トレード!! ~婚約者の恋人と入れ替わった令嬢の決断~

秋月一花

入れ替わり!?

「きゃぁぁあああッ!」

「え? きゃあっ!」


 とある日、そろそろ家に帰ろうと廊下を歩き、階段前に差しかかったところで、


 ごつん、と鈍い音を立てて額と額がぶつかり、二人とも倒れ込む。慌てて顔を上げて視界に入った人物に目を大きく見開き、息をんだ。


 ストロベリーブロンドの柔らかな巻き髪。痛みに耐えて涙がにじんでいるすみれ色の瞳。メイドたちのスキンケアのおかげでつるつる、つやつやしている――鏡の中でいつも見ていた、自分の姿。


「大丈夫かい、マーセル!」


 焦ったように駆け寄ってきたのは、『わたくし』の婚約者であるこの国の第一王子であるマティス殿下。明るい茶色のショートカットの髪に、エメラルドグリーンの瞳。眉を下げて心配そうにこちらを見ている。倒れ込んでいる『わたくし』――カミラ・リンディ・ベネットを一瞥いちべつした。


 彼が心配しているのは『わたくし』ではなくて、この身体の持ち主――……


「ううん……」

「きみがマーセルを突き落としたのか!?」

「え? え? どうしたのですか、マティスさま……」


 びっくりしたように目を丸くして、『わたくし』がマティス殿下を見た。……というか、この状況でどうして『わたくし』が彼女を突き落としたと思えるのか。本当、『マーセル』に惚れてから彼の頭のネジはどこかに飛んでいっちゃったみたいね。


「気色悪い声をださないでくれないか。さあ、マーセル。こちらへおいで」

「は、はい」

「きみではない、カミラ。あまり私に近付かないでくれ。マーセルが傷つくだろう」


 わたくしはいったい、なにを見ているのかしら? 小さく息を吐いて、戸惑いの表情を浮かべている彼女に近付いた。


「申し訳ありません、マティス殿下。わたくし、カミラさまにお話がありますの。二人きりで」

「しかし、それはあまりにも危険ではないか?」


 彼にとって『わたくし』は危険人物なのね。愛されていないことは知っていたけれど、チクチクと胸が痛むわ。


「大丈夫です。ねえ、『カミラさま』?」

「え? ええ……」


 彼女ははっとしたように顔を上げ、こちらをじっと見ている。そして、きゅっと唇を結んで神妙な表情でうなずいた。


「それでは、ごきげんよう」


 すっとカーテシーをして、彼から離れる。他の学生たちも、わたくしたちのことを見ていた。その視線を振り切るように彼女の手を取って歩きだす。


 そして、空いている教室に入り、扉を閉めて――目の前の『カミラ』を見つめた。


貴女あなた、マーセルね?」

「はい。……では、あなたはカミラさま? これはどういうことですか? 私が憎いから……マティスさまを奪ったから、こんな嫌がらせを!?」


 被害妄想もここまでくれば天晴あっぱれね。ふるふると震えて泣く姿を見て、わたくしが作り上げた『完璧な公爵令嬢』の像がガラガラと崩れていくことを予感し、長々とため息を吐く。


「がんばってマティスさまを手に入れたのに……!」

「貴女、がんばるところが違うのではなくて? ここは学園よ?」


 王立レフェーブル学園。


 わたくしたちはそこの学生だ。


 この学園は学生たちが自分の得意な分野で就職できるようにサポートしてくれる学園なので、学生数は多い。


 選べる学科は騎士、傭兵、魔術師、召使となかなか自由。


 女性でも騎士を目指す人もいるし、男性でも召使を目指す人がいる。その人たちをサポートするのが、この学園だ。


 わたくしは『魔術師』、マーセルは『召使』を受講しているから、頻繁に顔を合わせることはなかったのだけど……なぜかここ最近、マーセルはわたくしの前に現れてマティス殿下とイチャイチャしているところを見せつけてから去っていた。


 嫌がらせ、よね。


「カミラさまがすぐに婚約破棄してくれなかったから……!」

「お言葉ですけど、わたくしとマティス殿下の婚約は生まれたときから決まっていたのよ。婚約破棄を願うなら、いろんな人に話を通さないといけないの。……ああ、ちょうど良かったじゃない。貴女、わたくしの身体になったのだから、両親に婚約破棄をお願いしたらいいわ」

「……! そっか、そうよね! 私、がんばって説得してみせます!」


 ぱぁっといきなり表情が明るくなった。……わたくしの顔でそんな顔をされると、なんだか別人のように見えるわ。


「善は急げ、今すぐに伝えてきますわ!」


 意気揚々と教室を出ていくのを眺めながら、……ベネット邸まできちんと辿りつけるのかしら? と小首をかしげる。メイドたちも、家族も、あんな『わたくし』を見たらどう思うかしらね。


 お母さまは間違いなく怒り狂うだろうから、明日ちゃんと学園に登校できるかも怪しい。


 両肩を上げてゆっくりと息を吐く。


 公爵家の令嬢――カミラ。それがわたくしの名前。


 生まれたときからの婚約者、マティス殿下とはあまり良い関係を築いているとは言えない。


 だって、彼はこのレフェーブル学園で男爵家の令嬢、マーセル――この身体の持ち主と、付き合い始めた。


 わたくしと彼が出会ったのは三歳の頃。両親と一緒に王城まで足を運んだ日……婚約者として紹介された。そこから、わたくしの地獄が始まったのよねぇ。


 マティス殿下は第一王子だから、彼を支えられる人になりなさいって。いろんなことを叩き込まれたのよね。できなかったら失望のまなざしを向けられたり、『その程度のこともできないの?』と責められたりとなかなか大変だったわ。


 ――さて、彼女はどのくらい耐えられるかしらね?


「マーセル、ここにいたのか……!」


 教室の扉が開いて、マティス殿下が笑みを浮かべながらわたくしに……いいえ、『マーセル』に近付いてくる。


 マーセルを前にすると、そんな優しい表情を浮かべられるのね。なんだかいろいろと複雑な気持ちだわ。


「大丈夫かい? カミラにいじめられなかった?」


 こんなに甘い声で……マーセルとは話すのね。『カミラ』の前とは大違い。


 彼のことは好きでも嫌いでもないと思っていたけれど、もはやどうでもいいに変わっていったのは、入学してからあっという間だったわ。


「大丈夫ですよ。ただ、お話をしていただけですもの」

「そうかい? ……まぁ、きみがそう言うのなら、信じるよ」


 そっとわたくしの頬に……いいえ、この身体の持ち主はマーセルだったわ。


 マーセルの頬に触れて愛おしそうに目元を細める彼に、わたくしは頭が痛くなってきた。


 婚約者がいながら、『マーセル』と恋人になった彼の考えがまったくわからない。


「階段から落ちたんだ。医者にてもらおう?」

「え、ええ……」


 わたくしに対する態度と、『マーセル』に対する態度があまりにも違いすぎて引いてしまう……のは、仕方ないことよね?

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