第15話 「いいよ」


 「アセビ」に着くと、外は雨が降り出した。フィルはすぐに駆け寄って来た。どうやら机拭きだけでなく、それ以外の開店の準備もほとんど終えたようだ。アリサは少し私の後ろに隠れて、フィルからの視線を避ける。


「アリサ! やっと帰ってきた! いきなりどうしたんだよ!」


「……フィルには関係ない」


「や、やっぱりオレのせいなのか……?」


「違うって言ってるでしょ」


「じゃあ、どうしてそんな目で見るんだよ!」


「そんな目ってどんな目よ」


「な、なんか……ちょっと、こ、怖い? 目?」


「フィルの気のせいだよ」


 そう言ってアリサは厨房へと逃げていった。


「ママー!」


「あらあ、アリサおかえり!」


「アリサが醤油のついでって本当っ!?」


「え? なんの話かしら?」


 二人が、と言うよりも一方的にアリサが問い詰めてのことだが、そうこうしているうちに、開店する時間がやってきた。


「あら、いらっしゃい! また一番なのね、エミリー!」


「そうよ。メアリー。早くいつものちょうだいよ。あ、でもちょっと待って。今日はそんな気分じゃないの」


「そう。コーンスープは飽きたかしら?」


「そうじゃないわ。……そうね。やっぱりいつものでいいわ。早く持ってきてちょうだい」


 二人の会話はいつもこれだ。このエミリーはどうやらメアリーさんの昔ながらの親友だ。二年前に久しぶりに王都から戻ってきたばかりだが、二人の関係は相変わらず同じらしい。文通を頻繁にしているのだと、メアリーさんに自慢げに箱いっぱいに詰められた手紙を見せられたことがある。内容は流石に見せてくれなかったが、一つの封筒に入っているのはたったの一枚のみではないことだけは明らかだった。


 初めてエミリーに会った時、彼女は「変な髪の色ね」と言ってきた。この髪を兎角言われるのは、フィルに続いて、彼女が二人目だったが、別に悲しくなったわけでもなかった。自分でも卑屈に思ったことがないこの髪をどう評価されようとも、気にすることはなかったが、少し彼女が苦手になった。何でも口にする彼女はまるで、私の真逆のような存在な気がするからだ。それからも少し会話をしたことがあるが、その印象は変わらない。昔の私とは違って、今の私は話すことにそれなりの抵抗は無くなったが、どうしても彼女の前では、言葉に詰まってしまう。それなのに、エミリーはなぜかいつも私に話しかける。


「ねえ、ヘレン」


「……なんだ?」


「あのいつもいる男はいないのかしら?」


「……」


「いつも店に来るなり、何かしら落としてる男よ」


「私には関係ないことだ」


「最近来ていないじゃない。お腹でも下したのかしら? いつもコーヒーばかり飲んでいるんだもの」


「……」


「お金がないのに、毎日この店に通うだなんて熱心ね」


「……そうだな」


「そうそう。熱心と言えば、最近ダエルが帰ってきたそうよね?」


「そうだ」


「私はスープを飲んだらすぐ行っちゃうから、まだこの店で会ったことがないじゃない? でもこの前、リナさんところの花屋にいたのよ」


「……」


「熱心に随分と長い時間見ている人がいると思ったら、彼だったのよ。声をかけようとしたら逃げちゃったわ。片足になっても、足は速いものね。驚いたわ」


「……」


 本当に何を返せば良いのかわからないのだ。私を真っ直ぐ見つめる彼女から目を逸らした先にアリサがいた。こっちに向かってくるアリサを見て、助かった気がした。


「はい、エミリーおばさん。コーンスープです」


「アリサ、何度も言ってるじゃない。お姉さんと呼んでって」


「じゃあ、アリサも何度もヘレンに謝ってって、言ってるもん」


「ヘレンも気にしてないって言ってるじゃない。アリサがそんなに気にしてどうするのよ」


「ヘレンはアリサのだもん! 謝ってよ!」


「謝らないわ。そう思ったもの」


「こんな綺麗な髪にケチつけるなんて、エミリーおばさんが悪いもん!」


「お姉さんよ」


「謝って!」


「嫌よ」


「謝って!」


「そうだわ、アリサ。あなた、最近、私の店に来たんですって?」


「え?」


「せっかく来たのに、一枚も買っていかなかったのね? お洋服」


「え?……ええ!? あの服屋さん、エミリーおばさんのなの!?」


「お姉さんよ」


「すごい! デザイナーだって知ってたけど、エミリーおばさんそんなすごかったの!?」


「お姉さんよ。……そうね。お姉さんって呼んでくれるなら、この前見てた服を何着かプレゼントしてあげても良いわよ」


「お、お金、いらないってこと?」


「ええ、もちろん。プレゼントだもの」


 アリサはごくりと唾を呑んだ。確かにアリサはあの服屋の服には、どれも良い反応を示していた。どうしても私に謝って欲しいと、長らくアリサはエミリーに抗っているようだが、二人の仲は本当は悪くないということを知っている。あの服たちが欲しいのなら、そのまま言えばいいものの、アリサは私とエミリーを交互に見ては、変な顔をしている。アリサに何度か声に出さずに「いいよ」と言ってやると、ようやく決断したようだった。


「え、エミリー、……おねえさん……」


「ええ、アリサ。いい子ね。今度プレゼントを持ってきてあげるわ」


「で、でもヘレンの件は過ぎてない! 謝って!」


「嫌よ」


 そう言って、エミリーは上品に口を拭いて、立ち上がった。先ほどまで優雅に飲んでいたコーンスープはもう無くなっていた。本当に彼女は少しも止まろうとしない。いつも飲み終えたら、さっさと出てしまうのだ。


「それじゃあ、ヘレン、アリサ、またね。メアリーによろしくお願いするわ」


 軽く手を振って、エミリーは「アセビ」出ていった。


「もう! どうしてお姉さんだなんて呼んじゃったの!? アリサのばかあ!」


「服が欲しいのなら、よかっただろ」


「だって、あの服たち、ヘレンにすっごく似合ってたんだもん! 本当に欲しかったの!」


 大事なことを忘れていた。確かにあの日は、ほとんど私が着替えていた。アリサが着たのは、ほんの数着。それも大きいサイズの在庫がないと言われて着たものだ。ということは、あのフリルたっぷりの服たちが送られて来て、これから私が着ることになる。でも、送るのはエミリーだ。あの日のことをどこまで知っているのかわからないが、先ほどの取引はどう聞いても、自分用の服を欲しがっているようにしか思えなかった。もし、時が戻れば、先ほどの会話で、私は絶対に「いいよ」とは言わないだろう。

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