2 遺跡の砂漠、白銀の山

 砂漠の暑さを舐めていた。海上に建つ天高も日差しが痛くて熱かったが、それとは比べ物にならない。ベルディはフードを被ってもなお暑い日差しに悩まされていた。改造したバイクで順調に進んでいるとはいえ、もっと水を用意しておけば良かったと後悔する。結構積んだつもりだったが、それでも足りない。

「暑い……」

 汗を拭い、バイクを走らせ続ける。かつて養母と養父が読み聞かせてくれた砂漠の話を思い出す。砂漠にはオアシスありきだろう、と。願ったところでオアシスが現れるわけもなく、暑さと日光に耐え続ける。そしてオアシスなんてものを忘れた頃にその存在は現れる。

 黒い瞳は緑を捉え、反射的に喉が震えた。半信半疑で進むと実際に木が生え、湖がある。周りを観察すると、反対側で荷台を引いた列が休憩している様子が見えた。

 速度を落として走行し、近くでバイクを止めて近寄っていく。あまり聞き慣れない言語が聞こえ、ベルディは首を傾げた。天高でも似たような言語を喋る人がいたが、あまり会う機会もなく覚えられなかったのである。ところどころ単語が聞き取れるだけで何を言っているのかさっぱりだった。頭に布を巻いた一人の男性が水を汲んでいる。


「ここの水ってそのまま飲めますか?」

「うおっ!」


 心底驚いたようで大きな叫び声をあげ、容器を湖に落とす。わたわたと落とした容器を掴むと振り向いた。ベルディよりもやや浅黒い肌に黒い髪、薄茶の瞳。そして顎髭。歳はいまいち分からないが、少なくとも三十は越えている。いや、四十を越えていてもおかしくはない。

「びっくりした、急にノルクライス語で話しかけてくるから本当にびっくりした、危うく転げ落ちるところだっただろう!」

 妙な抑揚はあったがしっかりとノルクライス語で返事をしてくれる。敵意のない若い青年であることに胸をなでおろし、男性は容器の蓋を閉めた。

「そのまま飲むのは推奨しないな。浄水器はあるか?」

 これだこれ、と容器の上部を叩いた。どうやらその容器の上部は浄水器の役割を持っているらしい。腰のベルトに吊り下げた浄水機能のあるボトルを手に取って男性に見せる。

「一応あります。元々海水から真水を作るための物だけど……」

「それで大丈夫……ん? 海水? あんたノルクライスって言っても東や南の方の人間か?」

「いえ、ノルクライスではなく海にある天高という名の難民保護地区から来ました」

「知らんなあ……」

 長く生えた顎髭を弄りながら考え込む男性だったが、ベルディの軽装を認識するとぐっと眉を寄せて口を尖らせた。


「サンドルガ砂漠を越えるにはちっと軽装すぎないか?」

「それは……砂漠に入ってから自分でもずっと思っていました。アルカトラン連合国まで行くんですが、こんなにしんどいとは……」


 毛布をマントの形に軽く縫ったが、それ以前に来ている服の袖や衿が緩く砂も入り込んで気持ち悪い。ぐったりした様子のベルディを見た男性は、顎髭を弄るのをやめて提案をする。

「お前さんさえ良ければ一緒に行くか? 旅は思いやりの世界、って言うだろ」

 飛び上がって喜びたくなる提案にベルディは目を輝かせた。

 荷台にバイクごと乗せて良いと言われ、言葉に甘えてバイクを荷台に乗せる。

白い布が何重にも巻かれた屋根の下は涼しく、やっと一息つけると目を閉じようとした。それもつかの間、荷台の奥の方から聞き慣れない言語がまたしても聞こえてきた。

「うわあ! 誰の声!?」

 情けない叫び声をあげると、奥から双子らしき二人の少女と一人の青年が出てきて「今喋ったのはノルクライス語?」とこれまたノルクライス語でベルディに尋ねる。

「ノルクライス語だ」

「ノルクライス語だね」

 少女たちは頷き合うとベルディに手招きした。

「あんまり外に近いと砂で汚れる」

「こっち来て」

 言われたとおりに奥へと進むと、人が座れるほどの空間があった。青年が空いた場所を叩く。そこに座ると少女たちが興味津々に質問を次々と投げてきた。


「どこから来たの?」

「それともここの新しい人?」

「何歳? 名前は?」

「あのバイクは? ベルトについているのは何?」


 訛りのあるノルクライス語による質問の連撃にベルディは「ちょっと待って、質問が早いよ」と返す。聞き取れないわけではないがなんせ質問量が多くて早い。

「お兄さんのノルクライス語訛ってる」

「アルカトラン連合国の人が話すノルクライス語に似てる」

 今まであまり指摘されたことがなかった故に自覚していなかったが、天高はアルカトラン連合国近辺からの難民の受け入れが最も多い。おのずとアルカトラン公用語を喋る人と接する機会が増え、それはベルディの言語にも影響している。

「ぼくのノルクライス語って訛ってたんだね」

 青年も頷き、少女たちも頷いた。今まで一言も喋っていなかった青年が口を開く。

「おれらのノルクライス語も訛っているだろう? 普段話している言語もあるから、それで訛っているんだ。聞き取りにくかったらすまない」

 ゆったりとした喋り方の青年は邪魔そうに癖のある髪を耳にかけた。襟足が伸びた髪は肩や首に当たり跳ね、くるりと曲がっている。意志の強そうな薄茶の目はベルディをしっかりと見ていた。


「名前はなんて言うんだ? おれはジャワード」

青年の名乗りに少女たちが乗っかり、自身の名を告げた。

「私はユスラー」

「私はユムナー」


 左耳に金色の耳飾りをつけ薄いベールを左に被るのがユスラー、右耳に金色の耳飾りをつけ薄いベールを右に被るのがユムナーのようだ。踊り子なの、と付け加え、ベール越しの垂れ目がベルディに名乗れとせがんでいる。


「ぼくはベルディ。天高っていう海に建つ難民保護地区から来たよ」

 少女たちは瞬きをし、そして不思議そうな顔をした。

「私たちはトラウィス商団に所属しているの。ノルクライスとアルカトラン連合国を行き来する小さな商団よ」

「でも商売だけじゃない。トラウィス商団は難民の受け入れも行っているわ」

 私たち似てるね、と朗らかに笑い、可愛らしい声でベルディの名を呼んだ。

「知りたいことが合ったらなんでも言って」

「ここのことならなんでも教えてあげる」

 荷台に揺られ外を見る。見たこともない二種類の動物が荷台を引いている。天高はもちろんノルクライスでも見たことがない。一つはふわふわとした白い体毛、黒い顔に金色の瞳、三つに分かれた黒い蹄。もう一つは柔らかい毛、二つに分かれた爪のような蹄、特徴的な長い尻尾。

「あの動物はなんて言うの?」

 少女たちが荷台の外を見る。

「あのまあるくて白いのはバラーンって言うの。羊の近縁種よ」

「旧時代ではカラクールっていう品種の羊だったみたい」

 荷台から外をもう一度見た。白い体毛から黒い顔が覗き、金の瞳が見つめてくる。バラーンと呼ばれた動物は細く長くひび割れた鳴き声を発した。バラーンに乗った男性が頭を撫でる。するとひび割れた鳴き声には変わりないが、柔らかく嬉しそうな鳴き声に変わった。

「バラーンは甘えん坊なのよ」

 ユスラーがくすりと笑ってバラーンに乗る男性に向かって手を振った。

「じゃあ、あっちの尻尾の長い動物は?」

 人の二倍近くある大きな体格で、尻尾を振り上げながら砂漠の砂を踏んでいる。

「大きな体だけど人懐っこいわ。レビラムルって言うのよ」

「たしかラクダ科の動物が変異した動物だったかしら」

 レビラムルに乗った男性が首を撫でると、レビラムルは尻尾を嬉しそうに左右に揺らし、喉を震わせた。


 旅はまだ長い。陽が段々と沈んでいき、砂漠の細かい砂は西の光を受けて影を作っていく。


 夜になると急激に冷え込み、毛布に包まっても寒さが緩和されることはない。ユスラーとユムナーがもう一枚毛布を取り出し、ベルディを包み込むようにふんわりとかけた。二人も毛布に包まり、ベルディの隣に座る。

「砂漠の夜は寒いの」

「ジャワ―ドもこっち」

 斜めからランプに照らされたジャワ―ドの表情は上手く見えない。しかし彼は何か文句を言うわけでもなく、ジャワ―ドは双子の少女をベルディで挟むように座った。

「いつまでも甘えん坊でまるでバラーンだな」

 昼間のゆったりとした喋り方に加え、眠気があるのか穏やかさが増している。静まり返った荷台の中、ジャワ―ドが小さく唇を開いた。

 聞き慣れない言語、聞いたことのない唄。柔らかで温かい声が物語を紡ぐ。

 疲労を解すような唄にベルディは瞼を降ろした。



 日中の日差しは相変わらず強い。荷台から眺める砂漠は照り返しで金の波のようである。

「あれは何?」

 トラウィス商団の荷台に乗って四日も経つが、初めて目にする光景だ。不安そうな顔でそびえ立つ建築物を指で示す。砂漠に似合わない異物にベルディは落ち着けなくなっていた。

「旧時代の遺跡よ」

「ずっと昔、西暦三千年の世界の話」

 ユスラーとユムナーは唄を歌い出す。知らない言語、ほんの数十秒。唄の意味は分からないが、背筋を突き抜けるような戦慄があった。唄い終えた双子は眉尻を下げて哀愁に満ちた表情をする。

「遥か昔の西暦の時代、地球はとても汚かったの」

「戦争を正当化する唄だって教えられた」

「今も昔も人は愚かよね。ノルクライスも、アルカトラン連合国も……」

 ユムナーが建築物に視線を向けた。段々と遠ざかっていくそれは、汚染された時代から今まで遺ってきたものだ。想像を絶する長い時の変化を建築物は見てきたと考えると、ぞっとするものがある。変化しない物への恐怖がそこにあった。

「……この地球に人類が百億人もいたんだ」

 ジャワ―ドが目を瞑りながら話し出す。

「信じられないだろう。おれも信じられない。今この星は木々のための世界なのに」

 大地を覆うグリーンアースを率先して開拓し排除しようとしているのはアルカトラン連合国だけだ。近年の人口の増加が激しいのもアルカトラン連合国だけである。ほとんどがグリーンアースを排除するより共存を選んだ今の時代、地球全体の人口の増加は緩やかとも言える。

 百億人もの人類が地表を歩いていたと想像するのは難しい。


「信じられないや」


 極端な数字がなぜか面白くてベルディは微笑んだ。

「地球ってそんなに人が住めたんだね」

 すれ違うだけで肩がぶつかるのだろうか。森なんてものは一つもなく、海も今より浅い可能性だってある。もしかしたら空に都市を作っていたかもしれない。荒唐無稽でありながら高度な技術さえあれば実現しそうなことを空想する。やはり信じられなかった。

 天高ではよくアルカトラン連合国が最も旧時代に近いと聞いてきた。先ほどの人類百億人の話を聞いたらより一層気になってくる。

「アルカトラン連合国はどんな国なんだろう……」

 トラウィス商団の青年と少女は複雑そうな面持ちでベルディを見た。ユムナーの唇が微かに動く。「アルカトラン連合国はそんなにいい国じゃないわ」と。




 四週間もせずに砂漠を抜け、陸路を進んでいく。この先に越えねばならない山脈がある。砂漠のような皮膚が焼ける暑さはないが、風が湿っていてじっとりと汗をかく。

山脈の麓までくると、トラウィス商団は砂や日差しから身を守る旅装から虫や雪から身を守る旅装へと変えた。ベルディは余ったバラーンの体毛を貰い、毛布の中に敷き詰めて縫い閉じる。防寒対策をしないとこの山脈は越えられない。

「この山脈は夏でも雪が降るの」

「南から湿った空気が流れ込んで大きな雲を作るのよ」

 背中から風が吹き抜けていき、雲が流れていく。

「山脈の北部はそこまででもないけれど、南部は夏の間ずっと雪が降っているわ」

 見て、と遠方を指し示した。高くそびえるは氷河を抱くルドラ山脈。グリーンアースが途中で途絶え、僅かな緑を残し突如として表れた壁。靄のような雲を着て、人々を見降ろしている。

 視界前方、左右を見ても山脈が続いていた。南東の方角ではかつて山脈同士がぶつかった名残があり歪に高くなっている。


「東の海から来たなら寒さに慣れていないんじゃないか? 覚悟しておいた方がいい」

 ジャワ―ドが毛皮で作られた上着をベルディに羽織らせ、毛布で包んだ。

「ありがとう」

「私たちもこんなに着込むのに貴方だけそのままなんて、おかしいでしょ?」

 手で軽く円を模るとユスラーがそこに息を拭いた。ふわりと橙色の光がいくつか舞う。右手を口の前に持ってきたユムナーが息を吹く。橙色の光は人肌よりほんの少し暖かい熱を持ち、明るく荷台の中を照らした。

「魔術……?」

 双子の少女は艶やかに微笑んで、「ちょっとだけ使えるの」と言った。




 雪が入り込まないように荷台の入り口を閉め、山脈越えが始まった。

 光球で暖を取りながら双子に魔術について尋ねる。

「魔術を使うのに外界接触の礼装が必要だって聞いたんだけど……君たちも持っているの?」

 魔術についてギルバートに聞いたことがあった。 ユスラーとユムナーは同時に頷き、お互いの耳飾りを触った。光球の明かりを浴びる金色の耳飾りは身動きに合わせて揺れる。腕には宝石が埋め込まれた金色の細い腕輪がつけられていた。大きさが丁度のようで、腕と腕輪の間には隙間がない。


「耳飾りと腕輪。外界接触の礼装よ」


 綺麗でしょ、と大きく揺らすと金属同士が擦れる音がした。会話の途中で急に一つの球体が弾けて消え、中の熱気が零れる。連鎖的に他の光も崩壊し、中の熱だけが零れ出た。ランプの光だけになり、影が濃くなる。

「……魔術を維持するのって大変なの。ずっと意識していなきゃいけない。だから魔術は苦手」

「ね、今度はベルディのお話を聞かせて」

旅のお供は人の話だ、と少女たちがベルディに体験してきたことの話を求めた。

「じゃあ天高の話からしようか」

 大陸の東、海。潮の香りと太陽。各国の物や言語が入り乱れ、数多の人が逃げてくる場所。

 鼻に抜ける独特な香りのドレンの葉で白身魚を包み、湯浴みのお湯を焚く時に出る湯気で蒸した料理。ドレンを刻んで魚醤と混ぜて海老に絡めて焼いた料理。

 天高で医師として働く養父。天高で湯浴み場の管理をする養母。機械の修理やメンテナンスを教え、ノルクライスに持って行って直してもらえとバイクをくれた機械屋のおじさん。一緒に育った難民の姉妹。

 懐かしさを感じながらベルディが話す内容に、三人は静かに耳を傾けていた。




 検問を潜るために吹雪の中荷台を降りた。アルカトラン連合国の検問所はノルクライスの門とは比べ物にならないほど厳しく、銃器を持った人がアルカトラン公用語で早口に喋っていた。

 雪が顔に張り付いて冷たい。毛布で作ったマントに首を埋め、細く息を吐いた。白い息が隙間から漏れる。


「検問はいつものことよ。そんなに時間はかからないわ」


 ユスラーとユムナーが手に持つ国籍カードを見せる。そこにはトラウィスと書かれていた。

 旧時代の遺跡を巡り常波をも巻き込んだ新第一次世界大戦の停戦後、協定で国籍の配布が義務付けられた。

トラウィス商団は新第一次世界大戦以前にできた組織であり、規模が大きかったため例外として独立した国籍の配布が許可された。対して天高は戦争当時に難民が集まって作ったものであり、未だ国として認められておらず、国籍配布能力はない。

「待って、ぼくは国籍を持っていないよ。天高は民間組織のままで国籍の配布ができないんだ」

 ノルクライスでは国籍の提示を求められなかった。窮地に立たされたベルディは顔を青くして俯いた。このままでは下手すれば射殺もあり得る。死ぬか生きるか、そんな分岐点が目の前に現れたことに手が震えた。

 ちらりと検問所の人間に視線をやったジャワ―ドがベルディを背に隠す。

「未成年は代表で一人が国籍カードを見せるだけでも通れる。聞かれなければ大丈夫だ」

 ベルディの横にユスラーとユムナーが立ち、「安心して」と手を握った。

 順番に入国理由を聞かれ、検問所を通っていく人々。自分たちの番が近づけば近づくほど肩に力が入ってしまう。


「入国理由は?」

「商売。トラウィス商団だ。」


 ジャワ―ドが国籍カードを見せ、ユスナーとユムナーが頷く。

「お前もか?」

「は、はい!」

 話しかけられるとは思わず声がひっくり返ってしまった。沈黙と視線が突き刺さる。アルカトラン公用語を喋ったつもりだが、間違っていたのだろうか。銃器を持ち上げる様子が視界に入り、ぎゅっと強く目を瞑る。

「……通れ」

 ほっとして検問所を潜り抜け、先に入国していた三人の下へと駆け寄った。

「怖かった……」

 心臓が早鐘を打ち、白い息が勢いよく吐きだされた。急に撃たれたらと思うとたまったものではない。


「仮に嘘をついてもそんな簡単に撃ち殺さないわ。だって撃った相手がノルクライスや常波の人だったらどうするの?」

「緊張状態から先に攻撃したってことになって、向こうの戦力も分からないまま一気に戦争になってしまうわ。そんな危険侵さないはずよ」


 双子の正論に冷静になり、深呼吸をした。冷たい空気が肺を満たしていく。ここはもう、アルカトラン連合国だ。吹雪の中でも煌々と輝く人工の光。目測からでも分かるかなり背の高い建物群。ノルクライスとは全く違う、強いて言えばサンドルガ砂漠で見た旧時代の遺跡のような異物さが感じられる。

 空から鳴き声が聞こえた。一匹の鷲が滑空し、ジャワ―ドの腕に留まる。金のアンクレットがつけられた鷲は頭を振り一声鳴いた。

「おかえりアズハール」

 翼を大きく広げ、雪を落とす。鷲の爪は鋭く、足は鱗に似た固い皮膚をしていた。

「わ、鷲?」

「おれが飼っている。砂漠も雪山も越えるのに荷台に詰め込むわけにはいかない。ノルクライスを出発するタイミングで放して、おれたちがアルカトラン連合国に着くのと同じ頃に着くように教えた」

「すごいね……賢い鷲だ」

 自慢げに甲高く鳴く鷲をジャワ―ドが撫でた。鷲を撫でながらジャワ―ドが口を開く。

「アルカトラン連合国に着いた感想は?」

「うーん……眩しい、かなあ」


 本当に眩しい。ノルクライスのフィンドロイラという都市も眩しかったが、その眩しさとはまた違う。白く眼を焼く、人工的な光はアルカトラン連合国の特徴のようだ。


 トラウィス商団はいくつか天幕を建て、荷下ろしをしていた。眩しいほどの人工的な光の中、砂漠の民が天幕を建てるというなんともちぐはぐな光景にただ唇の隙間から息を漏らすことしかできない。

「ベルディ。こっちを向いてくれる?」

「私たちこれから仕事があるから、これでさようなら」

 ユスナーとユムナーがベルディに声をかけ、振り向いたベルディの顔をユムナーが掴む。ユムナーはお互いの鼻を擦り合わせた。離れたかと思うと次はユスナーが鼻を擦り合わせてくる。

「さようならの挨拶。またいつか、出会える日まで」

 二人の後ろにはアルカトラン連合国の男性が二人。彼らの視線が生温く気持ち悪い。双子の少女たちはアルカトラン連合国の男性と赤い天幕の中へと入っていった。ジャワ―ドが後ろ姿を見届けると、硬い表情をしたベルディに向き直る。


「……そういう仕事だ。おれもしたことがある。蔑むか?」


 首を左右に振り、ベルディは赤い天幕をぼんやりと眺めた。

「彼女たちが最初にこの仕事し始めたのは十三の時だ。トラウィス商団にいる以上、未成年はこの仕事を任される。お金や情報を得るため、生きるために必要だから」

 接待の対価にお金や情報を得る双子の少女は、十三からずっと生きるためにこの仕事をしてきたのだ。それに関して他人が何かを言う資格などない。

「ジャワ―ドは何歳の時に?」

 言葉にしてからしまったと口を覆う。その様子に珍しくジャワ―ドが口元を緩め、少しだけ笑った。

「おれも十三の時に。でもあまりに表情が変わらなくてつまらないって不評だった。すぐに別の仕事を与えられて、それ以降は全く」

 片腕に留めたアズハールを撫で、天幕から目を離す。あの場をじっと見るのはジャワ―ドにもできなかった。

「正直なところ、二人にして欲しくない仕事だ。血は繋がっていなくても、妹のようなものだから」

 掠れた、冷たい空気に溶けていく声。後悔や罪悪感を噛むような、そんな声。


「ジャワ―ドは優しくて家族思いだね」


 思いがけない言葉に目を見開いて、アズハールを撫でる手を止めた。アズハールは何度か翼を羽ばたかせ、留まっていた腕から離れる。

「家族……そうだな、家族か……トラウィス商団は血の繋がらない集まりだけど、家族、か」

「家族だよ。そうでしょ?」

 強い風が吹きつける。フードがベルディの顔を覆い隠していた。雪は止まることなく分厚い雲から落ちて街を覆っていく。

「……そんなに優しいとは自分では思えない。ずっと、ここじゃないどこかで生きていけたらと思っていた」

「そっか」

 靴で雪を蹴る。何故だか泣きたくて堪らない。ベルディの潤んだ瞳が見つめたいのはノルクライスでもアルカトラン連合国でも中立国常波でもない。生まれ育った天高だった。本当はずっと、天高にいたい。しかし人が増え続ける場所にずっとはいられない。常波は出自の明らかな難民しか移住を受け入れず、ベルディは常波に行くこともできない。強制的に追い出されたようなものなのだ。


「ぼくと正反対だ」


 会話が途切れて風の音だけになる。街の光を二人で眺めるだけの、静かな時間だ。

遠くを見ているうちに吹雪が弱まり、ベルディはフードを脱いだ。フードに乗っていた雪が落ちる。その雪をなんとなく踏んで平らにした。

「ぼくはそろそろ行くよ。荷台に乗せてくれてありがとう。食事も分けてくれてありがとう。そうみんなに伝えて」

 ジャワ―ドの頬を冷えた手で挟んだ。表現できない表情に歪むジャワ―ドにベルディは軽く笑う。別れはいつも寂しくて冷たくて、また会える日を願うものだ。

「さようならの挨拶、だっけ?」

 そっと鼻先を合わせ、そして離れた。

 バイクのスイッチを入れ、跨る。荷物が落ちないように縛り上げ、クラッチレバーを握った。

「ベルディ。アルカトラン連合国には何しに行くんだ?」

 振り返ったベルディは眉を垂れさせて笑った。


「どんな国が人々にとって良いのかを知るため!」




ベルディとの別れはあっけなく、ジャワ―ドはベルディが向かった先をぼうっと眺めていた。様々な人を乗せて何度も山を越えてきたけれど、この別れが一番惜しい。せっかく仲良くなれた同年代の青年を見送るだけの自分の世界の狭さにが少しだけ恨めしかった。


「行きなさい」


 背後から声をかけられジャワ―ドはびくりと肩を揺らす。困惑に近い驚きの顔で声の主を見た。ジャワ―ドの育ての父。ベルディがオアシスで出会った男性が、ジャワ―ドの育ての父だった。

 彼は懐から装飾の施された短剣とアルカトラン連合国のお金が入った袋を渡す。

「本当は十八歳過ぎてから……クソみたいな場所から自由な国に逃がしてやりたかった」

 ジャワ―ドの頭を優しく撫で、血の繋がらない父は寂しそうに笑った。

「お前がトラウィス商団を出ていくまでに、自由で平和な国ができていたら良かったのに」

 今はもう中立国常波すらもアルカトラン連合国と緊張状態だ。自由で平和という概念からどんどんかけ離れ、混乱の世になっていく。

「行きなさい、お前が行きたいところへ」

 頭上でアズハールが鳴いた。二度旋回した後ベルディが歩いて行った方向へと飛んで行った。自由を選択することができる。ジャワ―ドは胸の奥が痛痒くなり、育ての父を真っ直ぐ見ることができなかった。


 彼を置いて?

 妹たちを置いて?


「知らない世界を知りたいとは思わないのか?」

 知らない世界という言葉に体を強張らせた。ベルディが育った天高がどんな場所か、知りたい。常波にだって行ってみたい。生きていくための仕事で何度も往復しているアルカトラン連合国もノルクライスも、特別詳しいわけではない。知りたい。知りたいのだ。

 自身の好奇心が強い人間であることを認めたくはなかった。認めたら最後、自分と商団を結びつける鎖まで断ち切ることになる。

「……ユスラーとユムナーを置いていくわけにはいかない」

「あの子たちも十八になったらどこかの国に逃がしてやりたい。逃がしてみせる。今はどうしたって二人の仕事を変えることはできないが、しっかり育てるさ。それに思っている以上に二人は精神的に大人だよ。お前が外に出たいと思っていたのを、俺より先に知っていたんだから。ああ、あの子たちが俺に教えたわけじゃないぞ。俺が気づくよりずっと先に気づいても、言わなかったんだ」

 ユスラーとユムナーが荷台に揺られて眠る姿が脳裏に浮かぶ。二人は既にジャワ―ドの願望を知っていて、それを口にしなかった。


「さようなら、ジャワ―ド。我が息子よ」


 育ての父は鼻に触れる。さようならの挨拶をした育ての父は精一杯の笑顔を見せた。引き攣っているが、笑顔には変わりなかった。

「さようなら」

 ジャワ―ドはそう言って一歩後ずさった。

「お父さん……」

 ぐっと感情を飲み込んで背を向ける。育ての父よ、さようなら。育ててくれてありがとう。そんな言葉は胸の中に仕舞い、ジャワ―ドはベルディの後を追いかけた。

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