第19話


 あぁ、寒牡丹かぁ。

 これ、お母様のスーツの色だよね。

 なんていうか、自分の人生、自力で切り開ききったって感じだわ。


 「……目にも麗し、百花の王、ですか。

  流石に、堂々たるものですね。」

 

 存在感抜群だけど、育てるの大変そう。

 あぁ、私やっぱり、花より団子なんだなぁ。

 

 まぁ、おばさまが全然関心なかったんだよな、こういうの。

 活字と戯れてりゃ幸せって人だったから。

 あの人は花なんて栞になればいいって感じだもの。

 

 ……

 ただ、歩いていても、

 近すぎず、遠すぎず、絶妙の距離感を保ってくる。

 歩幅を、ごく自然に、私に合わせてくれていて、

 通路の側に、手入れされた花の側へ、私を寄せてくれている。


 気遣いの深い、人の痛みを知っている人、なんだろうな。

 そうあって欲しい、っていう気もするけど。

 ななみくんと逢う前なら、ひょっとしたら。

 

 あぁ。

 

 これは、なるな。

 『Nonturne』の、主人公みたく。


 読んどいて、よかった。


 「……どうか、なさいましたか?」

 

 「いえ。

  なんでもございませんよ。」

 

 あはは。

 純文学の歴史的作家でも、名のある商業小説でもなく、

 誰が書いたかもわからない★14の小説に、

 心の動きを支えられるなんて。

 

 ……そういうもの、なんだろうな。

 

 世間の評価や人からの注目じゃなくて、

 自分に、自分だけにぐっさり刺さるものっていうのは。

 

 「……

  ふふ。

  貴方の城壁は、どうやら、

  思ったよりもずっと堅そうですね。」


 あは、は。

 っていうかね。

 

 「鷹柳様も、今日は、義理だてに参られたのでしょう?

  ご実家が、私の母に、不義理でもなさいましたか。」


 「ははは。これは手厳しいですね。

  ないとは言いませんが、

  私が、貴方に、関心があったんですよ。

  なのに、生きることを心から楽しんでおられそうな貴方に。」


 ん?

 

 ……って、これ。

 

 「確かに、謝罪の意味もありますね。」

 

 これ、だって。

 一年前の。

 

 「カサブランカ、でしたか。」

 

 う、うん。

 っていうか、なんで。

 

 「この写真、アップロードしたのは、

  ですから。」

  

 え゛

 

 「客として、隠し撮りしてたようですね。

  それだけなら個人の粗相ですが、

  SNSにアップロードしたのは頂けませんね。」

 

 じゃ、じゃぁ、ひょっとして、さっきの写真も。

 ま、まさか、あのやばいテンションって。

 

 「顔、まともに見られなかったようですね。

  言動がおかしくなって、近づけなかったそうです。」

 

 ……なんだ、そりゃ。

 体育会だから全然作業してくれないのかって思ってたけど、

 そんなの、わかるわけないじゃない。


 「まぁ、こちらからきつくお灸しておきましたから、

  今後貴方にご迷惑をかけることはないでしょう。」

 

 「……どうぞご海容を。」

 

 なんか、土蔵とかに閉じ込めて

 米7粒しか出さないとかありそうなんだもん。

 あ、これ、拷問シーンで使えそう。


 「それをお伝えするのが今日の目的でした。

  という立場でありながら、大変恐縮なのですが、

  私が貴方に強い関心があることは事実です。

  よろしければ、今後ともご連絡をお取り頂けないでしょうか。」

 

 ……うまい、な。

 一見、自分を下げておきながら、目的は最初からこっちだ。

 ごく自然に、ゆっくり距離を詰めて来ようとするあたり、

 人としての余裕を感じる。折衝に慣れてる感じが凄くする。

 

 直観としては、誤解されることはあっても、

 根っからの悪人じゃない、と思う。

 騙されてるんだとしても、騙されてもよくなる、みたいな。

 女として、この人なら、許してもいいんじゃないか、って。

 

 それ、でも。


 (世界中を敵に廻すレビューを書くよ)


 私の、姿を、分かっては貰えないし、


 (血に濡れたビニールがばさって宙に舞うあたり)


 絶対に、こんなを、共有してはくれない。

 

 だから。


 「鷹柳務さん。」


 「はい。」


 「今日は、ありがとうございます。

  

  貴方のような素敵な、人としての魅力に溢れた方に、

  私のような粗忽者をそう仰せ頂けたこと、

  大変、光栄です。

  

  ですが。

  

  このようなところまで足をお運び頂いたにも関わらず、

  誠に申し訳ありませんが。

  

  私には、

  既に、お慕い申し上げる方がおります。


  病める時も、健やかなる時も、隣にいて頂きたい、

  私にとって、ただ一人の運命の方が。」


 ギリェモ敵方宰相の人物像、だいぶん固まったなぁ。

 ちょっと話の流れ、変わりそうだけど。


*


 『グラマネート・サーガ』


 年末年始、読者の多い時期に連載がはじまったことや

 前作が総合100位を維持していたこと、

 レオの溺愛ぶりに堕ちた後のフリアの胸を衝くような愛らしさなりたかった妄想もあり、

 広く新たな読者を獲得し、わずか十日間で★900を超えてしまった。

 

 反面。

 

 「急上昇、注目の書き手『たこわさ』、実は♀では?」


 レオがフリアを溺愛するシーンの描き方が、

 あまりにも女子のツボを捉え捲っているので、

 当然のようにその疑問が浮かび上がる。

 20歳女子大生なんだから当たり前なのだが。


 「コメント欄、ちょっと荒れてない?」

 

 なんていうか、元々の『たこわさ(50代♂酒カス)』ファンと、

 新しく入って来た女子のファンが混乱してる感じがする。

 

 「あはは、ななみくん。

  だいじょうぶだよ。秘策があるから。」

 

 秘策?


*


 こ、

 こ、これは……

 

 「本編に書いちまおうとしたんですが、

  さっすがにヤバいと思って、こっちにブリっとしときます。

  誰か俺の鋼の理性を褒めてくれ。」

 

 ウ〇コ。

 〇ン〇ネタを〇ン〇ンに使って背景解説してる。


 「中世とか近世って、下ネタも過激だったんだけど、

  この手の排泄物ネタがめっちゃ多かったんだよね。

  モーツァルトの私信とか、こんなんばっかだよ。」

 

 まぁ、

 うん、

 聞いたこと、ある。

 ある、けど。

 

 ……相当やばい人だったんだな、紗耶香さんのおばさん。

 そりゃまぁ、「experiment」みたいなものも書けるわ。


 「……おばさんって、日本酒に強い人だったの?」

 

 「ううん。

  それは御爺様造り酒屋から。

  杜氏さんのコラム見てるだけだど。」

 

 あぁ。

 あらゆるネタを無尽蔵に吸収していくタイプなんだな、紗耶香さんって。


*


 1月末日。

 試験期間が終わった日の夜。

 

 少し狭めの僕の部屋に鎮座するデスクトップPCを立ち上げて、

 ダウンロードしたテキストエディタを開く。

 

 ……

 うん。

 震え、ない。


 あの頃。


 順位が下がることに怯え、

 天井からずり落ちて行くことに、

 たとえようもない虚しさを感じていた。

 

 無意味にページを更新して、人からの評価の有無に、一秒ごとに心を焦がして。

 鮮やかに評価を勝ち取り、自分を抜き攫って行く小説と、

 作者への嫉妬に、胸を、身体を苦しめられて。 

 

 その必要は、もう、ない。

 少なくとも、今回は。

 

 だって。

 

 これは、ただ、

 僕の心に起こったことを綴るだけの、

 いわば、たった一人に宛てた、だから。

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