第9話 花冠
「だから! ちがうの! ヘレンは天使さまなの! もうフィルの分からずや!」
「はー? だからどう言うことだよ! 天使さまなわけないだろ!」
「ちがわないの! ヘレンは天使さまなの!」
アリサにピクニックに行こうと誘われ、私の目の前には今、一面の花畑が広がっている。このアリサと喧嘩しているフィルと言う少年はどうやらアリサの友達のようだが、私に対してなぜか敵対意識を持っている。アリサの家を出た時からこちらをちらちら見てきては、アリサに難癖をつけている。「どうしてかみが白いんだ」とか「なんでこいつがいるんだ」とか問いかけて、アリサが彼に言い返す。私としてはどうして彼がここにいるのかと言うのが不思議だが、彼は今朝家を出ようとした時にちょうど訪ねてきたのだった。
「なんだよ! ピクニックって! 今日はオレといっしょに本屋に行くんじゃなかったのかよ……」
「ふん! この前のことまだあやまってもらってないし、アリサもうフィルとお友だちじゃありません!」
「なっ! この前ってこわしちまった人形のことか? あれはお前が手をはなさなかったのが悪いだろ! オレはお前より二歳年上なんだぞ! 母さんも言ってたからな! 年上をうやまえって!」
「フィルのどこが年上なのかアリサにはわかりませーん。フィルなんてアリサよりちょっとせが高いだけのお子ちゃまですー!」
道中ずっとこんな調子で言い合っていて、私は無言を貫くことしかできなかった。街の中でもこの二人の口喧嘩は珍しくないようで、結構な野次が飛んでくる。
「フィル坊! アリサちゃんを怒らせんな!」
「うるせーっ! キールじい! あんたこそこの前リナさんを怒らせてたじゃねえか」
「そりゃあ俺の奥さんだからな! 喧嘩しても許してくれるってもんよ!」
「あらぁ、誰が許したって?」
「リ、リナ! お、俺が悪かったって! なあそろそろ許してくれよ」
「許しません! 早く花の水やりしてきなさい! フィル! あなたもほどほどにしなさいよ。アメリアが今日は早く帰ってきなさいって言ってたわよ」
「か、母さんが? でもピクニックは行くからな! 伝えといて!」
「フィルがピクニック来ていいなんてアリサ言ってないんだからね!」
「お前の許可がなくたってオレはついていくからな!」
「こなくていい! ヘレンとアリサのでえと! なの! じゃましないで!」
「デート!? こんなえたいの知れないと?」
「こんなじゃありませんー。ヘレンは天使さまなんですー」
とこのように、花畑に着くまで間、二人の口は閉ざされず、私の正体について言い合っている。アリサの中で私は天使ということで落ち着いたようだが、それが果たしてどんな解釈になっているのかは不思議だった。
「ね! ヘレン!」
いきなり同調を求められたが、私は二人の会話がどこまで続いているのかわからない。戸惑っていると、アリサは頬を膨らまして拗ね出してしまった。
「もー! ヘレンのためにケンカしてるんだよ! ちゃんときいててよ!」
「ご、ごめんな。アリサ」
「あー! はじめてアリサってよんでくれた!」
「な、なんだよ。それくらい……オレだって呼べるし……」
「ちがうの! ヘレンがよんでくれなきゃいみがないの!」
「なんだよそれ……」
明らかに落ち込み出すフィルを無視して、アリサは私の手を引いて、花畑の奥に突き進んで行く。赤、黄色、青、白、紫。小さな金魚のような形の花に、細い茎の先に、薄紙のような花びらをつけているもの。太陽の光に反射する露が、花びらの艶を引き立てる。どれも主役の花というわけではないが、互いを引き立て、花畑という空間を華やかに輝かせる。そんなところを足で歩くというのは不思議で、一面に踏み出せる空間がないかと思えば、隙間を見つけてはどんどん前に進んでいける。
「見て!」
気づいたら花畑の真ん中にいた。大きな木が一本生えているここは周囲よりも一段高くなっている。来た道はもうすでに花に塞がれて消え、まるで最初からここにいたかのような不思議な感覚がした。こんな鮮やかな景色は初めてで、その感動を表せる言葉を私は持ち合わせていなかった。
「……綺麗だな」
そう言うしかなかった。
「でしょ! ここアリサのお気に入りなの! 早く木の下にいこ! アリサ早くママのサンドイッチ食べたい!」
木陰につくとアリサは早速バスケットからメアリーさんが作ってくれたサンドイッチを取り出す。卵にハム、様々な野菜を焼けたパンで挟み、サンドイッチは随分な厚さになっている。どこから手をつければいいのかと悩んでいると、アリサは見本を見せると、大きく口を開けて、サンドイッチに噛みついた。
「こうやって食べるんだよ」
この厚さに相当する大きさの口をよく開けられるものだと感心した。私も見よう見まねで大きく口を開ける。今までこんなに大きく開けたことがない。礼儀作法は一応重んじていたほうだと思う。カノンも自由奔放だったとは言っても王族だから同じだ。一時期は食事のたびに後ろに講師を置かれ、少しでも怠れば、その作業を何十回と繰り返させられていた。そんな私が初めて礼儀作法を破り、サンドイッチを食べた感想は、もちろん美味しいの一言に尽きた。隣のアリサも目を輝かせながら、こちらを向いて頬にサンドイッチを詰め込む。一度規則破れば、その抵抗感はなくなり、サンドイッチはみるみるなくなっていく。口にジャムをつけたアリサは嬉しそうにこちらを見る。
そういえばフィルはどこに行ったのだろうか。そう思っていると、目の前の花畑からフィルが出てきた。
「見ろ!」
頭に花びらをつけて、両手に掲げるのは白い小さな花で編まれた冠だった。
「わあ! きれいだね。フィルいつ花かんむり作れるようになったの?」
「こ、これくらいよゆうだわ!」
照れくさそうにフィルはアリサから目を逸らす。
「ねえ、ヘレン。アリサたちも作ろ!」
「こ、これやるから! もう一個なんて、つ、作らなくてもいいんじゃねえか……」
「ほんとっ!? でもヘレンともういっこ作りたいからフィルおしえてよ!」
「お、おう! いいぜ!」
顔を真っ赤にさせたフィルについていき、真っ白な花が咲いている空間に着いた。今までの花より少し丈が低く、緑色の葉たちの隙間にぽつぽつと花が咲いている。
「いいか……ここをこうやってクロスさせて……」
フィルは意外にも丁寧に教えてくれている。少しずつできたかと確認をしながら進めているが、アリサにはどうにも難しいようだった。
「ねえ、フィル。アリサのこれあってる?」
「ちげえよ。ほら貸せ。……ここを……この間に通すんだよ。……ほら」
「すごーい!」
「ま、まあな」
フィルの教えのもと、花冠はだんだんと繋がっていき、完成へと近づく。
「ヘレンすごいね! 上手!」
「そうか?」
「作ったことあるの?」
「いや、ないと思うが……」
海にいた時ならこんなものなかった。だが、隣の完全にフィルに花冠を投げ出したアリサと比べたら、確かにできているのかもしれない。
「いいか、お前」
「おまえじゃないの! ヘレン!」
「……じゃあ、まあヘレン。最後にこれでここをしばれ。あまった茎はすきまに入れ込むんだぞ」
ついに完成した。真っ白な花で作られたこの輪を見ると、どこか懐かしい気がした。
「ヘレンのきれい! フィルのより上手!」
「はー? どう見てもオレの方がきれいだろ!」
「だってフィルのちょっと花がとれてるもん」
「そんなのごさだ! ごさ!」
「ごさって何?」
「……あ、もう!」
怒りながらもアリサの分の花冠を最後まで作るフィル。完成した花冠はすぐにアリサにとられ、私の頭の上に載せられた。
「ヘレンきれい!」
「ふん。花かんむりが綺麗のまちがいだろ……」
「ヘレンはきれいだもん!」
互いに言い合っている二人が可愛く見えた。
「あ! ヘレン笑った! かわいい!」
自分も知らぬ間に笑っていたようだ。手に持っていた花冠をアリサの頭に乗せると、アリサも負けじと精一杯笑った。
「ありがとう! ヘレン!」
「ふ、ふん! かわいいんじゃねえの……」
小さく顔を横に向けてそう言うフィルは相変わらず真っ赤だった。
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