第19話 妄想
嘘はなるべくつきたくない。アリサに失望されるようなことにはなりたくないからだ。これ以上言及されないように厨房の方に逃げる。
「ねえねえ、ヘレンさ、あのレオン様嫌いなの?」
「……様?」
「だってお貴族様でしょ? ママがメイドしてたんだよ? アリサは様付けしなきゃ」
「……そうか」
「で、嫌いなの?」
「……わからない」
まだ嫌いと言えるほどの付き合いもしていない。でも多分苦手なのだろう。そのまま話していた次の瞬間に、心の底に隠していた何かまで溢してしまいそうな気分になる。自分でも知らないそんな何かを暴かれるなんて不愉快だ。
外から騒ぎ声がしてきた。「アセビ」は酒も提供しているものだから、争い事が起きてしまうのはまああることだ。ただ滅多に少ない。客は知り合いが多いため、中立ちを代わりにしてもらうことだってある。それでも今回の騒動は少し大きい。何かが割れた音も、怒鳴り声もだんだん大きくなるばかりだ。外に出てみると、ある男がルイスの胸ぐらを掴んでいた。
「お前らが早く犯人捕まえないのが悪いだろ! 俺の娘を返せ!」
「だから、今調査して……」
「そんなヘラヘラしながらか!? もう犯人はわかってるだろ! あいつだ! あいつ!」
そう言って男は今日も店に来ているダエルを指差した。
「俺は知ってるぞ! ダエルだろ! あいつが帰ってきた日だ! 最初のサーシャが消えたのはあいつが帰ってきた日だ! この町に復讐しにきたんだろ!」
「そんなわけないだろ!」
ルイスは怒りを込めて、興奮した男に言い返した。
「はっ! お前はあいつがどんなやつか知ってるか? あいつはな! よそ者でな! しかも泥棒だったんだよ! みんな知ってる! 今は軍人のお偉いさんになったのかもしれねえが、昔はな……」
「黙れ! ダエルはすごいやつなんだ! こんな事件に関わってるわけないだろ!」
「じゃあ、さっさと違う犯人見つけろよ! お前らが見つけない限り、俺はダエルを犯人だと町中で叫んでやる! おい! ダエル! 俺の娘をどこにやった! どこに隠してやがる! 黙ってねえで、さっさと答えろ!」
そう言って男はそばにあったジョッキをダエルに向かって投げた。ダエルは相変わらずそこに黙ったまま座っていた。投げたジョッキは当たることなく、地面に落ちる。尚も平然としているダエルは果たして冷静なのか、冷酷なのか。いつの間にか厨房にいたメアリーさんはダエルの前に立っていた。
「あなた、落ち着きなさい。証拠もないのに、妄想で語らないでちょうだい」
「メアリー、お前もダエルに恩があるからって、盲目になるんじゃねえぞ! お前を直したあの薬代だって、どこから出してんのかわかんねえだろ! 盗んだに決まってる! 誰かから盗んだ金で、誰かから借金返すなんて、笑えるな!」
「……あなたは、娘を探したいんじゃないの? それなのにどうしてさっきからダエルのことばかり悪くいうのかしら? まるでダエルが犯人だっていう絶対的自信があるみたいじゃない? あなたがそう思う証拠を、是非ともそこのルイスさんに語ってあげなさい。調査が進めば、すぐにでもダエルを捕まえることができるわ」
「しょ、証拠なんていらねえだろ! あいつに決まってるんだ!」
「あら、どうして?」
「っ! メ、メアリー! お前も怪しいぞ! そんなにダエルの肩を持つなんてお前も共犯なんじゃねえのか! そ、そうか! 女だからって油断した! お前だって立派な犯罪者だったんだな! このルイスという男もきっとそうだと疑って、この店にいるんだろ! お前らが犯人なんだろ!」
そう言われたメアリーさんは黙って厨房へ行き、すぐに水がたっぷり入ったバケツを持ってき出てきた。そして男に向かって思いっきり水をかけた。
「つっ! つっめた! な、何すんだよ! メアリー!」
「飲みすぎよ。頭冷やしなさい」
暴れる男を抑えていたルイスにも結構水がかかっていた。ルイスが呆気に取られていて、やっとのことで声を絞り出した。
「……こ、これは、強いわ」
隙を見せたルイスのせいで、男は拳を振り上げた。このままではメアリーさんに降りかかってしまうその拳を、いとも簡単に止めたのは、今まで一言も発さなかったダエルだった。
「……もういいだろ。今のお前に何を言っても仕方ないと思うが、私はやっていない。私のことは何と言ってもいいが、メアリーには手を出すな。子どもたちにもだ。お前も子を持つ者ならわかるだろ? こんなところで恥を晒すな。今日はもう帰れ」
「っ! く、くそっ!」
捨て台詞を吐いて、男はさっさと店を出ていく。ただもう諦めたような感じではなく、帰り際にダエルとメアリーさんを睨んでいった。しかし、当のメアリーさんはもうやり切った顔をして、ダエルは慣れたように箒を探し出して、床のガラスを片付けていた。
隣のアリサは泣きそうな顔をしていた。最近はずっと泣いているアリサを見ている気がする。やっぱりアリサはいつもの笑った顔の方が似合っている。また笑って欲しいと思った。慰めるために手を広げたが、今回のアリサは涙をぐっと堪えた。そっと「大丈夫だよ」と言って、小さく笑った。
早く事件を解決しないと、今日のようなことがまた起きるかもしれない。アリサは悲しむし、メアリーさんは黙ってダエルの味方をして、今度こそ怪我を負ってしまうかもしれない。ちらっとレオンの方を見ると、レオンもこちらを見ていた。少し笑って、まるで私がこれから何をするのか知っているかのようだ。
「ヘレンは、心当たり、ないのか?」
また同じ質問をされる。大丈夫だ。全てを伝えなければならないわけではない。少しヒントを与えるだけで、彼らはきっとわかってくれるはずだ。
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