8 光の襲撃

 エストラ姉弟はフードを深く被り、ギルバートの少し後ろにぴったりとくっついて俯いたままだ。不審に思われかねない装いだが、エルフだと言われて迫害されることを非常に恐れている。キュアノエイデスの村人たちはフードの二人を一瞥しただけでギルバートに視線を戻した。

「イゼットが帰ってくるのは理解できるが……ノルクライスの人間がなんの用だ?」

「泊めてくれないだろうか。二か月以上グリーンアースの中を移動していたんだ。体を休めたい」

 不審な目でギルバートを見る村人を遮り、イゼットが口を開いた。

「魔術礼装を作ってる地下要塞で知り合ったんだよ。俺もこいつらもノルクライスに行く予定なんだが、一緒に過ごした仲間なのに俺だけ村で休むわけにもいかないだろ? 一緒に村に行こうって俺が提案したんだ。邪険にしないでくれ」

 新しい魔術礼装を作ってもらったからいいけど、前から持ってた魔術礼装はここに来るまでに割れちまったしさ、と呟いたイゼットが広げた手のひらには割れた金色の指輪がある。

「盛大に割れたな。まあ泊めるくらいなら……」

 指輪からイゼットへと目を向けた。村人はイゼットの隣にいる男が憎き民族であると認識する。


 フードで隠していても分かる日に焼けた顔、くすんだ鈍色の髪、筋肉質な体躯。カリュプスだ。


 憎くて堪らないカリュプスの男を見てキュアノエイデスの村人たちは顔を顰めた。ラシードは村人の様子の変化に気づき、その大柄な体をイゼットの後ろへと隠す。

「なんでここにあの山岳の野郎がいるんだ」

 一気に警戒したキュアノエイデスの村人たちは青い髪を僅かに発光させながら詰め寄った。今にも攻撃せんとする村人たちの前で、イゼットは腕を広げて前に立ちはだかる。

「こいつに敵意はない」

 彼らは信じられないとでも言いたげな顔をして魔術の行使を止め、イゼットとラシードを交互に見た。

「カタロイアス様に誓おう。彼が俺たちに危害を加えることはない」

 信仰する神の名を出してまで誓った力強い言葉に村人は感情の行先を失い、何とも言い難い表情で道を開けた。

「……おかえりイゼット。それからようこそ、我が村へ」


 川から少し離れた平地にあるキュアノエイデスの村は、ノルクライスよりかエストラ姉弟が生活様式に近い。平屋のみで視界が広く、風が抜けていくように対角に窓がある。イゼットは親戚に顔を出すからと言って姿を消し、入れ替わるように肩甲骨より下までの青い髪を三つ編みにした女性が「疲れたでしょう? 空き家があるからそこまで案内するわ」と手招きした。

「ここ使って。数年前にノルクライスに行くって言って出ていった人が使っていた家なの。ちょっと狭いかもしれないけど掃除はしてあるから」

 女性が案内を終え家から出ていくと、誰もが黙ってしまって静けさが訪れる。ギルバートが荷物を降ろしたのを見て緊張が解けたのかエストラとレーヴェンは床に座り込んでしまった。

「緊張していたんだな」

 ラシードがぎこちない笑みでエストラに手を差し出す。その手が小刻みに震えているのを見て、エストラはフードがずり落ちるのも気にせず軽快に笑った。

「そうね、貴方も緊張したわよね」

 差し出された手を取り立ち上がる。レーヴェンを引っ張り起こすとエストラは手を軽く動かした。二つの窓掛けが閉まる。そうしてやっとフードを脱いだ。ここに来るまで強張らせていた顔はそこにはもうなかった。




 陽が沈み、赤く染まっていた西の空が薄闇を着込む。全ての星が瞬くにはまだ早い。イゼットは空を見上げ、ノルクライスで見た空に浮かぶ魔術の陣を想像した。あの空には大規模の魔術がかかっていた。一国全てを覆う、人々を守る魔術。

「礼装は補充できたか?」

 背後からの眠たそうな声に振り向く。ギルバートは目にかかる髪をかき上げ、イゼットの横まで歩くと立ち止まった。

「そりゃばっちり」

満面の笑みで手を見せびらかした。右手薬指にはめられた新しい金色の装飾。前の物とはデザインが違う。

「で、話ってなんだ? 俺は眠いんだが」

 呼び出したのはイゼットで、それに応えたのはギルバートだった。先ほどとは打って変わって神妙な顔つきになり、ギルバートも自然と表情を引き締める。

「ノルクライスの空にある……あの陣について教えて欲しい」

ギルバートは詳しく知っているわけではないが、と話し出した。


 天空に描かれた魔術の軌跡は外部からの攻撃を守る防御障壁であり、陣の模様に合わせて担当する魔術師が振り分けられていること。

 常に維持をしなければならないため、陣について考えることを中断することはできないこと。

 そのためには想像を絶する厳しい生活と、高い集中力が必要なこと。「天陣」と呼ばれるあの陣は十二年前に作られたこと。

 そして十五年前、「天陣」創造のきっかけとして、災害と呼ぶには異様な光の雨が降り、それにより多大な被害を受けた事例があったこと。

 政府は光の雨はアルカトラン連合国によるものではないかと推測していること。


「俺が知っていることはそれだけだ。エデンカドラ学術院の資料にも国立図書館にも詳細が書かれたものはなかった」

「天陣、か」

 暗闇に飲まれ星が煌めく空に腕を伸ばした。

「俺にもできっかなあ」

「国を覆いつくす大規模な魔術の全ての構造を考えられるか? 見様見真似で陣を描くことはできるだろう。だが空高い位置に陣の形を維持し続けることだけでも非常に難しいのに、その陣全てに何かから人を守れる効果を均一に持たせることができるか? やめたほうがいい」

「はっ、できないね! でも作ってやりたいよ。できることなら」

 両手をかざし、目を細める。暗闇の中で光り輝く青髪が魔術の行使を示していた。夜空に白い流れ星が落ちるように、模様を描いていく。半円を描いたところで指先が弾け、同時に白い軌跡は消滅した。

「言わんこっちゃない」

「これ難しいな。陣を描いてから防御障壁を生成するか、陣を描くとともに防御障壁を生成するかで構築することが変わってくるし考えることも維持する順番も全部変わる」

 首をすくめて悔しそうに顔を歪めた。

「誰がどこをどう思考して維持しているのか分からないものを真似するのはよせ」

「分かったよ。悪かったな呼び出して」

「いや、いい。眠いからもう戻る」

 ギルバートはイゼットに背を向け、あくびをしながら戻っていった。何も描かれていないただの星空の下、イゼットはずっと天陣のことを考えていた。魔術の素質を活かしたいと、そう思って。




 翌日も翌々日も、イゼットは陽が沈むと外に出て空に陣を描くことに挑戦していた。ギルバートは連日の魔術の行使で酷く疲れていたようで食事の時以外はほぼ眠っており、エストラ姉弟は毛布を被って家から出ることはない。

 イゼットが失敗しては呻き、また挑戦する姿を見ていたのは、窓掛けの隙間から外を眺めていたラシードだけだった。

 四日目の昼、空に浮かぶ未完成の陣を見たギルバートが呆れイゼットを呼びつけた。

「イゼット! 中途半端な状態は変化していない純粋なエネルギーのようなものだ。危険だって分かっているのか? お前はそうやって……」

「わかったって! 煩い奴だな。お前は俺の親父かよ」

 俺の方が年上だけどと煩わしそうに眉根を寄せて陣の外縁を指さす。

「俺もちゃんと考えてやってんの! 陣は閉じてるだろ? 一応円環として完結させているんだよ。ずっと意識を空に向けてられないから効果はともか、く……」

 目を焼くような鮮烈な白。それは未完成の陣に当たると防御障壁にひびを作り、貫通する。


 その光が命を脅かすものであることは明白だった。


 ギルバートの数歩後ろに光の槍は突き刺さり徐々に砕けていく。光は一つだけではない。二つ、三つ、四つと光が防御障壁にぶつかり、貫通した。そのうちの一つの軌道はギルバートに向かっている。

 腕を真っ直ぐ光に向かって手を伸ばした。脳は素早く軌道を計算し、エネルギーを想定する。外界接触礼装の腕飾りや耳飾りを介してエネルギー物質から純粋なエネルギーを密集させ防御障壁へと変容させた。

 ギルバートの作った防御障壁にぶつかった光は跳ねることなく障壁に埋まる。しかし光は速度を落としながらも貫通し、ギルバートは片手を薙ぎ払うように動かしてもう一枚の防御障壁を作った。二枚目の防御障壁で止まったかのように見えた光はまたも貫通し、追撃するように別の光の槍が降ってくる。間一髪で避けたギルバートは借りた家のほうを見た。まだそこには光は降っていないが、時間の問題だ。


「光の……雨!?」


「ギルバート! だめだ、もうあちこちに降ってきてやがる!」

 イゼットは円を描いて防御障壁を作り、走り出した。逃げろと叫びながら村中に声をかける。昼食を村全員で食べる習慣があったためかほとんどの村人は家の外に出ていた。各々身に降りかかる光を咄嗟に防御障壁で防ぐも、光は障壁を貫通する。次々と負傷し、その場から動けなくなっていく。

 光の攻撃は空を切る音以外は静かで、ただ雨のように降るだけだ。しかしその光は子供の腕ほどの太さがあり、当たれば怪我どころの話ではない。

 借りた家からエストラがフードを被ったまま出てきた。

「エストラ! くそっ」

 エストラたちに近寄ろうとするとまた光が落ちてくる。障壁を作り、貫通する前に走った。

「ギルバート!」

「レーヴェンとラシードはどこだ!」

「まだ家の中よ、外の方が身を守れる?」

「今見た光を防げるならな! 魔術に自信はあるだろう?」

 頷いたエストラはレーヴェンとラシードを呼び、外に出た。出たそばから光が落ちてきて、エストラは腕を軽く降り上げた。


 同等かそれ以上のエネルギーを凝集させ光に向かって放つ。光はそのエネルギーと衝突したが、それでもそのエネルギーをも貫通し刺し殺す勢いで落ちてくる。エストラは光のみを見つめ、腕を交差させてから勢いよく振った。光の何かを全てエネルギーに変容させ、粉々にする。細かくなったエネルギーそのものはエストラの魔術によりただの熱となった。熱い空気が肌を包む。


 エストラはずれてしまったフードを被り直した。

「……余裕あるな」

「まあね」

 一軒向こうで悲鳴が上がった。尋常じゃない叫びにラシードが走り出す。

 足を貫かれた男性が蹲り、地面には血が広がっていた。どう見ても歩けそうにない。ラシードはその男性を担ぐと降ってくる光を避けた。

「あ、あんた……」

「他に怪我人は?」

 低く響くようなラシードの声を聞いた男性は怯えたが、すぐにすぐ近くで倒れている女性を指差した。

 光を避けながら女性をもう片方の腕で担ぎ、また走り出す。青年たちが数人がかりで大きな波動を打ち出し光の槍の軌道を逸らしている場所へと二人を置くと、まだ倒れている人を連れてこようと光が降る中に戻っていった。

「あんた危ないぞ!」

「魔術を使っていて動けないだろう! 私が行く!」


 たった一人のカリュプスの行動で民族間の溝は埋まらない。そのことをラシードは分かっている。それでも、と体が動くのだ。負傷者は地面の上で血を流している。それが長きにわたって憎みあってきたキュアノエイデスでも。


 男性を担いだ瞬間に避けきれそうにない光の槍が降る。ラシードは左足で強く地面を踏んだ。瞬間左足を中心に地面が円形に抉れ、抉れた場所にあった土は中央に集中しラシードを覆い隠すような壁となった。

 脆く柔い建物の壁を光の槍は容易に貫通するが、ラシードの作った土の壁はそうではなかった。光の槍はぶつかった瞬間に、地面に当たった他の光の槍同様に砕け消える。すぐに走り出して倒れている少年二人を担いだ。

 インファノのように精緻で緻密で綿密な工作や造形をすることはできないが、生きる環境は近い。似たような魔術的素質が彼の命を繋いでいる。


 ラシードが奔走しているのを見てエストラとレーヴェンは行動に迷っていた。自分に降りかかる光は比較的簡単に防げる。倒れている人は助けたい。だがラシードのようにすぐに動けなかった。走るのは勿論大きな動作をすればフードが脱げて耳が露出してしまう。ニンファであることをどうしても隠したい。

 かなり離れた場所で複数の悲鳴があがった。五人が動けなくなって蹲っている。


 レーヴェンは深く息を吸った。降りかかる光を打ち消しながら走る。


 蹲る五人の傍まで行くと両手を広げて範囲内の光を全て分解しエネルギーへ、そしてただの熱へと変容させた。すぐに連続で光が降ってくる。片腕で大きく薙ぎ払うように動かすと光は全て熱へと変換された。フードはもう意味を成さず、耳は隠せない。それでも降りかかる光を打ち消すために魔術を使う。

 別の場所で悲鳴が上がる。ギルバートが走り出した。

「悪いが少し離れる」

 一人取り残されてもエストラは動けず、葛藤していた。弟はもう行ってしまった。今からでも人を助けに動いた方がいいのは分かっている。それでも人への恐怖は拭えない。


 動くか、動かないか。


 一際大きな泣き声と娘の名を呼ぶ女性の声がエストラを刺激した。声のする方に向かって走り出す。少女の足には光の槍が貫通したような怪我があった。そしてその少女の母親であろう女性が少女を守ろうと必死に防御障壁を張りながら覆い被さっている。

 二人の前に立ち、エストラは思いっきり腕を広げた。

「治療に専念して! 私が守るから!」

 はっきり格好よく叫んだつもりが掠れたみっともない声しか出なかった。エストラは自身の情けなさに自嘲した。それでもしっかりと降りかかる光の雨を腕一振りで全て熱へと変える。熱気が立ち込め不快だ。反対の腕で手前に扇ぐと風が吹きこむ。熱が一か所に留まらないように風を送るのも必要だ。助けにきたならそれ相応の仕事はこなそう。


「姉さん! こっちに来られる? 固まったほうが防ぎやすい!」

「レーヴェン! こっちは負傷者一名! 動けそうもないわ!」

「分かった! ちょっと待ってて!」

 レーヴェンは後ろを振り向いて蹲る五人のキュアノエイデスの村人に話しかけた。

「絶対に僕が防ぐから、信じて姉さんのところに移動しよう」

 背中に目などついていないのにも関わらず完璧なまでに降ってくる光の槍を分解し熱へと変えている。凡庸な魔術師には真似のできない芸当だ。信じるも何も今頼れるのは目の前で守ってくれている者のみである。五人は目配せしあうと大きく頷いた。

 レーヴェンが光を打ち消しながらゆっくりと移動する。それに合わせて五人も動き、無事にエストラと合流した。

「レーヴェン、私が防ぐからその娘の怪我を治療してくれるかしら」

「任せて」

 レーヴェンはしゃがむと少女の足に触れた。ふくらはぎ外側が抉れていて出血が止まらない。

「長腓骨筋とかごっそりやられちゃったのかな……」


 患部を見たところ骨の損傷はないと判断し、掌を当てる。

 まずは幹部周辺を解析して血管と神経を確認する。血管、神経の再生、筋線維の修復、皮膚の再生。損傷部周辺を消毒し、足を裂いた二つの肉の組織同士を合わせるようにしっかりと縫合した。


 顔を白くして震える少女の頭を撫でる。

「これで大丈夫だよ」

 涙で頬が濡れていた少女は薄っすらと目を開ける。視界に映る光の雨。足を治療してくれた顔の綺麗な誰か。

「カタロイアスさま……」

 幼い手が自身の額を撫でる手つきをした後、緩慢な動きでレーヴェンの額を撫でる動きをした。キュアノエイデスの信仰する神カタロイアスに感謝や願い事をするときの動きだった。

 エストラ姉弟が守る範囲が安全であることを見たラシードは彼女らの周囲に残る負傷者がいないことを確認し、残る負傷者に目を向けた。そこへ駆け寄って人数を確認する。遠目からでは三人に見えていたが、実際は四人だったようだ。四人も一気に抱えるのは難しい。

「ラシード! 今そっちに行く!」

 怪我をした男性を安全地帯へ移動させた後、イゼットは走り出した。ラシードに手を貸そうと動こうとするもすぐに光が降って行く手を阻まれる。

「くそっ」

 光を避け、波動で弾き身を守っていく。イゼットの声に反応したラシードが振り返り、イゼットの名を呼んだ。直後、上から複数の光を感じる。


一本目。体を捻って避けた。

二本目。着地させた右足で強く地面を踏み、壁を作る。

三本目。踏みしめた右足を無理やり一歩後退。


 無茶な動きをしてからすぐに体勢を変えることは出来ない。僅かな時間差で降ってきた四本目を咄嗟に横に逸れようと体を動かすが本能が間に合わないと警告を出していた。土を壁にするにも時間が足りない。これは、直撃する。最大限硬質化させた腕を犠牲にすれば致命傷にはならないかもしれない。しかしどうだろう。一定の硬度と衝突することにより砕けるのであればそれで助かるかもしれないが、そうでなかった場合は? もし……もし、大地と接触することが砕ける条件ならば?


「ラシード!」


 酷く焦ったような大声と共にイゼットの青い髪が視界を遮る。突き飛ばされたことに気づくと同時にイゼットの体を一本の光が貫いている光景が目に入った。

 貫通し地面に突き刺さった光は砕け散り、倒れこんだ血塗れのイゼットを受け止める。

「ば、バカお前……あんなの全部、避けられるわけ、ねえだろ……」

 内臓の損傷で血を吐き、ラシードの服を血で濡らした。鉄の匂いが強い。現実が受け入れられず呆然として動けなくなる。レーヴェンがその場をエストラに任せ、ラシードとイゼットのほうへと走り出した。

「しっかりして!」

レーヴェンがラシードとイゼット、残っていた四人から光から守り打ち消していく。数えられないほど打ち消した後、光の雨はようやく止んだ。


 憔悴した表情でイゼットを抱くラシードから、レーヴェンとギルバートはやや強引にイゼットを引き離す。イゼットは呻き声すらもなくただ青ざめていた。担架に乗せた傍から真っ白な担架が血に染まっていく。

「出血が止まらない!」

 村人たちが急遽作った天幕の中に運び入れ、治癒魔術に長けた村人を二人ほど呼んでくるようエストラが声を張り上げた。五人がかりで出血を止めようとするも出血量が多すぎて患部が良く見えない。

 天幕の中で茫然自失となっているラシードに「治癒魔術が得意ではないならとっとと失せて瓦礫の片づけでもしとけ!」とギルバートが怒鳴った。

 ラシードが天幕から出て行ったのを確認したレーヴェンが地に円を描くように手を動かすと天幕の入り口がきつく閉じられ、寝台を中心に空気の膜が張られる。治癒魔術に長けた村人の一人が気道を確保し麻酔を打った。

「震えて顔も青白いし汗もかいているし……位置が位置だから肝臓を貫通しているかも」

 エストラが患部に手を当てて解析する。肝臓を貫通しているのは間違いなかった。

「こんな治療したことないわ。ギルバート、これ、これって……先に動脈結紮してから肝臓の再生をしたほうがいいの?」

「しなかったら出血止まらんだろう」

 集中して細い糸を作り、ギルバートは肝臓に繋がる動脈を結紮する。

「姉さん。僕が解析で心拍数と脈拍の差と呼吸数確認するから、大丈夫。それにいつも綺麗に怪我を治していたでしょ」

 レーヴェンはエストラを見つめた。覚悟を決めて口元を服で覆い、手に薄い膜を張ってイゼットの患部に手を触れる。再生する一連の流れを頭の中で描き、肝臓の再生を開始した。

「出血が多すぎる。輸血したいくらいだ」

「全血製剤あるぞ」

 もう一人の村人が指を動かすと治療道具が入っているであろう箱が開く。真空の包みの中には血液が入っており、一定の温度で保存されていた。包を吊り下げると、輸血口に針を刺し、管にある濾過筒を満たす。管の先の針をイゼットの腕の血管に刺した。

「輸血速度は勝手に調節してもいいか」

「十分すぎる。あとで教えてくれ」

「はは、学習意欲の高いお兄さんなこった」

 イゼットのためにも早く終わらせてくれ、という言葉にギルバートは頷いた。

 結紮の状態と肝臓の再生を確認する。緊張しているのか、丁寧な再生ではあるがいかんせん速度が遅い。

 エストラの手に己の膜を張った手を重ね、ギルバートはもう一度深く解析する。

「問題ない、ちゃんと再生しているから安心しろ」

 それを聞いたエストラはほんの少しだけ顔を緩めた。


 肝臓の再生が終わり、静脈の癒合をして動脈の結紮を解除する。肝臓の色が鮮やかな内臓らしい色を取り戻し、血流に異常がないことが分かる。

 腹膜、筋線維と修復し、縫合して初めて天幕内に安堵の息が漏れた。


 ギルバートは血塗れの服を脱ぎ、村人から服を借りた。エストラ姉弟は今になって耳を露出させたままであることに気づき、焦って天幕を飛び出した。

「あんな急いでどうしたんだ?」

「そそっかしい連れで申し訳ない。顔をあまり見られたくないみたいで……」

「格好良くて綺麗なエルフの姉ちゃんと兄ちゃんなのにな」

 ぎょっとしてギルバートは村人を見る。

「ばれないと思ってたのか? あんな綺麗に光の槍みたいなもんを打ち消せるのなんてエルフくらいだろ。耳も尖がってるしよ」

 苦笑いでギルバートは頬を掻いた。それもそうだ。フードがずり落ちても気にせず光を打ち消している姿を見れば誰だって分かる。

「……エルフと言わないでやってくれないだろうか。彼らはエルフと呼ばれるのが嫌なんだ。ニンファって呼んでやってくれ。エルフと呼ばれるのは……人間じゃないと差別されているように感じるらしい。俺もそれをやらかしたから人のことを言える立場ではないんだが」

 顎髭をさすりながら村人は不思議そうな顔をした。

「悪い意味でそう呼んでるわけじゃないんだが……あの子らがそう感じるならそうなんだろう。次から気を付けるよ」

 大きく背伸びをしてイゼットの眠る寝台に張られた膜を見て、次に天幕に手をかける。きつく閉じられていた天幕の入り口はただの入り口の布となっていた。

「他のことをしていてもこうやってイゼットの体内の縫合糸の維持だけじゃなくて、天幕の入り口は緩めて寝台を覆う膜維持できるニンファの兄ちゃんはすごいよなあ」

 もう飯を作っていると思うから全員広場に集まってくれ、疲れたろう? と付け加え、村人は天幕を出て行った。

 ギルバートは天幕を閉める。ラシードに声をかけてから着替え、フードを深く被ったエストラ姉弟を連れて広場へと向かった。


 火を囲んで人々が座っている。

 髪を一括りにしたキュアノエイデスの青年が大粒の雑穀を素早く研ぎ、水と共に大釜に入れて火にかけた。そこへ淡水魚で作られた魚醤とすりおろした生姜を入れる。沸騰したところに山菜と茸を加えよく混ぜひと煮立ちさせ、最後に赤い実をひとつかみほど大釜の中へと落とした。独特な魚醤と茸の香りが広がり、火を囲む人々が顔を上げる。青年は器に装い取り分け、配っていく。

 器を受け取ったギルバートは匙で掬い、口に入れた。魚醤の香りと茸の香りが程よく漂い、柔らかい舌触りの雑穀と歯ごたえの残る山菜が美味しい。赤い実は甘すぎることなく丁度良かった。

「この実は……」

「それはアルバの実。収穫してしばらく置いておくととても甘くなる果物だよ。今回は粥に使うから収穫して間もないものだから甘すぎるってことはないはずだ。美味しい?」

 粥を作っていた青年がギルバートの隣に腰掛け、人懐っこい笑顔で話しかける。村の人間が近寄ってきたことにエストラとレーヴェンが体を縮こまらせた。ギルバートは隣に座るエストラの背を軽く叩き、「ああ、美味しい。作ってくれてありがとう」と答える。青年は嬉しそうに頷いて己の分の粥を口に運んだ。

 レーヴェンが耳が見えないようフードを抑えながら粥を匙で口に運ぶ。山菜の食感に魚醤と茸の香りが乗り、その旨味に眉を跳ねさせた。

「……美味しい」

 ぽつりと呟いた弟につられエストラも粥を一口食べる。

「美味しい!」

 ぱっと目を輝かせたエストラはその旨味に反射的に言葉を発した。

「本当? 良かった!」

 粥を作った青年がエストラとレーヴェンを見る。彼の喜びに満ちた表情を見た二人は一瞬固まり、そして僅かに照れてフードを深く被り直した。

「連れは照れ屋なんだ。気を悪くしないでくれ」

「美味しいって言ってくれるだけで嬉しいよ」

 青年は立ち上がると空になった器を籠に入れ、まだ未使用の器に新しく粥を盛りつけた。そして離れた場所で佇むラシードに近寄る。差し出された器にラシードは困惑したように一歩後ずさった。

「食べなよ」

「しかし私は……」

「山岳野郎だからって飯を分けないほど冷たくない。俺たちを守ってくれてありがとう」

 頑なに受け取ろうとしないラシードに器を押し付ける。


「イゼット兄さんがあんな重傷を負ったのは自分のせい……って思ってないか?」


 考えていたことを当てられラシードは唇を歪ませた。

「あんたのせいじゃない。あんなの、誰が受けても大怪我だ。イゼット兄さんがあんたを庇ったってことはあんたは悪い人じゃないんだろう。だから……食べなよ。冷めないうちに」

 ラシードの手を掴んで匙と器を持たせる。青年はギルバートたちに見せたような人懐っこい笑顔を浮かべて元の場所へと戻っていった。


 焚火に集まるキュアノエイデスの人々を見る。睨みつけてくるような人はいなかった。躊躇しながらも匙で掬って口に入れる。独特な風味に目を閉じた。

 担架を真っ赤に染め顔を青ざめさせたままのイゼット。血の海になった寝台で青い髪を散らしながら横たわるイゼット。天幕の中で生死を彷徨うイゼット。

 高度な治療魔術ができない自分が恨めしかった。避けれそうになかった自分の未熟さにも腹が立つ。私のことなど庇わなければよかったのに、と言いたくてもまだ目を覚ます気配はない。

 敵意剥き出しだった顔は、いつの間にか友人とも呼びたくなるほどの柔らかさを内包するようになった。目の前で光に貫かれたイゼットの光景が焼き付いて離れない。器の中に涙が落ちないように強く目を閉じて堪える。

 口の中ではかつてグリーンアースを歩く中でイゼットが作った粥に似た味がした。




 村の再建にあまり時間はかからなかった。キュアノエイデスが魔術的素質に関わる第二の神経回路が極めて多いサーキットであることに加え、ラシードが瓦礫の撤去を素早く終わらせたからだった。数日経てばほぼ元通りで、不便さはない。

「私ね、前にイゼットに訊いたの。どうしてキュアノエイデスとカリュプスの間には溝があるのって」


 遥か昔、少なくとも百年以上前のことだ。当時は交流のなかった二つの民族だった。しかし偶然出会ったカリュプスの青年とキュアノエイデスの少女は恋に落ちてしまう。二人の間で生まれた銀白の髪に真っ白な肌の天使のような子供は、二人によって隠されて育てられてきたが、隠すことなどできるはずもなく発覚し、キュアノエイデスの青年もカリュプスの少女も引き離されてしまった。

 残った子供をどうするか、それが始まりだったと言えばそうかもしれない。なにせこの子供は魔術的素養も高かったからだ。

 キュアノエイデスは普通の魔術師たちとは違う。髪がエネルギー物質と反応性を示し、イメージの構成力によってエネルギー物質を変化させる際に青い髪が微弱な発光をして輝く。髪が疑似神経回路に近いために、疑似神経回路がなくても多少の小さな魔術は使えるのだ。

 カリュプスもまた、通常の魔術師たちとは違う。荒れた山岳に住む彼らは多くの第二の神経回路を持ち、強い筋力を持っていた。一時的な肉体強化の魔術に加え、エネルギー物質を単なる不安定なエネルギーとして扱うことと、土を使った連発性のある魔術に特化している。

 そんなサーキットの間で生まれた白く美しい子供は、キュアノエイデスのように髪がエネルギー物質と反応し、柔軟で頑強な筋力を持っていた。恵まれた才は欲望の的になる。

 二つの民族から離れて暮らしていた場所で、二人は無残に殺された。血が滴り、折り重なるように死体が二つ。幼子の姿はそこにはなかった。

 どちらの民族も、向こうの民族が二人を殺し幼子を誘拐したのだろうと考える。親子の中を切り裂く残虐な性格をした人間はこちらにはいないのだから、と。

 これを機に互いに憎み合うようになった。たった一度の惨劇はきっかけにすぎない。交流は完全に断絶したと思われたが、何故かどちらの民族でも十代後半の青年や娘が誘拐されることが何十年にもわたって続いた。

 誘拐したのは向こうの民族に違いない。悲劇の子供に味を占めて、攫ってまで意図的に子を設けようとするなどなんて残忍で凶悪な民族なのだろう。そうやって互いに憎しみや怒りは世代を超えて受け継がれてきたのである。


「憎み合っていても、歩み寄ることができるものなのかしら」

 荷物運びを終えたラシードが天幕の中へと入っていった。屈強な背が天幕の布で隠れ、見えなくなる。

「ラシード、眠ってるイゼットを見てるだけで声をかけないのよ。声かけたらって言っても首振っちゃって……」

 エストラがため息をつく。どうやらラシードは空いている時間はずっとイゼットが横たわる天幕にいるようだった。

「イゼットが目覚めるまで私たちも気が抜けないけど……あんな悲痛な表情でイゼット見つめてるラシードとか、ギルバート貴方、見ていられる? 私とても気まずくて」

 再度大きなため息をついてフードを深く被り直す。もう村人のほとんどがエストラとレーヴェンがニンファであることを知っているが、ギルバートはそれをあえて言わなかった。

「……大方ラシードの罪悪感がそうしているんだろう」

 エストラは眉を顰め、愚か者を見るような目でギルバートを見る。隣に座るレーヴェンも似たような目でギルバートを見た。

「貴方それ本気で言ってる?」

 罪悪感もそりゃあるだろうけど、それ以上にラシードはイゼットが好きで堪らないのよ。そんなエストラの言葉にギルバートは面食らった。


 翌日、感染症の可能性はないと判断して寝台を覆っていた膜をレーヴェンが完全に解除すると、ラシードはおずおずと近寄って跪いた。

「天幕閉めとくから」

 レーヴェンの言葉が聞こえているのかいないのか、ぼんやりした様子で小さく頷く。イゼットと二人きりになったラシードは何をするでもなく傍で見守るだけだった。少し前にエストラに言われたことを思い出し、ラシードは口を開いた。

「……イゼット」

 絞り出すような声で呼びかける。名を口にしたら止められない。おそるおそるイゼットの額にかかる前髪を指で梳く。青ざめていた頃と比べると随分と血色がいい。

 光を反射してきらきらと輝く青い髪はまるで星みたいだった。自身のくすんだ灰色の髪とは全く違う、寝台に散らばる透けるような薄浅葱色の毛先を掬い取った。

 目を覚ました彼にまず、何て言おう。悪かった、と言うべきだろうか。すまなかったと謝るべきだろうか。いや、最初はまず助けてくれてありがとう、に決まっている。青い髪と同じく青い睫毛が震えた。変化に全身が粟立つのが分かる。ラシードはイゼットを覗き込んだ。


「イゼット……?」

 瞼があがり、彷徨いながらもイゼットの視線はラシードを捉える。

「ラ、シード……」

「イゼット!」

煩そうに眉を寄せ、いつもの大袈裟な表情を作った。

「お前が何度も名前呼ぶから……目が覚めちまった……」

喋るの好きじゃないくせに。そう言ってゆっくりと腕を持ち上げ、ラシードの頬を撫でた。

「助けてくれてありがとう、イゼット。すまなかっ」

ラシードの唇の前で人差し指を立てる。いつもの大袈裟な表情から、形容しがたい妙な表情に変わった。目を細め、ラシードを見つめる。

「謝んな。気づいたら……体動いてたんだよ……」

 息を吸い込み吐き出す胸は上下して、生きていることを感じられた。

「お前だって俺のこと庇ってくれただろ。お前自身がしたことまで否定する気か……?」

痩せたイゼットの肩にラシードは顔を埋め、感謝の言葉だけを述べた。青色の髪の青年は褪せた灰色の髪を撫でる。生い立ちや民族など、関係なかった。

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