最終話

 校門近くに植えられた桜の芽はまだ開花していない。卒業式だというのに空の機嫌は微妙に悪く、やや暗い厚めの雲たちが青空を塗りつぶしている。俺は校門の前で空を見上げながら天候が崩れないことを願っていた。


 校門の前で三十分程立ち続けていた。その間校門の通りは閑散としていた。だが晴れやかな声で親や友人と談笑しながら学校から出てくる生徒たち見掛け始める。俺は生徒たちに目を向け南条親子を探す。数分ほど目を配らせていると正面から手を振る柚未先輩が目に映り俺は頬を和らげた。


「またせてごめん」


 柚未さんは俺の正面まで駆け寄ると両目を閉じ渋い顔をした。謝る顔の柚未さんは愛嬌があって俺はつい見惚れそうになる。けれど後ろから小走りでこちらに来る柚未さんの母の存在に気づく。彼女の母の前で見惚れるのはまずい。


「そんな待ってないよ」 


 俺は柚未さんの瞳から視線を外しながら言った。


 その後間を入れずに柚未さんの母が柚未さんの背中側の近くに並んだ。


「ごめんなさいね。文示くんは出席できないのにわざわざ柚未のために学校に訪れてもらって」


 謙遜するように柚未さんの母は礼を口にする。腰が低い柚未さんの母に俺は感心しつつ慌てて礼を言い返す。


「こっちも柚未さんと逢いたかったですし、会う許可をくれてありがとうございます」


 今日の卒業式、下級生は原則として出席不可だ。下級生の俺は今日この場にいる理由を持たない。けれど明日南条親子は海外に飛び立つため、最後の時間として柚未さんの母が会う時間を用意してくれた。


「柚未は幸せものね。この日まで会いに来てくれるなんて」


 のどかに口元を解しながら柚未さんの母は柚未さんに声をかける。


「あたしが好きになった人だからね」


 空中で飛び跳ねるように踊る声を出しながら柚未さんは俺を見詰めた。清らかな瞳と目が合う。何度も見てきた瞳だ。けれど今日は卒業式ということもあって普段よりも清らかでこの瞳が見納めだと思うと別れが恋しくなる。


「お母さんの目の前で言われるのはちょっと照れますね」


 涙腺がじんわりと火照るの感じながら頭を掻いて笑った。


「時間もないしそろそろ行こうか」


 柚未さんがさっと俺の隣に並ぶと袖を優しく摘んで引っ張る。


「最後だから思いっきり楽しまないとな」


 袖を引っ張られている方に頭を回すと柚未さんは俺をじっと見ていた。


「文示くん柚未のことお願いね」


 生徒たちが「またね」と咽び泣きながら別れを告げると声が飛び交っている。目を窄める柚未さんの母の瞳からは春月のような光が垣間見えていた。その春月は今にも沈んで空から消えそうであった。


「わかりました」


 俺は一音一音丁寧に発声しながら答えた。それから数分、柚未親子が柚未さんが帰宅後のことをやり取りし柚未さんの母は先に帰宅した。二人だけになった。柚未さんはいたずらをしかけるような顔を伺わせるとこちらに背を向けた。そのまま淡いグレーの歩道の上をバッタのように軽やかに跳ねる。宙を跳ぶ柚未さんは五歩跳ねると両足で綺麗に着地しこちらを向くと、両手で筒を作りそれを口元に当てた。


「文示くん置いていくよ」 


 真っ直ぐこちらへと飛ぶ柚未さんの活力に満ちた声。そよ風が流れ校門近くの木々の葉が陽気に揺れる。


「それは勘弁して」


 笑い声を混じった声を喉から発しながら俺は柚未さんの元へと駆け寄った。


「一杯食ったね」


 緩やかに目尻を下げている柚未さんが先程まで滞在していた洋食屋の話を振ってくる。俺達は学校を離れたあと洋食屋で昼飯を済まし、とある公園のベンチでくつろいでいた。 


「流石にあのカレーライスは辛すぎた」


 ベンチに腰掛けた俺は洋食屋で味わった喉の痛みを思い返し顔を歪める。


「水ばっか飲んでよね」


 からかうように柚未さんは目を尖らせこちらを見据えた。


「美味しかったんで後悔はないけどな」


 語気を強めて気取るが柚未さんから疑いの目を向けられた。柚未さんの目から逃れるべく天を仰ぐ。空は依然として曇り続けており、太陽が顔を見せる気配はない。空に向かってため息を漏らす。吐かれた音は直ぐに消散する。首を水平に戻しズボンのポケットを探りスマホを取り出す。


「あんま時間残ってないな」


 スマホの時刻を見た俺は気にするようにこちらに目を凝らしていた柚未さんにスマホを見せる。


「明日旅立つから余裕を持って明日に備えたいからね。ごめんね。本当は夜まで一緒にいるつもりだったんだけど」


 しんみりと柚未さんは口を噤む。


「こればかしは仕方がない、俺もやっぱり別れは辛いな」

 

 顔を渋め俺は目の前の芝生に目をやる。強風が吹き付け芝生は騒がしい音を立てながら激しく揺れていた。


「別れね……離れ離れになるのはあたしも嫌だけどそれもで未来を信じて進むしかないよね。大学も頑張らないといけないし」


 強風は長時間は続かず芝生は先程とは一変して静寂を取り戻し縦一直線に姿勢を正す。


「柚未さんなら向こうの大学でも上手くやれるよ」


 スマホをそっとポケットに収めると裕美さんの目を見て励ます。


「友達できるか心配だな。言葉は頑張って覚えたから通じると思うけど文化が違うから少し不安だよ」


 目を伏せた柚未さんの顔に深山が現れる。


「柚未さんならあっという間に多くの友達に囲まれているは

ず」


 深山に迷い込んだ柚未さんを山の入り口に導くべく俺はもう一度励ましの言葉を送った。


「だったらいいね。文示くんお願いがあるんだけどさ向こうに着いても連絡ぐらいはしてもいいかな」


 震えた手を抑えるように柚未さんはスカートを限界まで掴んでいた。柚未さんの喉が息を飲み込むように一瞬微かに蠢くのが目を見開いた俺の視界に映る。俺は目を窄めると顔をしかめる。数秒ほど経つと目に日差しが入り唐突の眩さに目を閉じた。目を開けた俺の心には柚未さんの笑う姿があった。


「連絡ぐらいならいいですよ」


 俺は微笑みながら申し出を了承した。


「ありがとう。本音をいえば向こうについても交際を続行したかったんだけどね」


 舌を出して苦笑いをする柚未さんを見ていると胸の中が暴れ出した。


「そうしたら会えない事実に二人共悩ませれ続けるから駄目」


 笑みを崩さなよう頬に力を入れながら言葉を発すると深呼吸をして心臓を宥める。


「あたしもそう思う。付き合っているのに会えないのは辛いし、恋人という存在が返って精神の負担になってしまうから」


 公園の先にある十字路で自動車が左に曲がり、後ろに並んでいたバイクは右へと曲がった。それから六台十字路を通過したが直進した車両はなかった。 


「今日でお別れと思うと柚未さんともうご飯食べらないと思うと名残惜しくなるな」


 両手を頭の上に載せ声を出す。その声は俺と柚未さん以外の耳には届かない音量だった。


「好きな人と食うご飯は普段よりも美味しく感じるから現実を受け入れたとはいえあたしも別れるのが辛くなってきた」


「元からこの日を分かったうえで付き合ってきたから仕方がない。柚未さんの場合はご両親の影響が大きいから、現実を覆すのは厳しいからな」 


 腕を解き歯を噛みし合わせると歯は断続的に震えてしまう。


「お父さんはあたしと暮らしたがってるし、あんまり親を悲しませたらいけないよね」


「俺もじいさんを悲しませるわけにはいかないから、漁師の件を反故にする決断はできないな」


「人生って難しいね。そろそろあたし行くね」


 そう言うとベンチから柚未さんが立ち上がる。真上からは天日が柚未さんの顔を瞭然と照らし出す。 俺も立ち上がりと空を一瞥する。雲はいつの間にかどこかへ退散し、太陽が堂々と天に君臨していた。


「もうそんな時間か」


 スマホで時刻を確認しながら俺は言った。


「文示くん、今までありがとうね」


 髪を耳にかけるとしっかりとした眼差しで俺を見据えながら柚未さんは口元を綻ばせた。


「こっちこそ今まで付き合ってくれてありがとう。幸せだったよ」


 胸の内にはそよ風が流れ、綿あめのようにふんわりとした気分になる。 


「それと文示くん、あたし自分の手で道を築けるように頑張ってみるね。だから今はさようなら」


 決して折れそうにない声が俺の耳に入る。頭まで到達した声は何度も反響し脳の奥底にその言葉は書き込まれる。


「またな」


 誰かが掴めばすぐに砕けてしまいそうな声で俺は最後の挨拶をした。柚未さんは俺に微笑みかけると反転し俺との元から歩き去っていく。柚未さんが去ったあと俺は立ち尽くしながら考え事をしていた。


 頭には「今は」という言葉が引っかかっていた。なぜ「今は」と言ったんだ。もう会うことはないのに。いやそれは俺の思い込みか。もしかして柚未さんは――。この憶測を今、これ以上考えるのは止めておこう。四年もあれば気持ちだって変わる。俺もそうだし柚未さんも同じだ。 けれど俺との連絡は柚未さんにとっての微かな希望なのかもしれない。 


 だとしたら俺もその希望に付き合うべきか。もう俺達は恋人ではなく友人だ。だけどその関係がまた変わっても不思議ではない。俺は太陽を見上げながら思いっきり頬を緩ませた。その心には四年後というあまりにも不確定な未来に希望を抱いていた。 

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俺たちが歩ける道は一つだけ。それでも君と付き合いたい 陸沢宝史 @rizokipeke

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