第11話 六年後

「ママー! 行ってきまーす!」


「行ってらっしゃい、アリサ!」


「ヘレーン! まだあ?」


「急ぎすぎるな。また忘れ物するぞ」


「もう何回も確認したもん! 絶対大丈夫だから早くして!」


「わかったからちょっと待て。メアリーさん、行ってきます」


「ふふっ。ヘレンも行ってらっしゃい」


 二人に拾われた日から六年の月日が経った。アリサは長くなった栗色の髪を二つの三つ編みにし、相変わらず無邪気な笑顔を浮かべていた。目立つようになったそばかすは彼女の可愛らしいトレードマークになった。最初の頃はそばかすを隠そうと部屋にこもっていた時期もあったが、私が髪を切らないなら出て来ると言った。私の髪と彼女の顔のそばかすにどんな関係を見出して、そのような約束を取り付けたのかわからないが、おかげで今の私の髪は腰に届いている。切ろうと思っていた理由は単に邪魔だと思ったからだが、アリサが気に入っているならこのままでもいいと思った。そしてアリサの三つ編みが綺麗なのは、私の髪で練習した成果なのである。


 今日はアリサの願い事を叶える日だ。メアリーさんがアリサの人形を間違えて捨ててしまったことがことの元凶だ。あまりにもボロボロになっていたそれがたまたまゴミ箱の隣にあったためだと、メアリーさんは説明していた。それなのにその罪を償うために付き合っているのは私。疑問に思う前に交渉はとうに終えられていたのだ。


「まあまあ、アリサの願い事叶えてあげなよ」


「メアリーさんのせいなのに、私はいつ巻き込まれたんだ」


「だってアリサが『もっと大きい人形買って!』って言うんだよ? そうしたらここにぴったりなのがいるなって思ってね……さすがメアリーさん」


「アリサもいい考えだと思うの! お願い! 一日だけでいいからアリサのお人形になって!」


「ほらあ、お店も繁盛してきたけど、やっぱりまだそんな大きな人形買うお金ないから……ね! これはメアリーさんからの頼み事でもあると思って! ね! お願い!」


 メアリーさんからは相変わらずの悪戯っ子かのような表情で、アリサからは目を輝かせた期待の表情で見られるものだから、ついには仕方なく頷いてしまった。

 気分上々なアリサに引かれて、私たちは最近新しく開かれた服屋に入った。王都にある有名店の分店らしく、デザインは今までに見たことないものばかりだった。


「ヘレンは更衣室に行ってて!」


「新しい服を買うのか?」


「ううん。欲しくてもママの財布が許してくれないもん。ヘレンは今日一日アリサのお人形なんだから大人しくしててね!」


 大人しくしてと言われても、私が暴れていた日などあっただろうか。真剣な顔つきで服を選び始めるアリサ。本当にここ最近で見た一番真剣な顔つきだ。服を好むのはアリサぐらいの女の子には珍しくない。私はいつもは同じ年頃の女の子と遊ばないアリサが、年相応な感覚を持っていることに感心した。だが、彼女の選ぶ服はどれもサイズが少し大きい気がした。彼女が普段着るものの一回りは大きいだろう。


「その服アリサが着るのか? 少し大きいんじゃないか?」


「何言ってるの! これはヘレンが着るんだよ! ヘレン今もさ、ママのお下がりじゃなくてもっと可愛い服着てよ!」


「こ、これを私が!?」


 決して着れないデザインでは無いが、私が着るにはあまりにも可愛らしい気がする。特にこの胸の前にある大きなピンクのリボン。確かに今もメアリーさんの服、つまり女用を着ているが、今までに新しく買ってもらった服は男用のものがほとんどだ。それをアリサはどうやら気に入らないらしく、せっせと服を選んでいる。


「はい! これ着て!」


「これ全部……私が着るのか……?」


 アリサが見えなくなるほどに積み上げられた服の山を渡される。


「そうだよ! この店だけじゃ無いんだから! あともう二つお店回るつもりなんだからね! アリサはこの日のために下見だってしてきたんだからね! 早く着替えてきて!」


 着替えるしか無かった。まだ言い訳したい私は更衣室に押し込まれた。選ばれた服たちを見ていく。幸い露出が多い服はなかったが、どれもこれもフリルのついた可愛らしい服だった。まだ着てみてと言われただけだ。見せるとは言われてない。これなら……


「着替えたら見せてね!」


 外から聞こえてくるアリサの声は間違いなく私の心を覗いたものだった。仕方がない。一番マシだと思われる服を着て、アリサに見せる。


「わあ! 可愛い! やっぱりアリサが思った通り! すっごく似合うよ!」


「そ、そうか……ありがとう……」


 褒められて嬉しいのか悲しいのか。何とも言えない気持ちになっていると、アリサからまたどっさりと服を渡される。


「これも……?」


「そうだよ! もちろんアリサにはわかってるよ! ヘレンは可愛いのだけじゃなくて、かっこいいのも似合うって!」


「そ、そうか……でもこれだと次のお店行けないかもしれないぞ? 少し減らさないか?」


「ヘレンが早く着替えればいいんだよ!」


「こんなにいっぱい持ってきたらお店にも迷惑……」


「いいえ! 全然迷惑じゃありません! お客様! 思う存分試してください!」


 いつの前にか店員までいる。心なしか店内にいる客も増えている気がする。誰にも縋れないこの状況。私は再び更衣室に戻って着替えるしかなかった。


 空が赤く染まる頃になってアリサはようやく家へと足を向かわせた。一日着替えては、脱ぎを繰り返して疲れが溜まった。それに比べてアリサは行きの時よりも元気そうだった。アリサの家は一階が店で、二階が住居となっている。今日は七日に一度の定休日で、店は真っ暗だった。そんな中に二つの暗い影が見える。


「メアリーさん?」


「あ、あらあ、二人ともおかえり。二階に上がっていてくれる?」


「……ママ、大丈夫? その人誰?」


 メアリーさんの後ろには軍服を着た大男がいた。暗くてよく見えないが、確実にこの場の誰よりも身長が高い。


「メアリーさんの知り合い?」


「そ、そうよ。別に悪い人ってわけじゃないから、心配しなくてもいいのよ」


「失礼した。メアリー、明日また来る」


 低い声が聞こえる。杖の音が混じった足音で、その人は私とアリサの横を通り過ぎていく。近づいてくる大きな図体を見上げる。その顔は恐ろしく、左目には大きな切り傷が走っていた。


「ママ、本当に大丈夫?」


「大丈夫よ……ただの昔の知り合いよ……怖がらせちゃったね、ごめんね……」


 メアリーさんに駆け寄ったアリサは強く抱きしめる。メアリーさんがここまで言うならきっと大丈夫なのだろう。すっかり弱気になってしまったアリサを連れて私たちは二階へ上がって行った。

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