第42話 エルフィーナの手が押したもの 6(羽根が見えるように)
※直人(教頭)の視点
「校長先生、僕はやっぱり心配なんです」
金曜日の朝、校長室で僕は、また弱音を吐いてしまった。
「エルフィーナ先生も心配していたかね?」
校長自身は、まったく気にならない様子で、平然としていたんだ。
「いいえ、夕べもよく眠れたようですし、今朝も笑顔でした。と、言うよりいつもより何だか嬉しそうでしたね」
「そりゃあ、エルフィーナ先生には、君がついているからかなあ、あははは……」
校長ったら、笑いながら言うんだもんあ。僕がこんなに心配してるのに、他人事みたいに……。
「(校長先生は、いつもああだしなあああ……)あ!
僕は、校長室を出ると向井さんに出くわした。できるだけプレッシャーを掛けないように気をつけて、笑顔で話し掛けたつもりなんだけど……。
「いやあー、授業というより、僕の好きなことを子ども達に見てもらうだけですよ。よかったら教頭先生も見に来てください……」
あれ?僕が思った以上に向井さんの力が抜けていて自然体だったので、かえって拍子抜けしてしまった。
おや?……僕の方が、変に緊張しているかな。エルは、何か魔法を使ったのかな?
……そう言えば、エルの魔法は……夢か。夢は頑張ることじゃないんだな。夢はいつも自然に見てしまうものなんだ。好きだから……自然に……自然だから……。
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しばらくして、校長室に来客があった。
「お久しぶりです。うちの向井が1週間お世話になりました。お邪魔ではなかったですか?」
丁寧な話し方だったが、相変わらず四角い眼鏡の奥の細い眼は、笑っていなかった。
校長が、負けじと丁寧に、
「向井さんは、この1週間大変よく本校の教育方針を学ばれ、子ども達にも“しんちゃん先生”として認識されるようになりましたよ。これは、私達が教えた訳でも、向井さんがそう仕向けた訳でもありません。向井さんと子ども達の交流の中から、自然に生まれてきたのです」
と、向井さんの成果を強調した。
「え?向井が、子どもと交流ですって?」
と、一際驚いた様子を見せた上尾参謀だったが、その後、静かに説明を付け加えた。
「実は、向井の父親は、彼が子どもの頃、病気で亡くなりましてね。その後、お母さんと二人で頑張って生きてきたのですが、なかなか生活も苦しくて、友達ともあまり遊ぶこともできなかったようなんです。
その母親も、彼が高校生の頃に病気で亡くなったそうです。この仕事に就くまで、やっぱり大変なことがたくさんあったようですが、詳しいことは………」
「そうだったんですか……」
「それが、先日、ひょんなことから、お母さんの写真を見せてもらったのです。……びっくりしましたよ。お宅の学校のエル先生に、雰囲気が……いや姿が……そっくりなんです。
それで、私は、1週間の調査を命じました。……実は、レポートなんでできなくてもいいと思ってます。……だから、校長先生、ありがとうございました。今日は、これで返ります。向井もつれて帰りますから、本当にありがとうございました……」
上尾参謀の表情は、変わらなかったが、肩の力は抜けて幾分下がっていたように見えた。
すぐに僕は、話に割って入った。
「上尾参謀、待ってください。どうか、帰らないでください。今日は、向井さんが授業をするんです。上尾参謀も見て行ってください。子ども達も楽しみにしているんです」
僕は、必死に訴えたんだ。
「え?上尾が授業を?そんな馬鹿な?……まさか、レポートが書けないから、代わりに授業を?」
「いいえ違いますよ。上尾さんは、子どもやエルフィーナ先生にせがまれて、そして、じっくり自分で考えて結論を出したそうですよ」
と、優しく校長が、説明した。
「とにかく、私達も、見守りましょうよ……いいですね、上尾さん」
「は、はい……」
びっくりはしていたが、上尾参謀は、快く承諾してくれたんだ。
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「さあ、みんなにも画用紙が渡ったかなあーー」
向井さんは、何の気負いもなく、子ども達に話をはじめた。校長先生が見ていようが、上司の上尾参謀が見ていようが、まったく関係ない様子だった。
「この1週間、みんなには本当にお世話になりました。たくさん、楽しいことがあったし、楽しいものを見せてもらったね。僕は、そのお礼がしたいと思ったんだけど……僕にできることは、これしかないんだ」
向井さんは、黒板に貼った画用紙に鉛筆でデッサンを始めた。おおよその輪郭を描き、形を作ったところでみんなの方を向き、また話し始めた。
「僕のお父さんは、僕の小さい時に亡くなったんだ。そして、僕は、お母さんと2人で暮らして来たんだ。そのお母さんも僕が高校生の時に亡くなってしまった。もう、だいぶ前だ。
………でも、この間、この大山里小学校へ来て、びっくりしたんだ。……僕はね、忘れていたおかあさんを思い出してしまったんだよ。そっくりだったんだ、エルフィーナ先生が、僕のお母さんにね。そして、みんなの顔を見ているうちに絵を描くことも、思い出したんだ」
また、向井さんは、黒板の方を向いて、エルをモデルに絵を描き出した。
子ども達は真剣にみつめていた。
エルは、事前にお願いされたいたようで、黒板の横で椅子に座ってモデルをしているんだ。しばらくして、向井さんは、こんなことを子ども達にお願いした。
「僕はね、お母さんが亡くなった時、絵を描くのを忘れたんだ。もう、お母さんが居ないのに、お母さんの絵なんか描けないと思ったんだ。そして、他のものも描けなくなってしまったんだ。
……でもね、僕はね、エル先生を見て思い出したんだ。僕のお母さんをね。そして、目を瞑ると、お母さんが僕の心に浮かび上がってきたんだ。
僕はね、だからみんなに伝えたくなったんだ。絵はね、思い出も描くことが出来るんだよ。みんなには、楽しかったことを絶対に忘れないで欲しいんだ。
たぶん『遠足のこと』『学級訪問のこと』『給食のこと』『休み時間のこと』、僕が居なくなっても絵を描くことで、想い出を蘇らせることにつながると思うんだ。
もし、よかったら一緒に僕と絵を描いてほしい。何でもいいから楽しい思い出を描いてほしいんだ……いいかな?」
するとすぐに、教室中から歓声があがって、鉛筆を動かす音が響いてきたんだ。
「上尾参謀、どうですか?」
校長先生が、そうっと尋ねた。
「……うっ……うっ……はい……」
上尾参謀は、眼鏡をとって拭き、またすぐに眼鏡をとって拭きを繰り返していた。
「す、すごい、すごいですよ校長先生……子ども達の絵……全部……この1週間に向井さんと関わったことばかりですよ………」
僕は、子ども達の机間を歩いて見て歩き、驚いてしまった。
「そりゃあ、あれだけ向井さんが、変わったんだ……子ども達だって刺激になりますよ」
やっぱり、校長先生はすべてを予見しているかのようだった。
そんな時、橋本美穂ちゃんが、完成間近の向井さんの絵に近づいてきたんだ。
「ねえ、しんちゃん先生……羽根は描かないの?」
美穂ちゃんは、真っすぐ向井の目を見て、質問した。向井さんは、そう聞かれて、エルフィーナ先生の方を見返していたんだ。
すると、一瞬目を擦ったかと思うと、満面の笑顔になり、美穂ちゃんにしっかりと答えていたんだ。
「ああああ、見えたよ……描いていいかな?」
「うん、描いて……だって、みんなも描いたんだよ。しんちゃん先生も、仲間だよ!」
「ありがとう……ありがとう……」
向井さんは、鉛筆を動かしながら頬を伝う涙を、何度も、何度も、ぬぐっていた。
もちろん、僕なんかまたハンカチを出して両目を押さえていたんだけどね。
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その夜、僕は、ソファーに座りながらエルの手を見て言ったんだ。
「この手は、本当にすごいんだなあー、知らず知らずにたくさんの人の背中を押しているような気がする」
エルは、その手で僕の手をギュッと握り返してきた。
「でもね、私の背中を押してくれる人がいないと、そんな力は絶対に出ないことを忘れないでね」
そう言うと、エルはそのまま夢の世界に静かに落ちていった。
(つづく)
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