3 旧時代を追うアルカトラン
建物の高さにあっけにとられて上を見ていると、ついさっき別れたばかりの声がベルディの名を呼ぶ。振り返るとジャワ―ドが息を切らして立っていた。鷲の鳴き声が聞こえ、空を見上げる。ジャワ―ドの鷲、アズハールが旋回していた。アズハールは何度か旋回した後、東の方へと飛んでいく。汗を拭ったジャワ―ドはしっかりとベルディを見ている。荷台で見た、意志の強い瞳だ。
「ジャワ―ド! どうして……」
「自由をくれた」
息を整えながらベルディへ近寄る。
「父が……自由を」
視界を奪っては消えていく雪の中、ジャワ―ドはやはりベルディをしっかりと見つめていた。
「知らない世界をおれは知りたい。砂漠と山脈を行き来する世界から、おれは出たんだ。自由を得て、それで」
長く息を吐き出した。白い息が天へと昇り、そして消える。
「追いかけてきた。ベルディ、ついていっては駄目か?」
突然の同行の志願に驚いて口を上下左右に動かし唸り、ベルディは最終的に「嬉しいよ!」と喜色の声を上げた。歩幅を合わせ、バイクを押しながら歩く。
山を下りると雪は雨になり、歩くたびに水が跳ねる。最西端の駅は寂れていて、やけに静かだった。広々とした建物だが、天井は狭く暖房を逃がさないような造りになっている。アルカトラン連合国を東西に横断する鉄道に乗り約四日、平坦な大地を揺れる列車の窓から眺めながらようやく首都へストリアに着いた。
アルカトラン連合国は春から夏終わりまで雨季になる。首都も例外なく暗く分厚い雲に覆われていた。まだまだ雨は止まらない。
雨水は舗装された道路から細い排水路へ落ちていった。早朝の悪天候で外を歩く人はほぼいない。眩い乗り物の光が顔を照らし、思わず手で遮る。街を見渡すと妙な香りが鼻腔を擽った。
「なんだか薬品みたいな香りがするなあ。アルカトラン連合国っていつもこんな香りなの?」
「ああ。トラウィス商団は夏の間をアルカトラン連合国の南西部で過ごすから、おれはこの匂いに慣れている。刺激臭も酷いし毎年酷くなっているが、慣れてしまえばそんなものだ」
冬をノルクライスで過ごし、夏になる前に砂漠と山脈を越える。夏をアルカトラン連合国で過ごし、冬になる前に山脈と砂漠を越え、またノルクライスで冬を過ごす。それがトラウィス商団だ。ジャワ―ドはアルカトラン連合国の国民ではないが、この街中に広がる人工的で不快な香りに慣れていた。
街全体が薬品のような香りがする。まるで何かを垂れ流している、そんな香り。ノルクライスの植物研究所の薬品の香りとはまた違う。あまりいい気分ではない。
ふと右を見れば、大きな河川がある。香りの源は河川からのようだ。本来の川の美しさを失ったその河川は酷く汚れ淀んでいる。自然では見かけない色が川面を揺蕩っていた。
東へ進めば進むほど建物の高さが顕著になっていく。
「これが旧時代に一番近い国……」
建物の間を懸垂式のレールが通り、そこを電車が通っていった。木の根の隙間を這うように作られたノルクライスの地下鉄とは対照的である。
「旧時代の技術、かあ」
上から下へと視線を降ろしていくと、人が倒れているのが視界に入った。廃棄区画と書かれたスペース、そこに積み上げられた廃棄物の山の中に紛れて力なく横たわっている。
「誰か倒れて……るよね?」
「ああ、倒れているな。間違いなく」
バイクを止めて駆け寄った。雨に打たれ横たわっていたのは鋼色の髪の青年で、左右対称の綺麗な顔立ちをしている。閉じた瞼は雨に打たれてもなお動かなかった。雨は強くなったり弱くなったりを繰り返しながら横たわる青年の体を冷やしていく。息をしているようにも感じられない。
「し、死んでいたらどうしよう」
そっと肩に触れる。濡れたシャツが冷たいのは勿論、体そのものも物凄く冷たい。ぞっとするほどの冷たさだ。生きていることを願って揺さぶる。しかし起きない。もっと大きく、強く揺さぶる。途端何かの機械が作動する音がした。青年の瞼が徐々に持ち上げられ、鋼鉄の瞳がベルディを捉える。
「……」
黙ったままの青年は瞳孔の収縮と膨張を繰り返し、何度か瞬きをした。薄い唇が開く。息を吸う仕草もなく、薄い唇からは言葉が紡がれる。
「貴方が私を起こしてくださったのでしょうか」
「は、はい! そうです!」
今まで倒れていたとは思えないはっきりした声に驚いて腰を抜かし、検問所の時のようにひっくり返った声で固い返事をしてしまった。固い返事を気にすることなく青年はもう一度瞬きをする。
「充電が開始されています。貴方が揺り起こしてくださらなかったら充電切れのままでした。感謝申し上げます」
「充電? え? 何?」
青年は立ち上がり、優雅な仕草で裾を払う。
立ち上がった姿はベルディやジャワ―ドより若干背が高く、何より特徴的なのは質素なエプロンを着ている点だ。耳には銀の小さな飾りがつけられている。雨に濡れることを気にする素振りも見せず、裾を払っていた青年は顔をあげた。
「ソイツ、第二世代のアンドロイドだぜ」
後ろからかけられた声に飛び上がり、慌てて振り向く。所々緑に変色した黒髪の、小柄な少年が仁王立ちでベルディとジャワ―ドを見ていた。細く骨感の強い足首が衣服から覗き、怪我だらけで膿んだ素足が雨ざらしの路面を踏んでいる。
「えっ、今なんて? ア、アンドロイド……?」
「そうだよ。第二世代の廃棄命令が出てから二年は経ってる。もうとっくに廃棄されて再利用されているのかと思ってたけど、運が良いなお前」
薄汚れた服に瘦せこけた体で廃棄物を漁りながらそう言うと、捨てられていた靴を片っ端から合わせていく。サイズが合わないと分かるとすぐに廃棄物の山の中へと捨て、また別の靴を漁る。
痩せた少年からは街に漂う薬品のような香りが強く出ていて、顔色も悪い。
「おいそこのお前。オレのこと工業廃水くせえって思ってるだろ」
「はい?」
「いいよ別に、事実だから。すぐ近くにある河川、工業廃水垂れ流しなんだよ。オレ、その汚ねえ河川で暮らしてるんだ。排水くさくなるのはもう仕方ねえよ」
なるほど、とベルディは理解した。工業廃水の流れる河川で暮らし、健康被害が出ている。栄養失調気味で、筋力も少ない。許容できる大きさの靴を見つけ、履き替えながら少年はぽつりと言った。
「人権ねえんだ、あの河川の近くに住む人間には」
廃棄物から食べられそうな物を見つけると、それが雨に濡れていようが汚れていようが腐っていようがお構いなしに頬張る。皮が剥けた唇からは血が出ていた。
「綺麗な川はないの?」
「上流は綺麗だけど、国が管理しているから迂闊に入ったら射殺されるぜ」
銃の形を模した手でこめかみを叩いた。貴重な水資源を国が管理し、手を出そうものなら国民でも許さないという。生きようと必死に食べている少年の腕を、アンドロイドの青年が掴んだ。瞳孔が収縮し、少年が口にしている食べ物を分析する。
「その栄養補助食品は禁止されている添加物を使用しています」
「うるせえな。旧時代の技術が使われた豪勢な第二世代のアンドロイド様が何言ってんだ。人間は食わなきゃ生きていけねえんだから黙ってろよ」
食べきった少年はアンドロイドを押し退け、歩き出した。その後ろ姿を心配そうな顔で見つめるアンドロイドは人間にしか見えない。雨が滴る髪も、雨が伝う肌も、瞬きをすれば震える睫毛も、開けば言葉が紡がれる言葉も、全てが人間そのものだ。
「彼のことが心配?」
「はい。人間を第一に考えるようにプログラムされていますので」
ベルディとジャワ―ドは顔を見合わせ、そして年相応の表情でアンドロイドの青年の肩に手を置く。雨に濡れて氷のように冷え切っていた金属の体は、いつの間にか人肌程度の温度を取り戻していた。
「追いかけよう」
アンドロイドの青年は頷き、少年の後を追った。ベルディはバイクを押しながらジャワ―ドと一緒にアンドロイドの隣に並ぶ。
雨は止み、太陽の光が雲隙間から射す。少年との距離はそう遠くない。雨着の代わりにしていた薄手の毛布をぎゅっと絞ると吸っていた雨水が地面に滴り落ちる。水気を切った毛布を荷物の隙間に挟み込み、新たに乾いた布を取り出した。一度立ち止まり振り返る。
「冷えちゃうよね」
頭を優しく包まれたアンドロイドの青年はほんの少しだけ目を見開く。微小な変化にベルディは笑みを零し、青年の濡れた髪を拭いた。
「雨に濡れても支障ありません」
そうは言っているがベルディを止めようとはしない。大人しく拭かれている。髪を拭き、服を絞り、肩を布越しに軽く擦って温めた。一連の行動が終わり、アンドロイドの青年は無駄な行動への疑問を呈するような表情で「なぜ」と口にした。
「だって君も人じゃないか。ここが」
とんと軽く胸の中心を叩く。その胸にはエネルギー源である装置やプログラムが組まれた機械が入っている。ただそれだけだ。
「私はアンドロイドです」
「それがどうしたの?」
深い意図はないであろう言葉に青年は唇を震わせた。それには気づかずに、ベルディは少年の姿を確認しまた歩き出す。雑談しながら歩こうとベルディはアンドロイドの青年に質問した。
「第二世代って言われていたけど、第二世代のアンドロイドって何? 他のアンドロイドとは違うの?」
「第一世代と第三世代は命令厳守のアンドロイドで、一目見ただけでも機械と分かります。ですが第二世代は人間に溶け込めるように製造されました。顔の造形や表情、声の抑揚など、感情表現をより豊かにするべく自律進化プログラムが組まれています」
通りで、とベルディが頷く。左右対称の黄金比でできた顔、そして豊かな表情。アンドロイドと言われても信じられないほどだ。アンドロイドの青年の様子を見ていたジャワ―ドが口を開き、「人間に危害を加えられないって前に聞いたことがある。それは本当なのか?」と問う。
「はい。家庭用アンドロイドは人間に危害を加えることが禁止されています」
回答に疑問を持ったベルディは眉根を寄せた。
「それじゃあ、もし人間に暴力を振るわれても何もできないってこと?」
アンドロイドの青年は首を縦に振り、「金属で作られていますので素手で暴力を振るう人間がいるかは定かではありませんが、もし仮に鍛圧機械などに放り込まれても抵抗することはできません。そして強制的な遠隔シャットダウンに関しても拒否することはできません」
「そんな……君らの意志は関係ないっていうの?」
返答にベルディは複雑な気持ちになる。それでは使い捨てられるだけのただの金属のお人形だ、と思えてならない。ベルディの内面を察したアンドロイドの青年は「お気になさらないでください。アンドロイドとはそういうものです」と微笑んだ。
そして鋼鉄の瞳でベルディを見ながら己の頭部を指す。指先は鋼色の髪ではなく、その内側を指していた。
「情報規制プログラムで規制されている範囲を除いて自由にネットワークに接続し閲覧する機能が搭載されています。知りたいことがあれば私に申し付けください」
目を細め口角を上げる。笑顔はとても自然だ。ベルディは笑ってありがとうと伝えた。
「名前はなんていうの? ぼくはベルディって言うんだ」
ジャワ―ドも名乗り、アンドロイドの返事を待つ。先ほどのように自然な笑みを浮かべてアンドロイドの青年が首を横に振った。
「以前お仕えしていたご主人様は私に名前をお付けになられませんでした。名前はありません」
「おれたちが名前を付けてもいいか? アンドロイドじゃそのまま過ぎる」
今度は首を縦に振ったアンドロイドの横で、ベルディとジャワ―ドは名前を考えた。だがあまりいい名前が浮かばない。名前を考え唸りながら歩く人間二人、アンドロイド一体。尾行は早々に気づかれ、振り向いた少年に睨みつけられる。
「ついてくんなよ!」
微妙に大きさの合わない靴で走り出す。ジャワ―ドが慌てて追いかけ、少年の腕を取った。細く、骨の感じられる貧相さだ。ぎょっとするほどの細さを確認したジャワ―ドはベルディに目配せする。このまま放っておくわけにはいかない。
「やっぱり心配だよ。ロイドも心配してるしさ」
「ロイド? 誰だよ」
ベルディとジャワ―ドが一斉にアンドロイドの青年を見た。アンドロイドが瞬きをする。
「もしかして私の名前ですか、ご主人様」
「そう、そうなんだけど、ぼくは君のご主人様ではないんだよなあ……」
困って首を掻く。ご主人様と呼ばれるとは思ってもいなかった。まるで鳥類の刷り込みに似ているが、アンドロイドは鳥類ではない。彼が自らベルディのことをご主人様と呼んだことは明白だ。なんだか全身が痒くなってくる。耐え切れず今度は肘を掻いた。
「安直すぎるだろ、アンドロイドのロイドは」
馬鹿にしたような目線が突き刺さる。ベルディとジャワ―ドはぐうの音も出ず恥ずかしそうに顔を逸らした。どうしても名前が思いつかなかったのである。
黙ってしまった二人を正面から見たハオは気づく。どちらも異国を連想させる旅装だ。思い返してみれば二人の喋るアルカトラン公用語には訛りがあった。
「名前、教えろよ。お前らアルカトラン連合国の人間じゃないんだろ? 見たことのない服着てるし、なんか変に訛ってるしさ。オレはハオ、つい最近やっと十六になったんだ」
実際はベルディやジャワ―ドと年齢が近く、少年と呼ぶには大人だった。無意識で年下だと思っていた二人はそれを言わずに名前を名乗る。ハオと名乗る彼は細く薄い体なだけでなく、成長するには栄養が足りずにどうしても身長や体格が恵まれなかったようだった。
「助けて欲しいって言ったら……助けてくれるか?」
少年は真剣だった。国に裏切られ続けてきた少年が唯一残した信頼が、ベルディとジャワ―ドに向けられている。信頼には応えねば。
二人は頷きハオの言葉の続きを促した。少年は初めて安堵し、柔らかい笑顔を見せる。
「オレ、河川敷に住んでるって言ったろ。国籍カードがなくてこの国から出られねえんだ」
曰く、入国は比較的簡単でも出国は難しいという。国籍カードは一人一人確認され、近年はアルカトラン連合国から外に繋がる場所は全て警備が強められている。だが、アドラという都市ではグリーンアースと直接繋がっており、まだ警備も緩く、例え見つかっても代表一人が国籍カードを見せることができれば出国することができるというのだ。
「じゃあ北部のアドラってところまで行って、ジャワ―ドの国籍カードを見せれば出られるってこと?」
そういうこと、と少年はバイクの荷物の上に乗りながら肯定した。
「ぼくはまだアルカトラン連合国がどんな国か知らないからもうちょっと観光したいなあ」
「ならグリーンアースへはおれとハオだけで行こう。送ったらすぐ戻ってくる。国籍カードもあるし問題はない」
出国した青年がすぐ戻ってくるという状況の不自然さが疑われないかが懸念点ではあるが、それが今選べる最善策のようだ。ベルディはジャワ―ドにハオの出国を任せることにした。
国籍カードを持たないベルディにできることはない。むしろ同行すれば余計な疑惑を生む可能性すらある。ここは国籍カードを持つジャワ―ドだけが頼りだ。
バイクが動くか確認していると、太陽の光が急に遮られた。大きな何かによって陰った街では人々が顔を上げる。ベルディが上を向くと、頭上には鯨の形を模した飛行船があった。
優雅に泳ぐ飛行船は街上空を通過していく。
「な、なにあれ」
鯨の飛行船は東へと進み、遮られていた太陽がまた顔を出した。
「ウラノス代理商船団だ」
飛行船に興味がないのか、見慣れているのか、そう言ってつまらなさそうに緑に変色した髪を指で摘まむ。
「妙な物売ってんだ。アルカトラン連合国以上の技術を持ってるって専らの噂だぜ。ルンダクト? っていう都市国家から来てんだと」
金あるところに商人あり、と昔天高に避難してきた老人が言っていた。国家が欲しがるのはいつだって技術や情報や人材で、そこに群がるのが商人である、と。供給があるから需要があるのではない。需要があるから供給があるのだ。惚けた表情で飛行船の尾びれを見つめる。
「あの飛行船、ノルクライスでも見たことがある」
「そうなの? 流石、金あるところに商人あり……」
バイクのスイッチを入れ、跨った。
「ねえ、ハオから見たアルカトラン連合国ってどんな国?」
バイクを低速度で走らせながら尋ねる。昼を過ぎ、晴れたこともあってか、通り過ぎていく街はみな賑わっていた。
「クソッたれの国だよ。排水垂れ流しだし、空気も汚ねえし、軍の人間は銃で脅すし。光の雨みたいなのが降った時は何の説明もしねえでしれっと軍が調査に来て死体回収していくしよ」
「光の雨?」
聞き返すとハオは大きな身振り手振りで説明した。
「一年前だったかな、すげえ光の棒みたいなのが降ってきて、そこら中の物全部壊されたんだよ。直撃した人はほとんど死んだ。すぐ隣の街の出来事だぜ? オレは河川にいたから巻き込まれなかったけどよ。舗装した地面も全部貫通してた。軍は情報一つも流さないし、あれがなんだったのか今でも分からねえけど……ノルクライスの仕業だって発表は大々的にやってたな」
どうにもアルカトラン連合国にしては奇妙な出来事だ。ノルクライスがしたことだと言われてもしっくりこない。ベルディはその奇妙さに「なんだろうね、それ」と首を傾げる。
「ともかく軍が実権握ってるから反抗できないし、河川敷で生まれりゃ一生人間扱いされない。なんでも金、金、金! 犯罪隠蔽も全部金! 最悪だぜ本当に。こんな国、クソッたれ以外の何物でもねえ」
煙を出す工場群を殺意のこもった目で見つめるハオ。荒れ果てた河川敷で生き、アルカトランにはただの憎しみしかない。十六まで生き残れたのが奇跡だと思えるくらいに、自身の置かれた環境を呪って生きてきたのだ。
技術が研鑽された結果の建物をベルディは見る。夜でも明るさを保ち続ける姿。知恵が詰め込まれた物が売られ、生活が便利になっていく。発展することは悪ではない。人間が発展していく時には、必ず犠牲が出る。
「そう……ハオはそう思うんだね」
はっきりとした肯定を得られずハオは苦い顔をした。共感してくれと頼んだ覚えはないけど、と悔しさが滲む。顔を見ずともハオがどう感じたかを察したベルディはそれ以上何も言わずにグリップを強く握った。
火山近くにある都市というだけあって、景観は壮大なものだった。今まで見てきたような高い建物はもちろんあるが、何と言ってもあまり高くない標高の火山から常に溶岩が流れているという点だ。そして熱気が一帯に広がっている。緩やかに傾斜した、底面積の広い楯状火山だ。
「なにこれ噴火してるんだけど!」
ロイドが動向を収縮させ、流れ出ている溶岩を確認する。粘性の低い溶岩が穏やかながらも噴き出ていた。
「仰る通りです、ご主人様」
「ご主人様って呼ぶのやめてよ。ベルディって名前があるんだからさ」
何度言ってもご主人様と言うのを止めないロイドの目をじろりと見るが、ロイドはどこ吹く風と視線を逸らした。人間のような仕草にジャワ―ドは笑いが堪えられず吹き出す。
「ははっ……いや、すまない。ロイド、アドラの美味しい料理はなんだ?」
笑ったことを謝り、ベルディの顔に刺さる視線を受けながら話題を変えた。
「検索します……十件以上ヒットしました。一件の読み上げでよろしいでしょうか、ジャワ―ド様」
名前に様を付けられ、ジャワ―ドは眉を寄せて身震いした。その姿にベルディはそれ見たことかと呆れた顔をする。からかうからそうなるのだ。
「様をつけるのはやめてくれ。一件で良い、よろしく頼む」
「了解いたしました、ケオフラルゴの甘辛揚げ。ケオフラルゴと呼ばれる火山帯に住む爬虫類の肉を甘辛のたれで漬け込み、よく揚げた料理です。噛むと甘みと辛みが口に広がり、歯応えのある肉から……」
ちょっと待った、とロイドの読み上げを止めさせた。あまりにも具体的過ぎる。空腹の状態で聞く言葉ではない。
「よ、読み上げるのは良くないと思う……食べたくなるからさ」
涎が垂れそうになるのをどうにか抑えたハオがじっとベルディを見た。ジャワ―ドもじっとベルディを見つめ、ロイドの読み上げた内容を復唱する。視線と食欲に耐え切れず、一番近い店で三人分購入した。紙の包みの隙間からたれの香りと油の匂いが漂い、空腹が限界を迎える。
「ぼくあんまりアルカトラン連合国の硬貨持ってないのになあ……」
そう言いながら一口。ロイドの読み上げた内容通り、甘辛のたれに混じって熱い肉汁が溢れる。美味しい。舌の上で旨味が転がり、歯応えの良さがより唾液を促進させる。
「オレこんなの生まれて初めて食べた!」
一口目を飲み込んだハオはぱっと顔を輝かせ、勢いよく食べ始めた。
「美味しい……! 噛むと甘みと辛みが……」
読み上げ内容を再度復唱しようとするジャワ―ドを止め、ベルディは恨みがましそうにロイドを見た。美味しい、美味しいのだけれど、と訴える。まさか全員分払わされるとは。
「あ、どうぞお気遣いなく。アンドロイドは人間の食事をとることができませんので」
そんなことは分かってると口をへの字に曲げたベルディを見て、ロイドは楽しそうに笑った。
ケオフラルゴの甘辛揚げを平らげ、人間三人とアンドロイド一体はアドラを越えてグリーンアース目前まで辿り着いた。もう少しで陽が落ちる時間帯で薄暗く、警備の人影はない。注意深く観察してもやはり見当たらなかった。
「警備の人いなさそうに見えるなあ……薄暗いしよく見えないだけなのかな? ロイドは何か見える?」
瞳孔を収縮させてあたりを見回す。辺り一帯を確認したロイドは瞳孔の収縮をやめ、「一名確認できますが、十分に離れています」と断言した。
ベルディとジャワ―ドは顔を見合わせ、ハオの背を擦った。グリーンアースを目の前にして緊張しているようだ。
「大丈夫だから怖がらなくていい」
「怖いとか言ってねえし」
震えた声でそう答えるハオに苦笑いする。強がっているが、緊張しても仕方ないことだ。ベルディもジャワ―ドも十分に緊張している。この状況で平静でいられるほうがおかしいのだ。
「問題なさそうだね」
こくりと頷いたジャワ―ドが国籍カードを持ったままハオを連れ、グリーンアースの方へと歩いていく。ベルディはその様子をバイクに座りながら眺めていた。
背丈の高い木々のグリーンアースが暗いとどうも落ち着かない。その不安にさせる雰囲気ゆえに、ベルディはあまりグリーンアースが好きではなかった。海のほうが断然好きだ、と思うと望郷の念にかられる。
グリーンアースをぼんやりと見ていたベルディの肩をロイドが触った。
「ロイド?」
「ご主人様、警告です。警備がお二人に近づいています」
引き攣った声がロイドから放たれる。ベルディはびくりと肩を揺らし、緩めていた力を入れて前を見た。
ジャワ―ドとハオがグリーンアースに踏み入れようとした瞬間、大型の銃器を持った一人のアルカトラン連合国の軍人が出てくる。呼吸を忘れてしまうほど空気が張り詰めた。
「おい、何の用だ? 出国か?」
どっと背中に汗をかくハオを庇い、言葉に詰まりそうにながらもジャワ―ドが国籍カードを見せる。
「出国だ。国籍カードもある」
ジャワ―ドの手にある国籍カードを見たアルカトラン連合国の軍人はじろりとジャワ―ドを見た後、後ろに立つハオの肩に手をかけた。全身を駆ける恐怖がハオを襲い、ジャワ―ドも身を固くした。
「お前は? 国籍カードを見せろ」
ハオは国籍カードを持っていない。黙ったままのハオに銃器を向ける。
ベルディは勢いよくアクセルをかけた。そしてアルカトラン連合国の軍人と二人の間を勢いよく突っ切り、ブレーキをかけ急停止した。急な邪魔にアルカトラン連合国の軍人は呆気にとられて銃器を下げた。
「乗って!」
ベルディは声を張り上げ乗るように言った。ジャワ―ドは呆然としているアルカトラン連合国の軍人の銃器を蹴り上げ、着地した足を軸に体を捻った。柔らかい体は鞭のようにしなる。流れるように蹴りが腹部に叩き込まれ、連合国の人間は膝をつく。その隙に青ざめたままのハオを抱えながらバイクに飛び乗った。
「ま、待て!」
落とした銃器を拾い、照準を定める。しかしその銃が撃たれることはなかった。軍人は背後からの衝撃に気絶し、地面に倒れる。背後に立っていたのはロイドだった。
「ロイド!」
「ご主人様!」
人間に危害を加えることができないはずの家庭用アンドロイドが人間に危害を加えた事実にベルディは混乱した。何故人を気絶させることができるのだろう。迷いなどは一切なく、一撃だった。
ロイドは気絶した軍人の制服から二丁の拳銃を抜き取りエプロンのポケットへとしまった。そして軍人が落とした大型の銃の残弾数を慣れた手つきで確認し、ベルトを肩にかける。混乱したままのベルディにロイドは駆け寄り、切迫した声と表情で口を開いた。
「アルカトラン連合国の軍人は意識レベルが一定以上低下すると自動的に非常事態として軍本部に連絡が行きます! 彼らのアイシールドにはカメラもついていますので勿論顔も割れています! 応援が来るまで平均十分もありません!」
耳にある小さな飾りを取り、ベルディの左耳の後ろへと貼りつけた。冷たい金属の飾りは髪に隠れ、見えなくなる。
『ご主人様』
左耳後ろの骨越しにロイドの音声が直に伝わり、驚いてロイドを見上げた。ロイドは口を閉じている。どうやら喋っているわけではないようだ。
『そちらはインターフェイスです、私の声が聞こえますでしょうか』
「な、なにこれ、聞こえる、聞こえるけどどうなってるの?」
『骨伝導で聞こえる仕組みですがその話は後で。アルカトラン連合国周辺のグリーンアースは探知済みですのでグリーンアースを走ってもすぐに追いつかれてしまいます』
先の見えないグリーンアースを見やる。陽は完全に落ち、何も見えない。探知済みで詳しく知っているアルカトラン連合国の軍とただの人間では天と地の差だ。
『街中を逃走経路に選んでください。一般市民を巻き込んでしまう危険があるため撃たれにくくなります。今すぐアドラを抜けて南東のエーゲルへ向かってください』
「ロ、ロイドは? ロイドはどうするの?」
ロイドは穏やかな笑みを見せる。人間にしか見えない家庭用アンドロイド、ではない。在り方が人間だった。喉が渇く。置いていきたくない。置いていきたくなど、ない。
『私も後から迂回して合流しますのでとにかくこちらで連絡を』
そちらにはマイクがついていないので私からの一方的な連絡になりますが、と付け加え、ベルディを急かす。
『早くお逃げください!』
頷く時間も取らずにベルディはバイクを急発進させた。
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