自由は海に似ている

夜波あさひ

1 緑の都ノルクライス

 動かないバイクを解体していた魔術道具修理屋の中年男性は、お手上げだとでもいうふうに両手を上げた。男性の様子を見た若い青年はバイクを覗き込む。解体されたバイクには燃料を入れるようなパーツも燃料を燃やすようなパーツもない。内部の中央には何かを包んでいるような部品があり、そこからいくつもの管が伸びている。中央の部品がどうなっているのか、魔術の技術や知識があってもさっぱりなようだった。


「こいつは普通の魔術道具じゃねえよ」

 解体したバイクを組み立て直しながら男性は喋り続ける。手際よく組み立て直されていくバイク、そしてその手順を青年は覚えるように見つめた。

「ナザユの旧時代の遺物を取り扱っている店に行った方がいい」

「ナザユ?」

 青年は聞き返した。健康的に日焼けした肌に艶やかな黒い髪と黒い瞳で、ノルクライスでは見かけない容姿だ。

「地下鉄乗ったらすぐだ。ここはドロセラだからナザユまで六駅じゃねえかな、久しく行ってねえから覚えてねえけど……どの地下鉄に乗ればいいかは分かるから書いてやるよ」

 書き損じた領収書の裏にノルクライス語を書いていく。殴り書きではあるが読み書きができるなら問題はない程度である。書いている途中で申し訳なさそうに青年が声をかけた。

「おじさん、気持ちは嬉しいけど……ぼくは文字が読めないんだ」

「はあ? おまえさん今幾つだよ。十六とか十七だろ? 読めないなんてそんな」

 青年は困ったように愛想笑いを浮かべ、己が生まれ育った場所を指し示した。その先はノルクライス国内を指していない。

「ぼくは海の向こう、ずっと向こうにある天高っていう難民保護地区から来たからね。喋ることはできるけど、文字は読めないんだ」


 ノルクライスより東、大海に建つ難民保護地区。六本の柱に支えられ、日々傷ついた人々を迎え入れる民間組織。様々な国や地域の言葉が話され文化が入り混じる場所。そこで育った青年の名をベルディといった。




 ♦♦♦




 修理屋の男性に口頭で教えてもらった道を辿って地下鉄に乗り、ナザユの駅で降りる。ドロセラとは違って建物が高く、賑やかな街ではなく奇妙な静けさがあった。

 旧時代の遺物を取り扱う店は全て紫の旗を掲げているらしい。紫の旗を探すと視界にあるだけでも何軒かある。一番近い店を訪ねようとバイクを置き、扉に手をかけた。その瞬間扉は勢いよく開かれ、転がり込むようにベルディは体勢を崩す。そのまま倒れそうになるのをすんでのところで踏ん張り持ちこたえた。


「悪い」


 眠そうな声が頭上からかけられる。顔を上げるとそこには暗い金髪、そして目にかかるほどの前髪の隙間から碧い目が覗いていた。

「なんだ? 客か?」

「お前も私の客だろうがギルバート! 金を払ったらとっとと出て行ってくれ、商売の邪魔だ」

奥から掠れた声の女性が現れ、ギルバートと呼ばれた男を押し退けた。口元を布で覆った年齢不詳の店主の女性は、ベルディを見ると片眉を跳ね上げ、外に置いたバイクに視線を投げる。

「依頼はこのバイクか?」

 ベルディが何かを言う前に工具を取り出し器用に解体していく。表面を保護する金属板を外すとそこへ触れた。一体何をしているのか分からずただじっと見ているだけのベルディに、ギルバートが近寄る。

「あれは解析って言ってだな、細かな波動で内部まで調べているんだ。魔術の基本中の基本だが……お前もしかして、知らないのか?」

 指輪が何個も付けられた指で飴を摘まむ。清涼感の強い飴を口に入れると、ギルバートはどかりと椅子に座った。流れるように足を組み、解析で内部を調べる女性に「いつも雑なのに」と声をかける。

 女性は振り返ってギルバートを睨みつけた。


 作業の邪魔にならないように一歩下がると、ギルバートがベルディの肩を叩く。

「ここじゃ見かけない顔だ、海の方か?」

「そう、天高ってところから来たよ。ベルディって呼んで」

「へえ……」

 自ら話を振ったわりに興味なさげに返答をする。そして不躾にベルディをじろじろと見た。

「貴方は?」

「俺? ギルバート」

 指先でばちりと静電気を起こして遊びながら答える。退屈そうに足を揺すり、細長い耳飾りが揺する足の動きに合わせて小刻みに揺れた。そしてまたじろじろとベルディを見た。

「外界接触の礼装もないし……もしかして第二の神経回路がひとつもなくて魔術を使えない、ただの人間だったりしてな?」

「第二の神経回路って何?」

ギルバートは衝撃を受けたように目を見開き、断りもなくベルディの腕を掴む。しばらくしてより一層衝撃を受けたような顔をしてしげしげとベルディを見た。

「全くと言っていいほど第二の神経回路がない……!」

「だからそれ何?」

「本当にただの人間なのか!」

 天高にも魔術を使える人は何人かいたが、そんな人はごく少数だった。身を守る術がないゆえに仕方なく逃げてきたような人ばかりだからだ。ベルディは勿論魔術を使うことは出来ないし、魔術が何たるかもどういった理論で使えるのかも知らない。

 窓の外の青々とした街の木々よりも向こう側、一際目立つ森を指し示す。グリーンアースと呼ばれる、この星の各地に点在する異質で大規模な森。

「グリーンアースが生み出すエネルギー物質が、第二の神経回路を通る伝達物質と触れるとどうなるか知っているか?」

「知らない」

「知らない? いいか、よく聞け。爆発的な反応を起こして変容的なエネルギーになるんだ」

 ギルバートは机にあった水差しを取るとベルディの前に差し出した。

「どんなエネルギーにも変えられる。魔術の出来は魔術を使う人間の発想力や集中力に依存するが、とにかく自由自在なんだ。しようと思えば原子の結合の組替えすらできるほどにな」

 透明な水差しの中の水が徐々に温まり湯気が出始める。沸騰する前にギルバートは水差しを机に戻した。


「第二の神経回路は骨や筋肉から皮膚まで張り巡っている。だが皮膚をただ露出させても何の影響を与えることはできない。そこでこれだ」


 指輪を見せ、耳飾りを触った。どちらも蛇の模様が彫り込まれ、店の明かりを反射して煌めいている。一見その身を飾り立てる装飾品だが、ただの装飾品ではなく疑似神経回路が緻密に張り巡らされているのだ、とギルバートは言った。

「魔術は外界接触の礼装がないと使えない。これらがあって初めて魔術が使える。多少の例外は存在するが、まあそれはともかくとして」

 ベルディの腕を掴み、哀れな者を見るかの如くため息をついた。

「第二の神経回路もなければ知識もないのか。可哀想なやつだ」

 上から目線の物言いにベルディがむっとしていると、解析を終えた女性は立ち上がり、ベルディの腕を掴んだままのギルバートの頭を叩いた。

「すべての人間が魔術を使えるわけじゃないって学術院で習わなかったのかこのバカは! 悪いね、コイツ人の心の機微の分からん奴でさ」

 主席で卒業した、飛び級だったなどと吠えるギルバートをもう一度叱責し、ベルディに向き直ると「来な」とバイクの前まで連れていく。

 中央の部品を覆っている金属の端を指で摘まむと、捲るように金属が曲がった。そして中には千言万語を費やしても表現し得ない色の立方体が埋め込まれている。

「これは……」

「このバイク自体は旧時代の遺物じゃない。でもこの通り、動力源は旧時代の遺物ってわけ」

 女性は中央の部品を覆っていた金属の内側を指差した。何か機械のようなものが付属していて、そこにはスイッチと繋がる配線が千切れていた。

「これが原因ってこと。なあに、普通の故障さ。スイッチ入れても動かなかったのは配線が切れていたからだよ。すぐ終わるからちょっと待ってな。お代は銅貨一枚でいいよ」

 財布から銅貨を取り出そうとしたベルディの手が止まる。そしてちらりと女性を見た。


「あの、一つお願いしてもいいですか」


 急に堅苦しい言い方になったのを不思議そうに首を傾げ、「なんだい?」とベルディの言葉を待つ。ベルディは申し訳なさそうに目線を動かした後、思い切って言葉を続けた。


「このバイク、グリーンアースの中も砂漠も雪山も走れるように改造できますか?」

「お前結構無茶なこと言うね……」


 それなりの代金になるが払えるのか聞かれたベルディが財布の中身を見せると、金貨の多さに女性は大きく呻いて「五……いや三枚でいい。前払いで引き受けよう」と修理だけでなく改造することを快諾した。

「二日後の昼に来てくれ。それまでには終わらせよう、任せてくれ」

 頷いて感謝を述べる。ベルディの退店に乗じてギルバートも店を出ようとした。

「ギルバート、お前は金を払え」

 渋々ギルバートは女性に硬貨を投げつける。枚数を確認した女性はギルバートが店を出た途端勢いよく扉を閉めた。ベルディがどこか宿をとろうと歩き出した瞬間、肩を掴まれる。

「なあ、ただの人間」

 微妙に不快な呼び方にベルディは眉を寄せた。ただの人間なのは否定できないしするつもりもないが、言い方に棘を感じる。考えれば考えるほど気分が悪い。更に深く眉を寄せた。

「ベルディ。名前で呼んでよ。ただの人間なのはそうだけどさ」

 ギルバートはなんとも間抜けな声を出して一人で頷き、もう一度口を開く。

「ベルディ、明日はどうするんだ」

「えっ……観光かな……? バイクの修理はついでで、元々観光に来たようなものだから」

「言っておくがナザユは観光に向いていない。強いて言うなら国立植物研究所くらいだが……」

 そう言った後何か閃いたようにベルディを見た。

「なあ、ベルディ。俺の助手をする気はないか?」




 国立植物研究所の壁をよじ登り、侵入する。監視の魔術の死角から入り込んだために警報は鳴らず、踏んだ地はしっとりとしていた。

「これ犯罪じゃないの?」

 困惑したベルディがギルバートに囁く。実際にやっていることは不法侵入だ。

「犯罪を暴くための調査が犯罪になってたまるか」

 ギルバートは草木を掻き分け、そっと地に手を置いた。解析の波動は研究所内の地面を駆け、一つの違和感を掴み取る。

「ついてこい」

 足音を立てないようにギルバートの後を追う。辿りついたのは半透明のドームだった。入り口は扉などないが、ここからでは中が見えない。

 ドームの壁に手を置き、解析をする。中に動くものがないことを確認したギルバートは中へと足を踏み入れた。それに続いてベルディも中へと入る。

 ドームの中は常にスプリンクラーが作動していて外よりも湿度が高く、草木の匂いに混じって薬品のような刺激的な匂いが鼻をついた。植物園の香りではない。


「だれ」


 真横からの声にベルディもギルバートも驚き、反射的に声を上げそうになる。いないはずの人の声だ。恐々と横を向くと、木が根ごと動く。そしてその奥から車椅子に乗った人型の「何か」が身を包む蔦と葉を解放した。

「だれ、しらない」

 か細い声だったが少女の声であるのは違いない。最後の蔦が離れると、そこには確かに七歳くらいの少女の顔がある。よく見ると足は植物の根のようになっており、根は地面に繋がっていた。顔や首以外の肌は緑で、腕には蔦が絡んでいる。人間という言葉を当てはめていいのか悩むようなその見た目だが、確かにそこには少女が存在していた。

「だれ、こわい」

「待て。俺は恐らく君を探しにきた。名前を教えてくれるか?」

 ギルバートが一歩詰め寄った。車椅子の少女も根と車輪を動かして近寄る。

「三一〇四ってよばれてる」


 国立植物研究所に来る前にギルバートが言っていたことをベルディは思い出す。そう、ギルバートは行方不明当時七歳、現在十五歳になるラーラという少女の捜索を頼まれていた。ベルディが尋ねた旧時代の遺物を取り扱う店の店主は情報屋でもあり、あの女性から少女の幼馴染である少年がこの研究所に無断で出入りしているという情報を得てここに来たのである。

「君はもしかして……」

 本当の名前はラーラなのではないか、と続けようとしたギルバートの腕を誰かが掴んだ。

「だ、誰だ」

 少し背の低い少年が怯えたように声を張り上げる。ギルバートは慌てて少年の口を塞いだ。職員は二十歳以上しかいない。つまりこの少年はベルディとギルバート同様不法侵入してきたということになる。そして不法侵入するような少年は一人しかいない。

「ばか、職員に聞かれたらおしまいだぞ」

 少年にそう叱ると口を塞いでいるギルバートの腕に蔦が伸び、軽く一周したかと思うと強く縛り上げた。

「いっ……」

「きずつけないで」

 少年の口から手を離すと蔦は緩み、少女の下へと戻っていく。ギルバートの腕には赤く痕が残り、それは非常に強い力であることを示していた。

「ラーラ! この人たち誰?」

「しらない。でもここのひとじゃない」


 小声でラーラと少女を呼ぶ少年。少年は歩いていくと鞄から点滴のようなものを取り出し、少女の腕に針を刺した。少年はちらりとベルディとギルバートを見る。不法侵入であることが職員にばれたら大事になるのはお互い様だ。告げ口することはないだろうと少年は立ち上がる。

「散歩しよう」

 少女は根を縮め、車椅子を動かして区分けされた場所から出る。

「根が地面に接してなくてもいいのか……?」

 驚愕したギルバートだったが、目的を思い出し少年と少女に近寄った。少女の深緑色の瞳がギルバートをじっと見つめる。吸い込まれそうなその瞳は喜怒哀楽を表さず、ただギルバートを射抜いていた。

「わたしのたのしみ、じゃましないで」

 細い蔦の絡まった腕を伸ばすと、ギルバートの背後から蔦が伸びて足をきつく縛った。動こうと思っても動けない。

「お、おい! 君はラーラなんだろう」

「そう。でもどうして?」

「君の母親がっ、うっ」

 足に絡まる蔦の力が強くなる。

「そのはなし、しないで……もう、もどれないの」

 少年が少女を守るようにギルバートの前に立つ。少年は十五歳くらいの見た目なのに対し、少女は七歳くらいのままだ。

「そうか、成長が全部植物の……」

 惨い実験がこの国立植物研究所で行われている。その証明だった。少女の成長は全て変異した体、特に植物へ注ぎ込まれている。

「ラーラは元の体に戻れない。それはラーラ自身が一番分かってる。お兄さん、ラーラを探しに来たんでしょ。でも……ラーラはここから出たら死んでしまう。必要な水の量が尋常じゃないから」

 静かに少年が言葉を放った。開けっ放しの彼の鞄には数枚の点滴の袋が入っている。


「点滴の中、水と栄養剤だよ。ちょっと散歩するのに一パックじゃ足りないんだ。ここから出たら、ラーラはすぐ……それ、ラーラのお母さんに言える?」


 ギルバートは言葉に詰まる。言うには残酷すぎる事実だ。少女はギルバートの足の蔦を緩めると少年とともに動き出した。車椅子の車輪が土の上を転がっていく。少年は外の暮らしや自分の家族の話を一切しない。ただ少女の好きな歌を歌いながらドームの中を歩いていった。

「……無理だよ」

 二人の後ろ姿を見てベルディはぽつりと呟いた。例えこの国立植物研究所の実態を暴露しここが潰れたとしても、母親に伝えここから救出したとしても、どのみち少女は生きていくことはできない。ここの冷酷無残な施設でしか少女は生きることができない。

「ギルバート、やめよう。あの子を死なせるわけにはいかないよ」

「だが……」

「ここから連れ出してもこの研究所が潰れても、彼女は生きていけない」


 腕を引いて来た道を戻ろうとする。ドームの外に人がいないか調べようと解析した瞬間、けたたましい警報が鳴り響く。ベルディもギルバートも、少年も少女も頭上で鳴る警報装置を見上げた。

 遠くから誰かが走ってくる音がする。その音は一人だけではない。

「研究所も解析していたみたいだ!」

「えっ」

「魔術の基本中の基本と言っただろう! 内部を調べることくらい造作もないってことだ! あのクソガキの不法侵入が今まで解析でばれなかったほうが不思議なくらいだが、今はもうそれどころじゃない!」

 ドームの出入り口は一つだけだ。出入り口の横でギルバートとベルディは息を潜める。白衣を着た職員が入ってきた瞬間二人同時に足をひっかけて転ばせた。立ち上がろうとしたところをギルバートが触れ、職員たちは痺れたように気絶する。

「おい! 二人とも逃げろ!」

「に、逃げろって言ったって……」

 更に複数の職員が駆けつけてくる。

「いいの」

 少女は腕を伸ばして蔦を少年に絡ませる。少年を持った大きな蔦はギルバートの前までくると少年を押し付けた。

「にげて」

「ラーラ!」

 少女の元へ戻ろうと叫び暴れる少年をギルバートが羽交い締めにする。

「ラーラ、君は!」

「でられないもの」

 入ってきた職員三人を一気に蔦が締め上げ、気を失った職員はぼとりと落ちた。

「おおさわぎになっちゃった。ねえ、わるくないまじゅつしのおにいさん」

 ここ、もやしてくれる?




「放せよ! ラーラ! ラーラ!」

 暴れ続ける少年を担いだまま、職員を縛り上げまとめて研究所の外に引きずり出す。少女の蔦はスプリンクラーを破壊し、ドームの天井に大きな穴を開けた。

「おねがい、もやして」

「……」

 ベルディに少年を預け、ギルバートはドームの前に立つ。苦虫を噛み潰したような顔で腕を前に出した。一気に周辺の空気が乾き、それから小さな火花。直後爆音が鳴り響き一瞬にしてドームが燃え上がる。


「ラーラ!」

「いつもあいにきてくれてありがとう」


 少女は燃え盛る炎の中から動かなかった。熱くて息苦しいその中で、少女は一人で車椅子に座っている。

「嫌だ! ラーラ! ラーラ!」

 音を立てて燃えていく中から微かな歌声が聞こえてくる。先ほど少年が歌っていたものだ。少女が胸に抱く思い出は歌と少年との散歩のみ。少女にとってはその思い出さえあればこの苦しみから逃れるための死の選択は容易いものだったのだろう。

 草木が燃える匂い、ドームが燃える匂い、それから歌声と少年の叫び声。歌声はドームが崩れるまで続いていた。

 ずっと叫び暴れて火の中に戻ろうとする少年を無理やり連れだし、研究所を出る。ギルバートは気になっていたことを聞こうと少年の肩を揺さぶった。


「今まで解析で気づかれなかったのは何故だ? 教えろ!」

「知らない! ラーラを返せ! ラーラ!」


 半狂乱になっている彼を抑え、ベルディはギルバートを見る。

「ギルバートも解析ってやつであの子がいたことに気づかなかったよね。あの子が解析を誤魔化す魔術の技術を持っていたんじゃないかな。誤魔化すというか、こう、常に波動を弄るかして、外から内部を観測する波動を一定を保って……」

 はっとしたような顔でギルバートが考え込む。

「警報が鳴ったのは内部から俺が解析をしたから波動に干渉して……」

「実際のところは分からないけど、多分」

 少年がギルバートに噛みつき、手を離した隙をみて研究所へ戻ろうとした。慌ててベルディが彼を取り押さえる前に、ギルバートは少年を痺れさせて気絶させる。

「そうか……俺のせいか」

 深くため息をつく。前髪をかきあげて天を仰いだ。

 ギルバートのせいではないと断言できずにベルディは視線を落とした。熱かっただろう。息苦しかっただろう。でもそれ以上に、今までずっと失意の底にいたのだろう。

「長く絶望にいるよりは良かったんじゃないかな」

 ギルバートは何も言わない。ゆっくりと顔から手を離し、黙ったまま少年を抱き上げた。

「全部ラーラの母親に話す」

「えっ、ちょっと待ってよ!」

 歩き出したギルバートについていこうとベルディも動き出す。

「ついてくるな!」

 怒号に近い声にベルディは立ち止まった。

「……ついてくるな。明日バイク受け取る頃に店に俺も行くから、その時どうだったか話す」

ギルバートの背中に「全部本当のことを言わなくてもいいんだよ」と声をかける。返事はなかった。




 バイク受け取りの当日、やけに見た目が変わったバイクを前にベルディは固まる。車輪とバイクの胴体の間に隙間ができ、ハンドルの位置がかなり下がっていた。塗装も黒だったものが白になっている。

「これ、店主さんの趣味ですか……?」

「そりゃ私の趣味よ。見た目の注文は無かったしな。黒より日差しで熱くならないし、雪に同化できるしさ。グリーンアースの中じゃ目立つけど、まあいいだろ?」

「雪に同化する必要は……いえ、ありがとうございます」

 想定していた以上の変化に動揺するが、まず感謝を述べねばと言葉を紡いだ。いいってことよ、とベルディの背中を店主の女性が叩く。

 見た目の変化に動揺してしまったが、これで砂漠も雪山も越えられるようになった。バイクのハンドルを持って押し転がそうとするとその軽さに驚く。

「軽い!」

「右ハンドルの横に赤いスイッチがあるだろ。そこを押せば中のエネルギーキューブ……前に見せた立方体のやつからエネルギーが流れて動く仕組みだ。あとは他のバイクと同じ。給油もいらないし、便利だよなあ旧時代の遺物ってやつは」

 試しに右ハンドルの赤いスイッチを押すと、エンジンがかかった他のバイクと同じような状態になる。内部にあるあの四角いものがエネルギーを生み出しているとは到底思えない。しかし実際にこのバイクは動いている。ベルディはスイッチを切り、バイクを撫でた。

「結局旧時代の遺物ってなんなんでしょうね」

「さあな。私はその研究をしたことがないから詳しくは知らないが、負の質量をどうたらってところまでは調べたんだけど、文献が失われているみたいで研究も止まってるんだってよ。旧時代の人間は不思議なことを考えるよな」


 店主の女性が何かに気づき、眉を顰めた。その目線の先をベルディが見ると、そこにはギルバートが立っている。

「ギルバート! 来ていたなら声をかけろ!」

「それが改造したバイクか。相変わらずセンスがないな」

「張り倒すよ」

 眠そうな声で店主の女性に軽口を叩くのは最初に会った時と変わらない。だがベルディは緊張した。昨日、どこまであの少女の母親に話したのだろうか。

「ベルディ」

「う、うん、ええと、どうだった?」

 緊張しているのが丸わかりのベルディを見て、半ば呆れたような困ったような微妙な表情で頬を掻くギルバート。うーんと唸り、そして話し出した。

「全部話した。本当に。俺がやったことも、全て。それであのクソガキも預けてきた」

「嘘は言わなかったんだね」


 ギルバートは国立植物研究所のほうを見た。あの研究所は一度取り壊される。しかしきっとまた新たに研究所として復活するだろう。研究所の後ろにはノルクライスという国がいる。戦う相手が大きすぎるのだ。

「母親はラーラがもう戻ってこれないことは察していたみたいだった。それでももう一度抱きしめてあげたかった。そう言われた」

 娘の姿を見たいと思う母親の気持ちを想像して胸が痛くなる。どんな姿になっていても抱きしめて名を呼んであげたい。それが愛する子を持つ親なのだろう。

「いい、分かってる。手を下したのは俺だ。それも言った。母親は……怒らなかったし俺を恨むこともなかった。ただ、もうあの子はいないんですねってそう言って」

「ギルバート、もう」

 言うのを止めさせ、何か言おうとベルディは口を動かそうとした。うまく言葉が出てこない。俯いて震えている。端正な顔立ちが泣きそうになっていることは見なくても分かる。見られたくないであろう泣き顔を見ないようにベルディは視線を逸らし、なんとか言葉を生み出した。

「あれ以上のことは、できなかった、と思う」

「そうだな、そう思いたい……」

 店主はギルバートをそっと抱きしめ、ベルディも抱き寄せる。背を優しく擦られて、二人の青年は堰を切ったように泣きだした。




「もうノルクライスを出ていくのか?」

 門を潜ればその先はノルクライスではない。バイクに載せた最終的な荷物の確認をしている時にかけられた言葉は、ノルクライス滞在中に何度もお世話になった声の主のものだ。ベルディは振り向いた。

「ギルバート」

「一ヵ月もいなかったんじゃないのか? ノルクライスを全部回れたか? あんなことはあったが……これでも一応いい国なんだ、一応は」

 東の薄闇を背に、眠そうな声のまま矢継ぎ早に喋るギルバートを見てベルディは笑った。彼は彼自身が思っているより世話焼きなのだと、ベルディは知っている。


「ぼくに兄がいたらそんな感じなのかな」

「何を言っている」


 呆れかえった顔で腕を組む。ノルクライス滞在中に何度も会った彼とはずいぶん仲良くなった。眠そうな顔も、人を小馬鹿にした顔も、呆れ顔も。十九歳のギルバートは大人びて見えていたが、年相応の無邪気さがあった。本質は弱い人間に優しく、魔術の素質がとても高い青年だった。異国の地で友人ができたことは、ベルディにとってはノルクライスに来て一番嬉しかったことだ。それをギルバートに言うつもりはないが。

「色々見たよ。記念樹立ウィンドゲート公園も見たし、地下鉄も乗ったし、青くて眩しかったフィンドロイラって都市も。たくさんの魔術を見たし、天高にはない木々がたくさんあった。海の匂いがしないのも、魚じゃなくて肉が食べられたのも初めてだ。新鮮って言葉が一番合うかな。天高にはそういうのなかったから」

 肉をしっかり焼いて濃厚なソースをかけ、シノイという葉で包んで食べた時を思い出す。あれは本当に美味しかった。魚しか食べたことのないベルディにとっては衝撃的な体験でもある。

「でもね、ギルバート。ずっと言ってなかったんだけど……ぼくは不法入国者なんだ。捕まる前にノルクライスを出ないとね」

「そうか」

 眉を垂れさせてギルバートが笑う。ベルディが不法入国していることに薄々勘付いていたのか、特に驚く様子もなくただ笑っただけだった。

地平線の向こう側から太陽が昇る。暗い金の髪は朝日を受けて輝いていた。碧い瞳がベルディを捉え、目を細める。その目線には寂しさがあった。ベルディも黒い瞳でギルバートを捉えた。これからベルディはノルクライスを離れ、グリーンアースと砂漠を越え、雪山を越える。ノルクライスと長年争ってきたアルカトラン連合国へ向かうために。

 彼に今もなお敵対していると言っても過言ではない国へ行くなどとは到底言えない。


「ギルバート、最後に一つ質問していい?」

「いいぞ。なんだ?」

 ずっと気になっていたのだ。真面目くさった顔でベルディが尋ねる。

「空のあれ……何?」


 ベルディが指差すのは天に描かれた大規模な模様。ノルクライスを覆うようなその大きな何か。雲に隠れては現れる、謎の円形。

「あれはな、天陣って言うんだ。天による災害から人々を守る、莫大な魔術」

 にんまりとギルバートの口が弧を描いた。

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