……彼がフリーになったら一気に令嬢たちが彼のもとに集まっていった。


 わたくしはレグルスさまの手を取ってワルツを踊る。彼はリードするのが得意みたいで、びっくりするくらい踊りやすかったわ。


「今日の放課後、迎えにいくよ」

「ええ、お待ちしております」


 レグルスさまは踊りながらそう口にした。わたくしが微笑んで答えると、興味深そうにわたくしを見る。それにしても、本当に踊りやすいわ。


「レグルスさまはワルツが得意ですの?」

「公爵家の人間だからね、叩きこまれただけさ」

「あら? 王太子……ですわよね?」


 公爵家の人間? と疑問を抱いて言葉をこぼすと彼は少し考えるように唇を閉じてから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「残念ながら陛下と王妃の間に子どもができなくてね。公爵家の人間の中から、俺が選ばれたの。で、陛下たちの養子に入るための条件が、この国で妃を見つけること」


 ……それは、また。どうしてこの国の人じゃないとダメなのかしら?


 聞いてみたいけれど、他国の事情に足を踏み入れて荒らすのは、淑女レディのすることではないわよね。


「……大変ですのね」

「まぁね。でもまぁ、気になる人は見付けたし」

「まあ、それは良かったですわ」


 踊りながら会話をしていると、あっという間にダンスレッスンの授業が終わった。


 レグルスさまとわたくしは特に注意されることもなく、むしろ先生から褒められるほどのワルツを踊れたわ。


「お相手、ありがとうございました」

「こちらこそ。楽しい時間をありがとう」


 にこりと微笑むレグルスさまに、わたくしも微笑みを浮かべ、カーテシーをしてから次の授業を受けるために移動する。


 ちらりとマティス殿下に視線を向けると、彼はまだ令嬢たちに囲まれていた。第一王子である彼の寵愛を受けたいという学生はかなりいるから、みんな話したいみたい。次の授業に遅れないと良いのだけど。


 助けを求めるようなマティス殿下の視線に気付いたけれど、小さく頭を下げてホールをあとにした。そのときの彼は「どうして置いていくんだ!?」と顔に書いてあった……気がするわ。


 マティス殿下に構わずホールをあとにするわたくしを、みんなが意外そうな目で見ていたわ。


 ……マーセル、本当に貴女あなた……いったいどれだけ、彼のそばにいたの……?

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