第20話 預言者

「閉店後に店の裏で待ってるよ」


 私の隣を通り過ぎて、レオンは何もなかったかのように、料理を運び始めた。


 やっぱりレオンは嫌な感じがする。もう何もかも知っているような顔つきで、私に問う。だが、彼は見たところ、普通の人間のようだ。こんなこと知らないはずだ。どんな根拠を持って、私に心当たりがあると、踏んでいるのだろうか。


 閉店の時間はいつもより早く訪れた気がする。店の片付けを終え、二階に上がり、いつも通りの寝る支度をする。そしてすっかり静まり返った辺りを確認して、私は厨房の裏口から出る。するとまたあのクロークを被ったレオンがそこに立っていた。


「どう? 話す準備はできた?」


「……その前に、どうして私に心当たりがあるとそこまで確信する?」


「勘って言ったら信じる?」


「事実を話すつもりがないのなら、私の口からも言えることは何もない」


「……ヘレンが犯人だって疑ってるわけじゃない。ただもう少し手がかりが欲しいんだ」


「言うつもりがないなら、もういい。誰にだって秘密の一つや二つぐらいある。その代わり、私がこれから何を言っても、ただ黙って聞いててくれ」


「……わかった」


 一呼吸を置いてから、私は再び口を開ける。


「海が……海が、欲してるんだ」


「……」


「海は少しわがままなんだ。被害者は増えてもせいぜいあと一人。いや、絶対にあと一人必要だ。それ以上も、それ以下もない。だからこの事件はもうすぐ終わる。このまま調査をし続ける必要はない」


「……」


「……」


 レオンは何も言ってこない。陸に来てから、誰かが海を話題に出しているところなんて見たことがない。それどころか、海に少しでも触れようものなら、すぐに会話は中断されてしまう。皆、海を恐れている。それなのに、いきなり私が海のことを知ったように、話し始めたものだから、きっとレオンも信じられないのだろう。


「……もう話し終えた? じゃあ、次は僕が話すよ」


「え?」


「やっぱり海が原因か……。だけど、海は犯人じゃない。海が化けて、あの人たちを誘拐したのとは違うでしょ?」


「あ、ああ……?」


「その犯人を探したいんだ。海の願いは絶対だけど、今回のは本当に『海のわがまま』? それとも……」


「いや、ちょっと待って! どうしてそんなことまで知ってるんだ!?」


 おかしい。あまりにもおかしい。ただの人間がここまで海に詳しいなんておかしすぎる。アリサやメアリーさんのように海に近づいたことのある人の方が、陸では少ない。海を知らずに終える人生の方が珍しくない。それなのに、「海のわがまま」まで知っているなんて、どういうことだ。


 レオンは被っていたフードを取り、こっちをまっすぐ見ていた。相変わらず笑ってはいたものの、その瞳はどこか悲しそうで、可哀想な色をしていた。


「……ヘレン、僕が誰だか、わかる?」


「……? レオンだろ? いきなりなんだ?」


 これもまたおかしな質問をされた。そう言われれば確かに、彼は自分ではそう名乗っていない。もしかして偽名なのだろうか。だが、ダエルにルイスは友達だと言うのに、彼らに偽名を名乗っていることがあるだろうか。それに昔仕えていたメアリーさんまで彼をレオンと呼んでいるのだ。偽名でないならこの質問の意味とはなんだろう。何がしたいのか全く読めない。


「……わかりやすく言えば、預言者なんだ」


「預言者?」


「言葉を精霊たちから授かるんだよ」


「……だから雨が降るってわかったのか?」


「そう。精霊たちが騒いでたからね」


 これで雨の件は説明がつく。だけど、海には精霊はいないのだ。それなのに、どうして海のことを……


 ガタッと後ろから音がした。パッと振り返るとそこには盗み聞きをしていたアリサがいた。


「ア、アリサ、いつから……」


「えへへ、バレちゃったか……。わっ、ヘレンの手、冷たいんだけど! 二人こそいつから話してたの? というか、本当にレオン様って預言者なの!?」


 ぴょんっと、物陰から飛び出して、アリサは私の手を繋いだ。私の手よりもずっとアリサは暖かく、どうやら本当に出てきたばかりのようだ。


「そうだよ」


「じゃあ、なんか予言してみて! なんでもいいよ! アリサが将来お金持ちになるとか、美人さんになるとかあ! それか結婚して幸せになってるとかっ!」


「いいよ。じゃあ目を瞑って」


「うんうん!」


「予言してあげるよ。アリサは……」


「うんうん!」


「アリサの目にはりんごが映る」


「えっ!?」


「ほら、あるでしょ? りんご」


「……」


 アリサはレオンの手からりんごを受け取って、少し困惑した表情を浮かべた。


「え? なんかずるくない!?」


「そう?」


「ええ? だってこれ、え? ちょっと違うでしょ! ねえ! ヘレン!」


「……」


 そんな目で見ないで欲しい。私に聞かれても困るのだ。アリサは非常に悩んだ末、またレオンに向かって言った。


「じゃ、じゃあ! もう一回!」


「特別だよ? じゃあ、アリサは……」


「うんうん!」


「……メアリーに説教される」


「えっ!?」


 そう言うと私たちの後ろにはメアリーさんがいた。微笑みを浮かべているけど、それは決して穏やかなものではなかった。


「アリサ? ヘレン? こんなところで何しているのかしら? レオン様もよ? もう夜も遅いですわよ? 調査ならまた明日にしなさい」


 さすがはメアリーさん。元主人にも臆することなく、最後までその態度を貫いた。


「確かに僕が悪かったよ。メアリー。また明日ね。ヘレン、アリサ」


 レオンはメアリーさんに怒られ慣れた様子で去っていった。


 そして残された私とアリサはそのまま、長い説教をされてしまった。アリサは始終やっぱりその困惑した不満げな顔を掲げていた。

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