第9話


 ★2647。

 日間総合38位、か。

 

 凄い、な。

 商用への梯子が見えている。

 なんせ、帝国軍への反逆が開始される回だから、

 反響が大きいのは当たり前だけど。

 

 「お待たせしました。

  四條七海さん、ですね。」


 タキシードをしっかり着こなしていて、

 温厚そうだけどしっかりしてそうな、いかにも熟練したギャルソンって感じ。

 『ラクロニア・サーガ』の邦画版があったら執事役とかに出てきそう。

 

 「はい。」

 

 カサブランカ。

 老舗百貨店の六階の奥まったところ。

 著名地中海料理店が経営し、軽食もできる、暖色照明が御洒落な喫茶店。

 

 「接客業のご経験は。」

 

 「高校の頃に、1年ほど。」

 

 これも成績を下げた理由。

 まぁ、ぎりぎりで取り返せたけど。

 

 「わかりました。

  では、早速ですが、今日からお願いします。」

  

 え。

 志望動機とか、商材の特性とか聞かないの?

 

 「ふふ。

  人となりを確かめただけです。

  紗耶香さんのご推薦ですから。」


 え。

 紗耶香さん、ただのアルバイトじゃないの?


*


 う、げふ。

 

 つ、つかれた……。

 三年以上運動してない僕に、

 七時間、立ちっぱなしはしんどすぎる。

 

 お客さん、確かにそんなに人数はいないけど、

 みんなちゃんとした服装の人達だから、

 粗相もできないし、すっごい緊張した。

 付け焼刃の知識が剥がれること剥がれること。

 

 だ、だめだ、これ。

 今日、ちゃんと、風呂、入ろ。

 明日は日本文学史もあるんだし。

 

 あぁ、紗耶香さんに御礼、しとかないと。

 

 っていうか、紗耶香さん、ほんと凄いな。

 このバイト週2でやって、サークル2つ掛け持ちして、

 合間に書いた小説が日間総合38位。

 バイタリティとマルチタレント性が凄まじい。


 あんな人に隣で笑って貰える人っていうのはどんな人なんだろう。

 ……焼けた肌が似合う年上の洋楽好きなんだろうな、きっと。

 

 ……あぁ。

 なんか、書けそう、かもしれない。

 売れそうにないけど。主人公が卑屈すぎて。


*


 ……


 あぁ。


 ……

 もう、無理、か……。

 決め、ないと。


 えいっ

 ……と。


 はぁ。

 なんで、こうなっちゃったのかなぁ。

 もうちょっと、綺麗に終わらせたかった。

 っていうか、はじまってすらなかったんだけど。

 

 ……

 儚い運命だった。

 でも、これ以上、迷惑は掛けられない。

 

 ……

 これも小説のネタになるって思うって、

 ほんと、私の脳ミソ、腐り切ってるなぁ……。


 はぁ……。


 ……。

 

 「紗耶香。」

 

 ……。

 

 っ!?

 真奈美オマエ、殴んなよっ。


 「立ったまま寝んな。

  器用すぎ。」

 

 「紗耶香、カサブランカに

  彼氏連れ込んだんだって?」


 ……なんでそういう伝わり方になってんだ。

 っていうか、どこから伝わってんだよ。


 「まぁ、紗耶香の気持も分かるわ。

  ブロステニスサークルに流したら色めき立ちそうだったもん。」

 

 ……そうだよ。

 っていうか、流す前からだよ。


 「一回告白させてことわりゃいいんじゃね?」

 

 バカか。

 

 「ああいう手合い、何度も来るんだって、チャラい告白が。

  断る側の負担なんて考えてないんだって。」


 ……さすが。

 高校からモテてる方は見識が違いますな。

 私なんて所詮、なんちゃってだから。

 

 「で、さ。」

 

 ん?

 

 ……!!

 

 う、わ。

 やばい。嵌る。凛々しい。カッコいい。

 黒のタキシードにカマーバンド、ぴたって。

 ぴたってしてる。

 

 いい、いいわ、ななみくん。

 私の眼に狂いはなかった。

 もうこれで死んでもい……


 って、ナニコ……

 

 !?!?

 

 「あがってた。

  グルメ系のブログ。」

 

 ……げ。

 

 「書いてるの40代くらいのオバハンっぽいんだけど、

  イ〇スタにも出ちゃったから、やばい。」

 

 ……。

 

 「紗耶香んときも、

  ヤバい客、いっぱい来たんじゃなかったっけ。」


 ……あれが落ち着くまで、ちょっと大変だった。

 店にちょっと無理を言えるのはその頃の貸しのせいなんだけど。

 でも、これ。

 

 「紗耶香さぁ、

  なんであんた、囲い込まなかったの?」


 「そーそー

  粉掛けられないように、

  あのままにしとくっていう手、あったでしょ。」

 

 ……

 

 だって、

 どうせなら、

 

 「……

  見たかったんだもん。」


 「う、は。

  クソうすらバカだね、この娘。」

 

 「そうそう。

  あーあー、もうほんと、クッソ可愛いかよ。」


*


 あ。

 

 「あれ?

  ななみくん、こないだ買った服は?」

  

 撃退したはずの赤と黒のぼろいチェックTシャツ。

 髪型は変わっちゃってるから、減殺効果くらいしかないけど。

 

 「……もったいなくって。

  あれは、その、大切な時にだけ着ようかと。」

 

 え。

 ぷっ。

 

 やばい、涙目になってる。

 可愛い。信じられない。ただの古着なのに。

 

 「あはは、そういうのはまた別に買うよ。」


 そうなれたら、どれだけよかったろうな。

 

 「か、買う、って。」

 

 「着道楽になるつもりはないけど、

  フォーマルに近いやつも一揃えしといてもいいかも。」

 

 あは、は。

 ふつうに隣に座ってられる。別に私は気にしないんだけど。

 

 嘘つき。

 私が一番気にしてる。

 この俗物め。反吐が出る。

 

 もう、終わらせなきゃいけない。

 だけど、せめてこの一瞬だけでも、眼に焼き付けさせて欲しいから。

 

 あ。

 御爺様がいらっしゃった。

 

 「やぁみなさん、今日もよくいらっしゃいました。

  早いもので、もう第11回目ですね。

  今日は、太宰治についてお話しましょう。」


 太宰かぁ。

 先週の夏目漱石からの近代文学両巨頭セット。

 文〇ストレ〇ドッグスの能力者っぷりが。

 

 まぁ、この甘えを突き詰めた中途半端さ、

 私、めちゃくちゃ覚えがあるから。

 ほんの少しよろけたらこっちに行っちゃう自信がある。


 ……隠すな、紗耶香。

 オマエ、いまも、そうだろ。

 

*


 ……なるほど、ね。

 

 「すなわち、自殺の要因は三点あり、

  その一つでも欠けていたら、太宰は生存していた。

  そう考えることもできるかもしれません。」

 

 一つひとつも十分大きなものだが、

 三つ揃ってしまったが故に、か。

 

 ……にしても、女性遍歴が激しすぎる。

 本妻がいて、愛人がいて、別にまた愛人がいて。

 愛人から作品の元資料をパクっては棄て、パクっては棄てて。

 

 ……苦労、してたんだなぁ。

 傍流商業作家の、身を切り売り続ける地獄を見る気がする。

 作家になることが、人間の幸せとは限らない。

 

 限らない、けど。

 

 ……

 綺麗な人だ。

 爪先まで、綺麗に磨かれて、色彩豊かに整えられてる。

 

 この人が「たこわさ」の中身なんだもんな。

 詐欺だほんと。絶対、ありえない。


 ……

 香水がうっすら薫ってくる。

 やばい。

 なんか、すごく、「たこわさ」に犯されてる。

 しゅ、集中しないとっ。


*


 「ではみなさん、ごきげんよう。

  さようなら。」


 お、おわった……。

 こ、これで、邪な心から

 

 「ななみくん。

  一緒に、帰ろ?」

  

 え゛

 

 「あはは。

  私、これから、カサブランカだからさ。

  駅までだけど。」


 あ、あぁ。

 駅まで、くらいなら、

 ぎりぎり、抑え込める。

 

 「……どうしたの?

  体調、悪い?」

 

 「大丈夫。

  なんでもないよ。」

 

 なんでもない。

 ほんとうに、なんでもない。

 

 「そういえば」

 

 「ん?」

 

 やべ。ラクロニア・サーガ連載中小説の話、振りそうになった。

 いまは大学で、小説の話、できないんだったっ。

 あぁもう、焦るからっ。

 

 こ、この局面で、

 なんの話題が一番いいんだ。

 バイト? 講義? 服?

 あぁもう、会話の選択肢狭いな僕はっ。

 

 「……

  ありがと。

  ふふ。

  いつも、気、使ってもらってるね。」

 

 ……分かられちゃった。

 あぁもう。なんてこった。

 

 「……。」

 

 3限終わり、通勤列車のような混雑の中、

 ただ、隣で、歩く音を聞き、気配を感じる。


 なにも話さないのに、

 顔を合わせているわけでもないのに、

 なにか、通じ合っているような錯覚が

 

 「紗耶香っ!」

 

 ?

 

 「っ!?」

 

 紗耶香さんの綺麗な横顔が、ほんの少しこわばった。

 

 「探したぞ。

  どうして俺、お前にブロックされてるんだよ。」

 

 袖のぶかっとしたルーズシャツに、

 白シャツとジーパンを合わせた目元爽やかそうな男子学生が、

 姿形とは裏腹に、眼を少し、血走らせている。

 

 駅の手前、図書館前の噴水。

 大学構内、最大級の目抜き通りで。

 

 男子学生が、紗耶香さんの手を取ろうとすると、

 紗耶香さんが、ぱんっと手を叩く。

 

 陽の光に金髪を煌めかせるその姿は、

 叛逆の狼煙をあげんとするラクロニア・サーガの主人公、

 オフィリア・オクセンシュルナ、その人のようで。

 

 男子学生は、爽やかな筈の眼を血走らせながら逆上しそうになったが、

 周囲の学生が足を止め、遠巻きに見られているのに気付いたのか、

 歯をギリっと鳴らした。

 

 そして、

 まるで、初めて僕の存在に気付いたように、

 憎しみを込めた眼で、僕を睨みつけてくる。

 


 「お前、誰だよ。

  紗耶香の、なんなんだよっ。」


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