第21話 死にたがり
「お願いだよ。ヘレン! いいだろ?」
「嫌だ!」
「どうしても?」
「どうしてもだ!」
「なんで?」
「なんでも!」
この調子でレオンは朝から私について回る。レオンは海に行きたいのだそう。そしてそれに私を巻き込もうとしている。この六年間、私は一度も海に近づいたことがない。もう他の陸の住人のように暮らしていける。それならもうあの暗くて冷たいところになんて戻りたくない。
「二人でなんの話してるの!」
アリサがキラキラした目で見てくる。
「アリサ、また予言してあげようか?」
「ほんとっ? いいよいいよ!」
「……レオンが予言しなくても私が言ってあげるよ」
「え! ヘレンも預言者なの!?」
「アリサ、その積み上げた皿、落ちそうだ」
「え? うわっ!」
そう言った次の瞬間、レオンは一番上から落ちてきた皿を空中で掴んだ。
「ほらね。落ちたでしょ?」
「……昨日もアリサ思ったけどさ……レオン様、これって詐欺って言うんじゃないの? 悪いことに使っちゃダメだよ?」
「詐欺じゃないよ。予言だ」
「でも、なんかアリサが知ってる予言と違うよ?」
「そう?」
「じゃあ、もう一回! 次はアリサがなんて言おうとしてたか当ててよ! そうしたら信じる!」
「……でも、メアリーが呼んでるよ?」
「え? ママ呼んでないよ?」
「これから呼ばれるよ」
奥からメアリーさんの声が響いてきた。
「アリサー! お皿はー?」
「は、はーい! ママ! 今行く!」
アリサはまた不思議そうなそれでいて、やっぱり納得できなそうな顔をした厨房へと向かった。
「で、ヘレン、心変わりしてくれた?」
「するわけがないだろ」
「何もしなくていいんだよ? ただついてきてくれればいい」
「それなら私がついていく意味がないじゃないか?」
「ついてきてくれるってこと?」
「……違う」
「お願いだよ、ヘレン」
「……海が怖くないのか?」
「……怖くないよ」
「呪いは?」
「……入らなければ大丈夫だ」
まるで体験したことあるかのような言い草だ。海に恐怖心を抱いていないというのは嘘だろう。レオンは明らかに他の人間とは違う。一体何者なのだろうか。
「なあ、レオン! そっちはなんか進展ないわけ? オレもう疲れた! 誰に聞いてもあの変な信憑性のない噂ばっかりだしさ……同じ話を何回聞けばいいんだよ!」
ルイスはいきなり現れたかと思うと、レオンの肩に腕を乗せ、いかにも疲れた顔をした。確かに昨日からルイスは店中で聞き回ってはいるものの、大した手がかりは得られていない。客たちが話す内容はどれも似通ったもので、海に関して触れた話題は一つもなかった。
「明日海に行こうと思う」
「はっ? 何言ってんの? 死ぬよ?」
「別に入るわけじゃないんだ」
「いやいや。前もそう言って死にかけてたじゃん! まだ呪いだって残ってるだろ?」
「レオンは前にも海に入ったことがあるのか?」
「そうなんだよ! こいつ定期的に死にたがりになるんだよ! 昔っから海に入りたがってさ……ほら!」
そう言ってルイスはレオンがつけている真っ黒な手袋をとった。思えばレオンは出会った日からずっと手袋を着けている。潔癖があるのかと思っていたが、手袋したから指先まで真っ黒な手が現れた。墨色の痣は、よく見ると細かい呪文たちが絡まってできたものだった。
「こ、これが海の呪いか……?」
「そうだよ。やべーよね? こいつが初めて海に入った時は、体半分全部海に浸かってたんだって! 何日も熱が下がらなくて、この黒いやつが首から下まで全部埋まっててね! 俺もお見舞い行った時、めちゃめちゃ辛そうだったんだよ! 体中痛くて幻覚まで見たって聞いたし、熱出てるくせに黒い部分は本当に生きてんのか? ってぐらい冷たいんだよ! なんて言ってたっけ? ナイフで抉られるような痛みなんだって? それにようやく黒いのが消えてきたかと思うと、その後もまた何度か海に突っ込んでった見たことがあってさ……本当に頭おかしいんじゃないかって思うよ。レオン! ほら! この手! 今どんな感覚か言ってみろ!」
「最近はだいぶ良くなった」
「そうじゃなくて! 痛いでしょ? それが普通なんじゃなくて、俺たちにはそんな黒いのついてないし、痛くもないんだよ! それでもまだ海に入るのか?」
「だから、入らないって言ってるだろ?」
「でも海に近づくともっと痛くなるんでしょ?」
「死にはしないよ」
「そういう問題じゃないだろ! そもそも何で海に行かなきゃいけないんだよ! この事件が海に関係してるとでも……え? 海に関係してんの?」
「そう」
「はあ? また得意の占い?」
「予言じゃないのか?」
「あれ? ヘレンちゃんにはそう言ってんの? いや、本当は占いでも予言でもないけど、似たようなものだよ。レオンんとこの家に伝わる術なんだって。でも、海については占えないって言ってなかった?」
「……」
「ちょっと黙らないでよ! せめて言い訳ぐらいすればいいじゃん! オレ信じてたかもだよ?」
「じゃあ、今から言い訳考えるからちょっと待ってよ」
「もういいよ! で、どう関係してんの?」
「よくわかってないから、見に行くんだよ」
「……やっぱりただの死にたがりなんじゃないの?」
疑いの目を向けるルイスだが、レオンはただ仕方なさそうに苦笑いするだけだった。原因は海だと教えたのだから、仕方のないことだと諦めて、住民たちを落ち着かせればいいのだと思った。海が原因だと住民たちに教えれば、きっと抗いようのない災害だと思って、皆も諦める。実際髪を失ったことを除けば、被害者たちは何もなかったように無事なのだ。一体海に行って、何を確かめたいのだろうか。
「レオン……海だという確信は持ってるようだから、悪いことは言わない。海が原因だってわかっていれば、これ以上オレたち何もできないよ。お前は海でも捕まえに行くのか?」
「今回のは海だけが原因じゃない。海は巨大な波にでもならない限り、陸には上がってこれない。誘拐して、髪を切るにはそれを手伝う人が必要なんだよ。それに海のせいだって言いふらしたら、また前みたいな人たちが出てしまう」
「前みたいな?」
「ヘレンちゃんのいるこの街ではまだ聞いたことないでしょ? 結構前にも一回海のせいだって結論づけた事件があったんだけど、それ以降に『これは海のせいだ』って理由を掲げた事件が多発したんだよね。犯人みんな、海を後ろ盾にして言い訳するんだよ。人殺しても、もの盗んでも、壊しても、ぜーんぶ海のせい。嫌な人たちでしょ? まあ事件おこす人たちにいい奴なんていないだろうけどね」
「そうか……」
海は慈悲深く、全知全能で、少しわがまま。それが私の知る海だ。私たちにとって海は絶対的な存在で、それを騙るなんて以ての外。陸では海を恐れるだけでなく、それを利用する人もいるなんて驚きだ。陸のことをどれだけ海が把握できるのかはわからないが、それを続けてはいつか海の怒りを買うことだろう。
「それに海は綺麗なところなんだ。確かに呪いはあるけど、陸が海を嫌う限り、海も心を開いてくれないよ」
「出た。その意味わかんない理論! 海が呪われてんのは、ずっと昔からだろ? 今更呪いが消えることなんてないでしょ!」
「そうかもしれないね」
他の人とは違って、レオンは海が好きなようだ。海の呪いにかかっても、海をそう思えるなんて、ルイスの言うように死にたがりなのかもしれない。だが、この事件はもうすぐ終わってしまう。これから海に行って何かを探そうにも、時間が足りないだろう。仕方がないが今回も海のせいにするしかないのだ。
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