慰謝料って請求して良いのかしら?
わたくしは、マーセルがどんなふうにマティス殿下と接していたか知らない。なので、下手に芝居をするよりは、わたくしはわたくしのまま彼と接したほうが良いかしら?
今の彼なら、『マーセル』の中身が『わたくし』だと疑いもしないでしょうし。
彼はすっと手を差し出した。エスコートをするつもりみたいね。わたくしのときはそんなこと、こちらから言わなければしなかったのに。
本当、いろいろな意味で複雑な気持ちにしてくれるわね。
そっと彼の手を取ると、ふわりと身体が浮いた。
「ま、マティス殿下!? わ、わたくし、自分で歩けますわ!」
「いいや、ダメだよ。昨日は激しく愛してしまったからね」
「――ッ!」
……ああ、そう。そうなの。そういう関係なのね。婚約者がいながら……呆れてなにも言えないわ。
大人しくなったわたくしをどう思ったのか、彼は上機嫌で保健室まで足を進めた。
保健室には女性がいた。見覚えがある。マティス殿下の主治医の一人だ。彼女は『マーセル』を厳しい目で見ていた。彼はわたくしを椅子に座らせると、両肩に手を置く。
「階段から落ちたんだ。
「……かしこまりました。殿下のお心のままに。……女性の治療ですので……」
「ああ、そうだね。いくら私が彼女のすべてを見ているといっても、恥じらうだろうからね」
パチンとウインクして彼は出ていった。ぞわっと鳥肌が立ったわ。なにあれ、本当にマティス殿下なの? あれが? 本当に?
「あなた、本当にどういうつもりなの? 階段から転がり落ちて、殿下の気を引こうという作戦?」
二人きりになった途端、彼女が冷たい声を浴びせてきた。まぁ、確かにそう思うわよね、この状況では。
「だんまり? まぁ、良いわ。殿下に言われたから治療はしてあげる。本当、どうしてあなたみたいな人が殿下の
彼女はいやいやながら『マーセル』を治療してくれた。
階段から転がり落ちたというのに、かすり傷だけだった。丈夫なのね、この身体。
てきぱきと治療をしてくれる彼女を眺める。確か、王城で何度か会ったことがあるわ。陛下が抱えている医療班のひとりだったはず。
真面目過ぎて、この学園に追い出されたのよね。マティス殿下の主治医として。とはいえ、彼には別の主治医がついているので、彼女はこの学園で保険医の手伝いをしている……らしい。
彼女はとても正義感が強く、曲がったことが大嫌いだと聞いている。だから、マティス殿下とマーセルのことも良く思っていないのだろう。
「……ありがとうございました、クロエさま」
「……どうして私の名を、知っているの?」
名前を呼んだら、
「もう部屋に戻りなさい」
「はい。ありがとうございました」
立ち上がってカーテシーをすると、クロエは複雑そうにわたくしを見る。
「それでは、失礼します」
くるりと
もしかして、もうわたくしがマーセルではないとバレたの?
マーセルを演じるつもりはないので、バレたらバレたでよいのだけど。
「さっきから、私に対する態度がマーセルではないわ。それに、彼女は絶対に私の名を口にしない。殿下が話すこともないでしょうから」
「――ふふっ、素晴らし
くすくすと笑いながらそういうと、彼女は大きく目を見開いて「……カミラさま?」とつぶやいた。
婚約者にも気付かれていないのに、あまり接したことのない彼女が先に中身が違うことに気付くなんて、なんだか不思議だわ。
「……信じられません……。どうして、マーセルの中にカミラさまが……?」
「わたくしもよくわからないの。マーセルが階段を転がり落ちたとき、わたくしとぶつかって……目を開けたら中身が入れ替わっていたのよ」
「……魔法でもかけられたのでしょうか……?」
人格を入れ替える魔法なんて、あるのかしら? あとで図書館で調べてみましょう。
「ねえ、それより聞きたいことがあるのだけど……。マーセルとマティス殿下が婚前交渉をした場合って、わたくし、慰謝料を請求しても良いかしら?」
首をかしげて問うと、クロエはふっと微笑みを浮かべて「もちろんですわ」と答えてくれた。
そうよね、良いわよね。……その前に、元の身体に戻ることを考えないといけないけれど、ね。
「わたくしはこれから、『マーセル』の評判を上げるわ。逆に、マーセルは『わたくし』の評判を落とすでしょう」
マーセルがわたくしの評判を上げられるとは思わない。でも、わたくしは彼女の評判を上げることができるはず。公爵家の令嬢として、生きてきたわたくしには。
彼女には、がんばってわたくしの評判を落としてもらわないといけないわね。マティス殿下との婚約を白紙にしてもらうために。
――わたくし、彼の妻になるのは絶対にいやだわ。そして、公爵家の生贄になるのも、絶対にいや。勘当されたいほどに。
そのために……しっかりと公爵家を振り回してちょうだい、マーセル。
慰謝料は、しっかりと請求させてもらうけれどね!
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