第22話 お守り
「聞いたよ! ヘレン! レオン様たちと海に行くんだって?」
「私は行かない」
「アリサも行きたい!」
「アリサ……これはピクニックじゃないんだ」
「えー? アリサ、久しぶりに海行きたい!」
「海には呪いがかかってるって知っているか?」
「知ってるよ! でもアリサとママと行ったことあるよ? 平気だよ?」
「でも危ないものは危ない」
「平気だよ! ヘレンも行くんでしょ? ヘレンが守ってくれるんでしょ?」
アリサは机から身を乗り出してまでに期待してくる。一体誰がアリサにそう言ったのだろうか。いや、考えなくてもわかる。あのしつこくお願いだと迫ってくるレオンに違いない。今現に彼はこちらを見てまたしても微笑んでいる。
「……どうしても行きたいのか? 海だぞ? 危ないよ?」
「うんうん! 行きたい!」
「メアリーさんは?」
「いいよって言ってくれたよ!」
「……じゃ、じゃあ、フィルはどうだ? 反対しただろ?」
「フィルなんて知らないよ。フィルも一人で置いてけぼりにされちゃう気持ち、味わえばいいんだから!」
最後の頼み綱だったメアリーさんから、少しの期待を寄せていたフィルまで、アリサは止められなかった。アリサが行くというのなら私も行くしかない。海から手がかりを得ようだなんて馬鹿馬鹿しい。海は全てを飲み込んでしまうのだ。今さら何を探しに行くのだろうか。
そして次の日、「アセビ」の定休日。結局、私も海に行くことになった。アリサは相変わらずのキラキラ輝いた目でいて、何故かルイスもいつも以上に興奮していた。
「では! アリサ、準備万端ですっ! 早速海に行きましょー!」
「おー!」
「なんでルイスまでそんな乗り気なんだ」
「だってさ、よくよく考えてみてよ! 痛くなるのはオレの手じゃなくてレオンの手だよ? そのレオンが行く気なら、オレがどうこう言っても仕方ないよね。それなら海に入らず、安全に! オレはオレで楽しもうと思う!」
「そう! アリサもみんなでピクニック楽しみー!」
「楽しみー!」
レオンが言うには海には入らなければ呪いにはかからないそうだ。少なくとも黒い痣にはならない。少し気持ち悪くなる人もいれば、アリサのように完全になんともない人もいる。レオンは今日も黒い手袋をしており、だんだんと海が近づいて来ているというのに、少しも表情を変えない。
「ヘレンは楽しみ?」
「……そんなわけないだろ? 私が今ここにいるのは誰のせいだと思う?」
「アリサのせい?」
「違う。お前のせいだ」
「そう? お願いを聞いてくれたのはヘレンでしょ?」
「では、無理矢理そうさせたのは誰だ?」
「ヘレンがアリサのことちゃんと大切にしているからだよ。ヘレンが優しいせいだよ」
「……」
なんと返せばいいのかわからない。肯定か否定かをすればいいのだろうか。それとも私を煽てようとしても何も得られないことを教えた方がいいのだろうか。
海に辿り着く前にはリリアの森があり、それを越えると、行先を塞ぐ強い結界が張られていた。
「あれ? ルイスたちどこ行くの?」
「結界の扉を開けに行くんだよ。レオンの家がこの結界を管理してるからね。ってあれ? アリサちゃんも海に行ったことあるんじゃないの? 扉から行かなかったのか?」
「普段はそう易々と扉を開けさせないよ。アリサたちはどこから入ったんだ?」
「え? あっちだよ! ほらほら、見て! ここ、割れてるでしょ? アリサが見つけたんだよ!」
「うわあ……ほんとだ。めちゃめちゃパックリと割れてんな。おい、レオン。これはお前、怒られるんじゃないのか? 最近の管理は全部お前が担当してるだろ?」
「アリサが最後に海に来たのはいつ?」
「えーと……六年前! ヘレン拾った日!」
元気よく左手と右手の人差し指を掲げて、アリサは言ってしまった。アリサもすぐに口を塞いだが、もうすでに遅かった。
「……ヘレンちゃん、海に捨てられたの!? なんてひどい親がいるんだよ! どこか海に触れたか? 呪われた!?」
「だ、大丈夫だ……」
納得させられる嘘をつくにもつけない。ここはもうルイスの勝手な妄想に合わせるしかない。
「結界はあとで直させる。今日は扉から通るよ」
レオンはそう言って結界の扉を開ける。結界はこちらから見ると、向こうの景色が見えないようになっている。
扉の先に広がっていたのは、六年ぶりの青だ。いや、昔よりもずっと暗い青をしているように見える。風はあの日よりも暖かかった。だが、あの慣れた匂いは相変わらずで、嫌でもあの日の情景が目に浮かぶ。私はやはり夢を見ていたのではないだろうか。こんなに白い砂浜があんな赤に染まることなんてあり得るのだろうか。この海に私はいただなんて信じられない。あの日も夢で、今も夢で、私は長い夢を見ているだけなのではないだろうか。
「……ンっ!……レン! ヘレン!」
「……っ! なんだ? アリサ」
「もう! ヘレンやっと気づいた! ほら、少し屈んで! アリサが首にぶら下げてあげるんだから!」
アリサは私に何かが入った小さな包みを通した紐を私の首にぶら下げた。
「……? なんだ? これは」
「お守りだよ! あ! 開けちゃダメだよ! ママのママが作ったんだって! 前にアリサが来た時もママがくれたんだ! これがあれば海なんて怖くないんだって!」
「へー! すごいじゃん! オレとレオンの分は?」
「え? ないよ? アリサとヘレンはママの特別なんだから、あって当たり前だけど、レオン様とルイスは自分のお守り使ってよね」
「……アリサちゃんさ、どうしてレオンは様で、オレは違うの?」
「だってレオン様は貴族様だけど、ルイスは違うでしょ? ママに失礼だったし、全然偉くなさそう。ルイスはレオン様の下僕でしょ?」
「はあっ? オレがレオンの下僕!? いつからそんな勘違いしてたの!? オレもちゃんと貴族だよ!? レオンに比べたら偉くないかもしれないけどさ、ちゃんと貴族だからね?」
「じゃあ、ルイスはアリサに『様』で呼んで欲しいの? 呼んであげないけどね」
「ア、アリサちゃん。オレだから許すけど、レオンだったら悲しくて泣いちゃってるかもだからね! オレだから許してあげるけど!」
「レオン様が泣くわけなくない? ルイス何バカなこと言ってんの?」
「ねえ! ヘレンちゃん! アリサちゃんって昔からこうなの!? 口悪くない!?」
「……少し」
確かにルイスの最初の印象はアリサにとって最悪だった。このような態度を取られても自業自得としか言いようがない。
「じゃ、じゃあ、この四人の中でお守り持ってないの、オレだけ!? 呪われるならオレが最初ってことか!?」
「レオン様もお守りあるの!? 見せて見せて!」
「いいよ」
そう言ってレオンは私たちと同じように首に下げていたお守りを出した。
「わあ! すごい! これ本物の真珠!?」
「そうだよ。白真珠だ。暗いところではすごく綺麗に光るんだ」
「へー! すごいすごい!」
「……あげないよ?」
「えー? アリサ欲しいって言ってないもん! ママのお守りが一番なんだから!」
「レオンのやつ、そのペンダントだけ誰にも触らせないんだよ。どれだけの金貢ぎ込んで買ったのか知らないけど、ケチだよね」
ルイスはきっとその昔にペンダントに触れようとしてレオンに怒られた経験があるのだろう。しかし、この白真珠、どうやら模造品ではなさそうだ。誰かに光が込められた痕跡のある代物で、レオンの言う通り、暗いところでは海のものと同じく光ることができる。ただ今はもう光はほとんどなく、正確には「光っていた」のだろう。白真珠に光を込める技術があるのは私たちだけで、人間のレオンには無理なことだ。残念ながらこの白真珠は、これからただの真珠になってしまうようだ。
レオンと目が合った。またあの目だ。どうしても悲しそうに映る。レオンに苦手な感覚を覚えるのはいつも決まってこの時だ。そこに埋められた翡翠が次の瞬間には落ちて来てしまいそうだった。慌てて目を逸らす。私に何かを求めているようだが、私はそれに応えることができない。
「ル、ルイス、お守りなら私のをあげる」
「え!? いいの? じょ、冗談で言ったんだけど……」
「私はいい。それにルイスは確かに一番に呪われそうだ」
「な、なんかヘレンちゃんも失礼じゃない?」
「えー!? ヘレンがつけなかったらアリサ、ルイスとお揃いになっちゃうよ? やだあ!」
「ちょっと!」
「ヘレンが呪われちゃったらダメだよ! ルイス、ヘレンにお守り返してよ!」
「オレはいいの!?」
「当たり前でしょ! ルイスが呪われるのとヘレンが呪われるのだと百万倍違うんだから!」
「……」
ルイスがついに黙り込んでしまった。ここで唯一お守りが必要でないのが私だ。ルイスが呪われるのはどうでもいいが、目の前でそうなっては、アリサの心の傷になってしまう。せっかく海に抵抗を感じてくれていないのだから、これからもそうあり続けて欲しい。だからルイスにはこれ以上抵抗せずに、素直に受け取ってもらい、アリサにも申し訳ないが、今だけはルイスとお揃いになってしまうのを我慢してもらいたい。
「じゃあ、ヘレンはこれをつけていればいいよ」
そう言ってレオンは首に掛けたペンダントを外した。
「あげないけどね?」
まだつけるとも言っていないのに、ペンダントはすでに私の首に掛かっていた。そんなに惜しければ、差し出さなければいいものの、よりによって一番需要のない私に貸してきた。これがお守りならば、この四人の中で一番需要のありそうなのがレオンだろうに、何を考えているのだろうか。
「レオンこそ、お守りなくて大丈夫かよ? ペンダントがあったからこそ、呪いが首の上まで染まらなかったんでしょ? 外したらもっとひどくなるよ」
「今日は入らないから大丈夫だよ」
「今日は? これから入る予定があんの!?」
「どうだろうね」
そのまま首にぶら下がったペンダントを見続けていると、どこか懐かしいような気がした。何か大切なことを見逃している気がするのに、思考には薄い靄がかかる。だんだんと頭が痛くなってきた。それはその何かを考えようとするたびにひどくなる。ついに目の前が真っ暗になる。アリサの焦った声が響いてきたのだけは、はっきりとわかった。
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