4 眠らぬ都市エーゲル

 高速で走らせ、ハオにエーゲルへの道を尋ねる。風の音に負けないよう声を張り上げた。

「エーゲルにはどうやって行けばいい? ロイドからは南東って聞いたんだけど!」

「エ、エーゲル? 建物が特徴的だからすぐ分かる! すぐ近くの桟橋を渡って南下して、大きな交差点で東に曲がればいい!」

 ベルディは桟橋を見つけ、さらに加速する。追手はまだ来ていない。

「このままエーゲルまで行って、どうすればいいんだろう。ロイドから連絡はまだこないけ、ど……!?」

 バイクの目の前が狙撃される。弾けるような火花と耳を劈くような破裂音。慌てて加速を全開にし、姿勢を低くした。


「どこから狙撃されてる!?」


 前後左右をジャワ―ドが見渡す。きらりと光る何かをジャワ―ドの目が捉えた。

「狙撃眼鏡が光っている! 後方、北西!」

 直後バイクのすぐ左横を狙撃される。甲高い叫び声に似た音と共に道路表面が弾丸の頭に合わせて焼け溶けた。この見晴らしのいい桟橋では恰好の的だ。

「このままじゃ撃たれるのも時間の問題だ!」

「って言ってもぼくは何もできないよ!」

 今度はバイクの後方が狙撃される音がした。速度を落としても上げても左右に曲がっても命中させるという脅しなのか、続いてバイクの右側も狙撃される。激しい音を立てて道路に衝突した。何か対策はないかと思考を巡らせた。ノルクライスの天才魔術師と、砂漠の双子の少女のことが脳裏に浮かぶ。

「ジャワ―ド! 何か魔術使えない!?」

「残念だがおれは魔術を使えない!」

 最高速度で桟橋を越え、横滑りをしながら狙撃を避ける。道路にはバイクが横滑りした跡と狙撃の焦げた痕がついた。

「ハオ! どこまで南下すればいい!?」

「一番大きい建物あるだろ、そこまで南下だ!」

 体勢を整え、三人を乗せた軽い車体が最高速度でアルカトラン連合国を南下する。旧時代の遺物がエネルギー源のバイクはすれ違う他の自動車より圧倒的に早い。風を切り狙撃地点から高速で離れていく。

「今だ、東に曲がれ!」

 掛け声に合わせて横滑りしながら東に方向転換する。その瞬間バイクの荷台のカバー部分を弾丸が貫通した。勢いで平衡を失いそうになる。体幹で踏ん張り上体を起こし、そのまま東へと突き進んでいく。狙撃の死角に入ったのか、狙撃の音が止んだ。


「あれが……エーゲル……?」


 不規則な高さの細長い柱のようなものが密集し、煌々と光を放っている。バイクでは侵入できそうにない柵が行く手を阻んでいた。太陽は沈み、淡い影が空を覆っている。その絶妙な暗さに対して明るすぎる建物は見た者を怖気づかせる不気味さがあった。せっかくノルクライスで直してもらったバイクを捨てるのは惜しいが、バイクを乗り捨て柵の前に立つ。

「ど、どうしよう、これ、入れないよね?」

「そりゃそうだろ、国家軍事機密の塊なんだから。むしろなんでロイドはここに来いって言ったんだ」

 立往生していてはいずれ狙撃されて三人共死んでしまう。周りを見るも侵入できそうな隙間はない。背の高い柵の棒はそれぞれ間隔が狭く、足をかけられるような部分もなかった。


『ご主人様!』


 突如耳の裏の骨に貼られた飾りからロイドの声が聞こえた。

「ロイド!」

 飾りにはマイクがないことを思い出し慌てて口を閉じる。

『無事エーゲルに着いたようでなによりです。ただいまエーゲルにある北の門をハッキングしています。ハッキング発覚の遅延にダミーを張っていますが長くは持ちません。すぐに北の門に向かってください』

 耳裏につけたインターフェイスに追跡機能があるのか、またはエーゲルの中から視界に収めているのか。どちらにせよロイドは三人がエーゲルに到着したことを知っているようだ。ぶつりと連絡が途絶え、ベルディは北の門を指差す。目指すは北の門、ロイドが残した言葉だけが頼りだった。

 白く鈍い金属の扉は僅かな音を立てて開き、警報一つ鳴らない。

「ここからどこに行けば……」


 あまりに広大で無機質で、そして鮮やかなほどに人の気配に満ちていた。


 壁に伝いに様子を見ながら突き進む。ベルディはいくつかの監視カメラが、他の監視カメラと比べて作動中を示すランプが点滅していないことに気づいた。耳の後ろの飾りからロイドの声が聞こえてくる。

『一部監視カメラをハッキングしています。点滅が停止している監視カメラがある方向へお進み下さい』

 どうやらロイドが特定の監視カメラを停止し映像を切り替えているようだった。前方の監視カメラを確認する。点滅していない。

 点滅していない監視カメラを確認しながら順に歩みを進めていく。


 幾度目かの通路を横切ろうとした、その時だった。


 目の前のドアが開き、ロイドに似た誰かと鉢合わせる。否、誰かではない。ロイドのような鋼鉄の瞳をした人型の金属、アンドロイドだった。


 瞬間得も言われぬ恐れが背骨を這いあがる。鋼鉄の瞳は収縮し、三人を認知した。警報がエーゲル全体に鳴り響く。

 手にしていた大型の銃をこちらに向ける動きを視界が拾い、ジャワ―ドとハオを守ろうと体を張る。撃たれると覚悟して目を瞑ろうとした瞬間、激しい金属の衝突音がした。

 天井の換気口からロイドが飛び降り、ついさっきまで銃を向けていたアンドロイドを蹴り飛ばしたのだ。蹴り飛ばされたアンドロイドは照準が外れ標的が狙えなくなっても、微動だにしない表情のまま反対の手で懐から拳銃を取り出す。

 ロイドはそれよりも早く二丁の拳銃を取り出し、弾丸をアンドロイドの頭部と胸部へそれぞれ一発ずつ打ち込んだ。アンドロイドは瞳孔の収縮と拡大を繰り返し、やがて停止する。

 警報は煩く鳴り響いているにも関わらず、ベルディは静けさが訪れたように感じた。ロイドが振り返り、申し訳なさそうな顔をする。

「プログラムの保護が厳重で、第三世代のアンドロイドをハッキングすることが出来ませんでした。世代の性能差がここまであるとは思っておらず、私の慢心が招いた結果です。申し訳ございません」

 ベルディは何かを言おうとした。感謝の言葉と巻き込んでしまったこことへの謝罪の言葉を。未だ続く張り詰めた緊張と、ロイドがいるという安心感。唇が震えて言いたいのに言えなかった。しかしそんな時間はなく後方から足音がする。

「急いで換気口へ。私が引っ張り上げます」

 換気口へと登ったロイドは手を差し出した。




 換気口の中は狭く埃っぽく、背を曲げて通ることを余儀なくされる。配線が縦横無尽に走り、足元を邪魔していた。暗い換気口の中でロイドの後ろをついて歩いていく。

「どこに向かうの?」

「非常階段です」

 小声でロイドに話しかけると振り返りもせずに淡々と答えが返ってくる。

「エーゲルの非常階段を降りると、過去に使われていた地下通路に行くことができます。現在は封鎖されていますが旧式ですのでロック解除に時間はかかりません。監視カメラも中にはありません。グリーンアースに直結しているのでそのままグリーンアースに出ましょう」

 暗い換気口の中でせわしなく鋼鉄の瞳が動いている。監視カメラをハッキングし、なにをどうすれば最善かを胸と頭に搭載されたコンピューターがニューラルネットワークを介して演算をしているのだ。


「どうして……どうしてそこまでしてくれるの? ロイドだって殺されちゃうよ」


 穏やかな顔でロイドがベルディを見た。

「それは、ご主人様が私のことを」

 言葉を遮るように下から銃撃される。銃弾が貫通し穴が開いた所から白く眩しい人工的な光と警報の赤い光が漏れており、換気口に身を隠していることを把握したうえでの攻撃であるようだった。

 顔を顰めたロイドが別の通気口を蹴破り通路へと飛び降りた。武装した軍人は衝突の衝撃で意識を失い、すぐ傍で銃を構えていた軍人は銃を奪われ自身の銃で足の甲を撃ち抜かれる。ロイドは振り返らずに背後のアンドロイドの頭部と胸部に銃弾を撃ち込み、流れるような動きで残る軍人たちの足の甲を次々と撃ち抜いた。

 次々倒れこんでいく中、停止したはずのアンドロイドがゆらりと立ち上がる。立ち上がる音を拾ったロイドは体を捻りながら銃を向けた。引き鉄を引くが弾は出ない。弾切れだ。

 目の前のアンドロイドはふらつきながらも銃口を突き付ける。しまった、と思うには時間が長く、対処するには短すぎた。反射的に目を瞑る。死の恐怖とはこういうものか、と。


「ロイド!」


 がつんと金属同士が強くぶつかる音が響く。手に握られているのは工具。ベルディは飛び降りると同時にアンドロイドの頭頂部を叩き、倒れこんだアンドロイドの背の上に降り立った。

 一瞬の静寂、そして火花が散るように合う目線。

 足の甲を撃たれた軍人がよろめきながら銃を持ち直す。その銃は飛び降りたジャワ―ドによって妨げられ、そのまま肘で顎を殴打された軍人は気を失った。

 最後に飛び降りたハオを受け止めたジャワ―ドが信頼を寄せた視線でロイドを見る。

「どこに行けばいい?」

 非常階段がある方向をロイドは指し示した。




 曲がり角で鉢合わせた軍人の腹にジャワ―ドが蹴りを入れ、拾い上げた銃でロイドが足の甲を撃つ。鳴り響く警報が耳に残り、煩わしそうにハオは眉を寄せた。非常階段の扉を開け、駆け下りようと足を踏み入れる。しかし勢いのまま階段を駆け下りることはできなかった。

 冷えた暗い非常階段に座る薄茶の髪の男性が、煙草を口にしながらこちらに視線を向けると驚く素振りもなくぼんやりとしたまま膝に手をついて立ち上がった。目の下の酷い隈を見るだけでも激務で肉体的にも精神的にも削られていることが分かる。

「なんだ、ここを通るのか」

 掠れた声が徹夜明けの喉から発せられ、言葉の暢気さにロイドは銃を向けることができない。何より軍人ではない。首にかけられたカードを見るに、エーゲルの研究員だ。

 行動の判断に迷っている間に足音が迫ってくる。男性はふらふらと歩き、ベルディたちを内へと入れて非常階段の扉を閉めた。そして首を傾げる。騒ぎ声と警報でようやく頭が冴えたのか、何度か瞬きをした。外で何が起きているのかを把握したようだった。


「これは……庇ったことで私は罪に問われるな?」

「あー、ええと、そういうことになりますね……?」


 状況だけなら誰が見ても犯人蔵匿罪を犯していると言うだろう。

 元にはもう戻れない。

 特段大きなため息を吐き、額を抑えた。数秒ののち、ゆっくりと顔を上げる。ロイドは非常階段付近の監視カメラの映像をすり替えたことに関して、何も言わずに黙っていることにした。そのことを知らないうちは、彼は人質でありながら共犯でもあるからだ。

 煙草を足で踏み消し、男性は「ついてこい」と言って階段を降り始める。

 ベルディとジャワ―ドは顔を見合わせ、ロイドの腕とハオの腕を引きながら後をついていく。

「巻き込んでしまってごめんなさい。危害を加えたいわけじゃなくて……」

「あー、いい。前々からこんな仕事辞めようと思っていたんだ。辞めるのが早くなっただけだ」

 国から追われることになりますよ、と困ったようにベルディが言う。男性は「まあ大体はどうにかなる」と言って非常階段の途中で立ち止まった。男性は扉に手をかける。そこは駐車場だった。予定とは違う逃走経路にロイドは顔を顰めた。

「車を使う。どうせグリーンアースをその身一つで抜けようとしていただろう?」

 ロイドは顔を顰めたままだったが、男性は歩みを止めなかった。流線形の黒い車の前でカードキーを取り出しかざすと、ドアが開く。

「早く乗れ」

 押し込まれるように六人乗りの車の中に入ると、赤い画面がフロントガラスに表示された。困惑するベルディやジャワ―ドをちらりと見て男性は運転席に座る。運転するとかと思いきや薄いキーボードを引っ張り出して何かを打ち込み始めた。

「運転したいのはやまやまなんだが、まずは銀行にある貯金の半分をノルクライスと常波に交換させてくれ。口座も移して……あと連絡しなければいけない相手が……」

「何を仰っているのですか。追手がすぐ近くに来ています!」

 監視カメラをハッキングして状況を確認したロイドが切羽詰まった声で男性の肩を掴む。

「別荘を管理しているやつがいる。そいつが危険な目に遭わないように連絡だけはしておかなければならない。誰だって守りたいやつがいるだろう」


 アンドロイドのお前にも。


 その言葉にロイドは唇を歪ませ、視線を逸らして黙った。

 換金を終えた男性はキーボードで通話をかける。

「傍受されたりしないのか?」

ジャワ―ドが不安そうに尋ねた。男性はにやりと笑い、これは私特製でな、と言って唇の前に人差し指を持っていく。

 赤かった画面がぱっと切り替わり人が映る。

『ジェニス様!』

 車内に響く音声に驚きハオとジャワ―ドが耳を抑えた。

『緊急連絡とは何事ですか!』

 ホワイトブリムとエプロンのフリルを揺らして画面に近寄る少女のような人物は、男性をジェニスと呼んだ。

「サーシャ、よく聞いてくれ」

 諸事情で追われていること、連絡はこの緊急コードでのみということ、知らぬ存ぜぬを通せということ。簡潔にそれらを伝えられたサーシャは敬礼した。

『引き続き別荘の管理を致します。全てを片付けて必ず帰ってきてくださいね』

 ジェニスが頷き通話が切れる。

「ジェニス、さん……は未成年者にそういう……」

「馬鹿! 私とサーシャはそんな関係じゃない!」

 動揺しながらの反論にジャワ―ドはじとりとした視線をジェニスへ向ける。

「本当に違う、違うからな」

 最後にしっかりと関係性を否定した後に長めのため息をひとつ吐き、ジェニスはハンドルに手をかけた。勢いよく発進してハオが後ろに転げ、それを慌ててベルディが支える。ロイドが助手席に移動すると、「軍人五名がこちらに気づいています」とジェニスに囁いた。


 車は門通り抜けて加速し続ける。左指でキーボードに何かを打ち込むとフロントガラスの四隅が赤く点滅し、点滅が終わるとともに車体が低く変形、速度が増した。

「三名バイクで追跡を開始しています」

 舌打ちをしたジェニスは進路を変更し、綺麗に舗装されていた道から雑な舗装の道へ、そして手入れされていないグリーンアースへと突っ込んでいく。道の舗装も木々の手入れもされていないグリーンアースは悪路でしかない。その悪路の中へと車全体が隠される直前、車体後部に小さな衝撃が襲い、狙撃されたことが分かる。


 グリーンアースの中に入ってもなお狙撃は止まらず、ひとつの弾丸が運転席側のドアガラスを貫通した。それはジェニスの右上腕を掠り、助手席の座席横に直撃する。


 小さく呻いたジェニスに素早く気づいたジャワ―ドが身を乗り出し、出血した部位に布を押し当て紐で縛り上げた。

「おい、アンドロイド!」

 助手席に座ったロイドに呼びかける。ロイドは気に食わないといった風に眉を跳ね上げた。

「私はそこらの量産アンドロイドとは違います! ロイドと呼んでください!」

 ははっ、と面白がる笑いをしたジェニスはダッシュボードを片手で叩く。

「ここに狙撃銃が入っている」

 ダッシュボードの収納部分を開けると長細い筒のような狙撃銃が確かに入っていた。銃身を横断する蛍光青色の線が車内でぼんやりとした光を放っている。人に危害を加え殺すことのできる武器だ。


「撃てるか」


 何も言わずにロイドはドアガラスを下げる。身を乗り出しバイクに乗る追跡者たちを確認した。スコープのいらない鋼鉄の瞳が拡大と縮小を繰り返し焦点と照準を合わせる。引き鉄を引くと反動でロイドの肩が揺れた。

 弾丸は狙い通りに貫通する。

 僅かに上半身を揺らしたかと思うと一台のバイクが倒れ、乗っていた軍人はグリーンアースの地面へと叩きつけられた。

 一人。

 狙う相手を変え、引き鉄を撃つ。

直後ハンドルから軍人の手が離れ、バイクは横転し放り投げだされるように軍人は転げ落ちた。

 二人。

 瞳が収縮する。狙うは一点。

 最後の一人は前向きに倒れてそのままずり落ちるようにバイクから落ちる。

 三人。


 他に追跡している軍人がいないかを確認したロイドは結んでいた唇を緩め、銃をダッシュボードの上に置いた。たった今鮮やかな狙撃をしたとは思えないすました顔で手を膝の上に置く。

「……素晴らしいな」

 ハンドルを操作しながらぽつりとジェニスが呟く。ロイドは全て追跡者の肩を撃ち抜いていた。綺麗に揃えて膝の上に置かれた手は、人間に容赦なく暴力を行使するアンドロイドのものとは到底思えない。

「直接殺さないにせよ、人間に危害を与えられるアンドロイド……か」

 ロイドはじっとジェニスの横顔を見る。すぐに視線を逸らし、膝の上でぎゅっと拳を握った。ジェニスは黙ってロイドの頭を撫でる。驚いて目を大きく開き、ロイドはとんでもないものを見たかのようにあんぐりと口を開けた。

「ああ、悪い。つい癖で」

 気まずそうに左手を引っ込めハンドルを握り直す。誰の頭をよく撫でているのか容易に分かったが、ベルディとハオは何も言わなかった。


 グリーンアースは徐々に密度が高くなり、悪路に車体が揺れる。速度を落とし、車は木を避け蛇行しながら進んでいく。

 今後のことに関して、南下してノルクライスか常波に行くというぼんやりとした考えしかない。まずは海沿いまで辿り着かなければ何も始まらないのだ。

「エーゲルの手前にバイク置いてきちゃったの、今更ながら悔やまれるなあ」

 残念そうなベルディにジェニスが「サーシャに回収にいかせよう」と提案した。ベルディが提案に乗るよりも先にキーボードを打ち、サーシャに連絡を入れる。

「別荘に立ち寄れる日がくればその時に引き渡す」

「本当にいいんですか?」

「まだ残っていればの話だがな」

 感謝の言葉を笑顔で言うベルディに、ジェニスは左手をひらひらさせて返事をした。


 言葉の訛りについてや今までの旅の話をしながらただただ南下していく。時間が経つにつれジェニスの口数が減っていっていることに気づいたハオが「おい、あんた大丈夫なのか?」と肩を叩いた。

「ああ……」

 運転席を覗き込むようにしてジャワードがジェニスの腕に触れる。布はほぼすべての面積に血が染みていた。

 掠っただけのはずだが、想定よりも傷が深い可能性がある。

「傷、確認するぞ」

 早口で告げ、さっと布を解く。

 狙撃銃の弾丸は掠っただけでもジェニスの右腕を裂くような傷を作っていた。

「あんた強がりすぎだ!」

 𠮟りつけるように言葉を発し、慌てて新しい布で縛る。それでも血は止まってくれない。

 顔色は悪くなる一方で、右手は力が入らなくなってしまったのかハンドルを握れなくなり、左手だけで方向を維持するだけになっている。呼吸も荒くなり額に汗が滲んでいた。

 大きな木が目の前に迫り、今度はベルディが身を乗り出してハンドルを掴む。間一髪で衝突を避けたが、このままではジェニスの出血が止まらない。

「大丈夫だ、これくらいなんてことは……」

「何を言っている! どこかで休める場所を探して、しっかり止血しないとだめだ!」

 大丈夫だからと何度も譫言のように繰り返しながら、ジェニスは左指だけでキーボードを叩く。何度かキーボードを叩くが、何も起こらない。

「いかん、自動運転がうまく作動しない……」

 ぐったりとシートに背を預け、ため息をつく。

「ロイド、運転できる?」

 ハンドルを握ったままベルディがロイドに尋ねた。

「運転技術ということに関してであれば運転可能と回答できますが、ジェニス様が運転席にいる以上助手席から運転するのは無理があります。システムにハッキングして運転するというのも運転自体は不可能ではありませんが、この車のシステムには高度なロックがかかっていてハッキングできません」

 無理に足を退かせば運転することは可能だが、やはり体勢に無理がある。下手すれば運転席に座るジェニスの体に不要な負担を担わせる可能性すらあった。

「そっか。ごめんね、頼りっぱなしで」

「いいえ、お役に立てず申し訳ございません」

 ご主人様、目の前に木が。そう付け加えてベルディが握っていたハンドルに手を伸ばし思い切り左に切る。すれすれで木を避けたが、左後輪が上手く動かないことにロイドは気づいた。先ほどの狙撃で車輪か車体のシステムに何かしらの故障が起きているようだった。

「ご主人様、左後輪の動作、特に左右制御が芳しくありません」

「えっ? あ、もしかしてさっきの狙撃で壊れちゃったのか!」

 木を器用に避けながら走行するが、やはり左後輪の動きが制限されている。

「どちらに向かいますか? ノルクライスに行くのであれば山脈を越えねばなりません」

「東周りに迂回しながら南下して、常波まで行こうかなって思っていたけど……遠い……?」

「車で行くには無謀な距離ですね」


 仮にジェニスを後部座席に移動させてロイドが運転したとしても、海沿いに出るまで確実に一ヵ月以上かかる。ジェニスの出血量からして、衛生とは言い難いこの環境下で一ヵ月も耐えることはできない。

 根が地上を這うような場所に出てしまい、酷く揺れる。悪路もここまでくるとなかなかのものだ。奥へ進めば進むほど荒い地面になっていく。グリーンアースに生える木の根に車輪が乗り上げると、途端左後輪が強く詰まるような音が響き、とうとう車は止まってしまった。アクセルを踏みながらハンドル操作をしても、前にも後ろにも進まない。


 残された選択肢は車から降りて歩くか、ここで来やしない救援をずっと待ち続けるか。


 ダッシュボードに置いていた狙撃銃を持ち車の外に出たロイドは辺りを確認する。見える限りでは追手はいない。頷くロイドを見てそれぞれ車から降りる。選んだ選択肢は降りて歩くことだった。

 ジェニスが負傷しているのに加え、ベルディとジャワ―ドは早朝から深夜まで動き続けており疲労と眠気が酷く、ハオは貧弱な体ゆえに体力が足りない。夜通しグリーンアースを歩いていく自信は誰一人持っていなかった。

 まずはジェニスの傷をどうにかしなければならない。銃創の応急処置は天高で散々手伝わされたが、まさかグリーンアースの中で行うことになるとは。ベルトに吊り下げていた止血帯を外し、ジェニスの腕を強く圧迫する。心臓より高い位置に腕を持ち上げた。


「苦しくないですか?」

「平気だ……」


 嘘だ。明らかな嘘だ。浅い呼吸を繰り返し、出血の多さで体が冷えている。何度謝ろうとジェニスは否定するだろう。ベルディはそれ以上聞かずに肩を貸しグリーンアースを歩いていく。木の隙間からは、アルカトラン連合国内では一つも見えなかった幾つもの星が瞬いていた。

 一気に空気が重くなる。軍に追われて犠牲が出ないとは思ってはいなかったが、いざ怪我が酷いと分かると巻き込んだ責任と罪悪感で申し訳ない気持ちで胸が締め付けられる。

 暗く足元の悪い地面を歩き始めて早々にハオは息を切らし、緊張をも凌駕する猛烈な眠気にベルディは足がもつれ始めた。休息なくしてこのグリーンアースを抜けられない。

 木の陰にジェニスを座らせ、息をつく。車から大して離れていない。

「ジェニス様、申し訳ありませんでした」

「はあ……? なんだ、急に……」

 俯き、血の染みた布を見つめるロイド。断罪を待つ姿に、ジェニスは続きを促した。

「実は非常階段付近の監視カメラは映像をすり替えていまして……人質にできると判断してあえて言わない判断を取りました。私の責任です」

 年齢に似合わずきょとんとした顔でジェニスがロイドを見た。そして言葉の意味を理解したジェニスは軽く笑う。

「別にいい。そんなことだろうとは思っていた……いい、いいんだ。人を殺すための兵器の開発に携わっていたら、金は稼げてもアルカトランから出たくても出られない」

 こちらとしてもいいタイミングだったんだ、と掠れながらも穏やかな声でジェニスは告げた。恨み一つない、一人の人間としての声と言葉である。

 許された時の返答を考えていなかったロイドは一瞬言葉に詰まり、一呼吸おいて「助けてくださりありがとうございました」とはっきりとジェニスの目を見て言った。

 ジェニスは微笑んで頷くが、痛みと疲労ですぐに曇る。

「意識が飛びそうでな……悪いが何か話しかけていてくれないか……」

「勿論です。貴方が驚くとびっきりの秘密でもお話ししましょうか。そう、何を隠そう私は家庭用アンドロイドなのです」

「それどう考えても素体だけだろ……」

 呆れたように笑うジェニスに、ロイドは「おや、お疑いで?」と軽快に返した。


 頭上で聞き覚えのある鳴き声がする。ジャワ―ドははっとして上を見た。夜闇の中で鷲が旋回している。星を背負いながらゆったりとした旋回をする鷲は紛れもなくアズハールだった。


「アズハール!」


 一際高く鳴くと南西へと飛んでいく。ジェニスをベルディに任せ、ジャワ―ドは走り出した。

「アズハールが何か見つけた! 川があるかもしれない! 行ってくる!」

 ベルディはボトルをジャワ―ドに投げる。走りながらボトルを受け取ったジャワ―ドはここにいる誰よりも早い足で駆けていった。

「ちょっとだけ待っててくださいね。水があるなら喉を潤しましょう。傷も洗えればいいんですが……」

 これ以上できることはない。ジャワ―ドの帰りを待つだけだ。

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