第16話 大声
メアリーさんにフィルは厨房で酷使され続け、休憩にようやく解放された。フィルの夢はどうやら料理人のようで、王都でもそれについて勉強していたのだそう。
「ど、どうだ?」
「……まあまあね。ママにはまだまだ遠く及ばないけどね!」
「まあまあって何だよ! 美味しいのか、美味しくないのか、はっきりしろよ!」
「まあまあは、まあまあよ! フィルのくせに、美味しいってアリサに言わせたいなんて生意気よ!」
「はあ? 美味しいだろ!」
「だ!か!ら! まあまあよ! まあまあ! 美味しいとは言ってないの!」
「嘘つけ! ほら! もう一皿食べ終わっているじゃないか!」
「残したらもったいないでしょ! そんなのもわかんないの!」
「そうじゃなくて!」
「何よ! まだ文句があるわけ?」
二人はまたしてもチャーハンの試食で喧嘩を勃発させようになる。何年変わっても、二人は変わらなかった。アリサはまあまあと言っていたが、あの言い方ならば、もう美味しいと認めているような気がする。フィルはこの絶対的自信があるようで、アリサの評価が気に入らない。このまま続けても不毛な争いでしかないだろうに、二人の口は止まらなかった。客が少ない時間帯で本当に良かったものだ。
入り口のベルが鳴り、二人の客が入ってきた。客の一人はダエルで、もう一人は見たことない男だった。頭の後ろに手を組んで、店に入るなり、あたりをきょろきょろと見渡していた。アリサの顔は暗くなり、いつもより低いトーンで、二人を迎いる。
「……注文は?」
「ねえ、君がメアリー?」
「は?」
アリサのトーンがまた低くなる。
「おい、ルイス。失礼だ。注文をしろ」
「えー? 君、メアリーじゃない? じゃあ、メアリーって誰? 今いる? 見せてよ!」
「メアリーは見せ物じゃない。さっさと注文しろ」
「あの奥の子? あの銀髪のさ……」
「いい加減にしろ。ルイス」
ダエルは本気で怒ったような声音だった。威圧的な重低音で、隣にいたフィルはビクッとした。
「部下がすまない。注文をする。これと、これをお願いする」
「じゃあ、オレも同じので!」
怒られた男は懲りない調子で言う。呆気に取られたのか、アリサはいつもの「売り切れです」という攻防をしなかった。
「もう部下じゃないじゃん。ダエルだってもう少将じゃないんだからさ」
「……」
「相変わらず口数の少ないやつだねえ」
「お前に話すことがないだけだ」
「もう、つれないなあ……ねえ! そこの君! お話ししようよ!」
こっちを向かれた。手も振ってくる。明らかに私のことを指している。無視しようとしていたのに、思わぬところから助け舟が出た。
「オ、オレら、忙しんで!」
「今、お店には誰もいないじゃん」
「でも忙しんっすよ!」
「えー? 本当かなあ?」
「ほら、ヘレン! あそこのテーブル汚れてるぞ! 拭いたらあそこの花瓶の水替えもしろよ! さっきメアリーさんが奥で皿洗いしてたから、オレ、手伝ってくる!」
命令しながらも助けてくれたのだ。そこまでは良かったものの、どうしてメアリーさんのことまで言ってしまうのだろうか。ルイスと呼ばれた男は目を輝かせた。
「へー……『メアリーさん』は奥にね……」
「ルイス。大人しくしてろ」
「……はーい」
態度は相変わらず軽いが、ダエルの命令には従うようだ。気づいたフィルが気まずそうな顔をして、私に耳打ちした。
「あれ、誰だよ」
「知らない人だ」
「はあ? 嘘つけ。メアリーさん探してるって言ってるじゃん」
「ダエルという男はメアリーさんと知り合いだが、もう一人は初めて見た」
「……メアリーさん、なんか危ないのか? どっちもやべー奴だって」
「それが、メアリーさんは困っていないようなんだ」
「はあ? どういうことだ?」
「私とアリサも詳しくは知らない。だが、どうやら危害を加える気はない」
「……そうか! アリサの機嫌が悪かったのはあいつらのせいだよな? オレのせいじゃないってことか!」
「それは……どうだろうな」
「え!? やっぱりオレも関係すんのか!?」
二人で拭いているこの机は、反射するほど綺麗になっていた。だが、フィルと私はそれに気づかず、ダエルたちの会話に聞き耳を立てながら、拭き続ける。
「ねえ、メアリーってどんな人なんだ?」
「……優しくて強い人だ」
「おお。ダエルよりも強いの?」
「……そういう強いではないが、私よりもずっと強い」
「強いんだったから、放っておけばいいじゃん」
「……」
「ごめんごめん。そんな目で見ないでよ。ただ気になっちゃってさ。あのダエル少将がこんな無様な姿で、こんな店にちまちま通ってるんだもん」
「……」
「メアリーとちゃんと話し合った?」
「……まだだ」
「……ダエルは何しに帰ってきたの?」
「約束を果たすためだ」
「そんなもののために、その足を戦場にくれてやったのか?」
「そんなものじゃない。大切なものだ」
「例の令嬢様とはちゃんと説明した?」
「ああ、あっちも政略結婚だからな。快諾してくれた」
「ふーん。オレはそう思わないね。あの令嬢は本気だったよ。なんならまだ諦めてないかもよ。あの狸伯爵、の娘だし。あのクソ狸、いっつもキモい目で見てくるじゃん。本当にただの道具だしか思ってないようなさ……」
「……もう過ぎたことだ」
「ダエルはそう思ってるかもしれないけど……褒美の爵位もいらないって言ったのに、王様も頑固だよね。みんな言ってるよ。あの伯爵が裏で王様に進言したんだってよ。婚約を解消したいなら、あの負け戦に出ろって。よくダエルもいいって言ったよね」
「……」
「ダエルを出せば勝てるような簡単な戦争じゃないって、あいつらもわかっていただろうにね。きっとダエルが承諾するのなんて予想外だったんだよ。謁見の日のさ、あの二人の顔、めちゃめちゃ驚いてたよ!」
「ルイス……それ以上は不敬だぞ」
「いいじゃん。ダエルが言わなかったら誰も知らないよ。でもさ……五年だよ……噂によると途中で資金も減らされたんだって? 最悪な環境だったんでしょ? よく耐えたよね……この五年さえなければ、あんたも左目の傷だけでこの店に通えたかもしれないのにね」
「ルイス、もういい」
「何がもういいだよ。オレはあんたを尊敬してるんだから、あんたがこんな風になってるのなんて見たくないんだよ! 五年前にこんなんになるって知ってたら、……その右足と約束、どっちかしか取れない選択だって知ってたら! オレはもっと全力で止めてた! オレはあんたの右腕だ!」
「……レオンに言ってやれ」
「違うよ……レオンは友達だもん。オレが一番尊敬してるのはあんただ」
「……そうか」
気づいたら、店の中は静かになっていた。厨房にいるはずのメアリーさんやアリサからも静かだった。
このルイスという男は意外と計算高いのかもしれない。奥にメアリーさんやアリサもきっとこの会話たちを全て聞いていたのだろう。だんだんと大きくなる音量はきっとそのためだったのだ。
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