2話

 空中ブランコが上下に動きながら回っている。足が宙に浮いているがこの感覚は普段では味わえないため慣れない。ジェットコースターほどではないが地面より高い位置にいるため、ブランコが上がり初めた瞬間は少しばかし恐怖を感じた。


 俺から少し離れた真横には柚未さんが乗ったブランコがある。だけど意外とスピードがあり、表情をよく確認できない。このアトラクションを所望した張本人なので今頃顔中は笑顔で溢れきっているだろう。


 回り始めて数分が経過するとブランコの勢いが緩み始め高度が下がっていく。今日はジェットコースターなどの激しいアトラクションばかりに乗っていたため少しベンチで休憩したい気分だ。


「空中ブランコ貸し切れたら愉快だろうな」


 降り立った俺は物足りなそうな呟く柚未さんの声を聞いて顔をしかめた。一体後どれだけ乗れば気が済むのだろう。


「一人だけの空中ブランコは味気ない気がするけどな。それよりベンチでゆったりしないか?」


 近くでブランコを眺めている柚未さんに休憩の誘いをする。柚未さんは残念がるように上半身を力無く前に丸めた。柚未さんのお願いはできる限り叶えてやりたい。だけどこれ以上は本格的に酔いそうなので今だけは強引にでも阻止しなければならなかった。


「文示くんはお疲れのようだね。ごめんね気付けなくて」


 柚未さんは頬を硬くしていた。責任を感じさてしまった。もう少し配慮のある言い方が必要だったな。俺は言動に反省しながら適当に見つけたベンチに柚未さんを案内する。ベンチに腰掛けた瞬間、疲れが想像以上に体中を襲う。俺は思わず背もたれにもたれかかる。


「大丈夫? 水買ってこようか?」


 すぐさま柚未さんに心配されるが、俺は上半身を起こし手を振って、大丈夫の仕草をする。休憩は少しではすまないようだ。けれどいい機会だから予定していた話を今しよう。


「水も欲しいけど、柚未さん少し時間くれないか」


 表情を引き締め声に安定感を意識して話を持ちかけた。俺の雰囲気が変わったことに気づいたのか柚未さんの瞳に静寂さが入り込む。


「相談かな? あたしに解決できることならいくらでも手伝うよ」


 柚未さんが快諾してくれると俺はとある例え話をする。


「例え話だけど、もし将来的に相手が遠い場所に引っ越すって知っていたらその人と付き合える?」


 言い終えた俺は柚未さんの反応を瞬きせずに見守る。柚未さんは部屋の電気が消されたかのように瞼を少し下げ目を伏せた。それを目にした瞬間、平穏だった心の海の水面が微かに揺れ出す。目を伏せていた柚未さんは視線を俺の顔に戻すと口が開いた

「本音をいえば好きな人の顔を毎日見ていたいけど、離れ離れでもそう簡単に想いは解れないと思うから、あたしは平気だよ」


 その返答を耳にした瞬間、水面の揺らぎが収まる。思わずため息を吐きそうになるがみっともないので寸前で息を止めた。脳から次の質問を引っ張り出し、それを声にして外に出す。


「ならさもう一つ聞きたいんだけど俺、卒業したら漁師になるため遠くの街に引っ越すんだ。じいさんがそこで漁師やってその下で働くことになってる。海のないこの街に戻ることは恐らくない。そのことについてどう感じる?」


 空き缶がゴミ箱らしきものに衝突し弾き返された音がする。そして空き缶が地面を転がる音が微かに聞こえた。柚未さんの唇は重なり頬は強張る。そのまま二十秒程度俺の間に音も風も現れなかった。やがて柚未さんの唇が開き、真っ白い歯が見えた。


「それで相談は終わる?」


 口から出た言葉は短すぎた。けれどその一言に俺の頭の中は騒ぎ出していた。


「まだ一つだけ問いを用意してある」


 わざわざ質問を遮られたことに困惑したが早口で質問に答える。 


「一旦答えは保留でいいかな。その質問を答えるにはあたしの秘密をまず知ってほしいの」


 柚未さんの口振りは説得力に満ちており、先に俺の質問に答えるよう求む勇気は全く湧いてこない。


「秘密か」


 俺は呆然とつぶやく。


「話の傾向としては文示くんと似ているかな。あたしもね高校卒業したらこの地を離れるの。海外の大学に留学する予定だから」


「ずいぶんとかけ離れたな」


 この地を離れるであれば俺達の話は似ているかもしれない。けれど海外はいくらなんでも遠すぎる。


「でしょ。それでね海外の会社に入社するつもり。そこはお父さんの会社なんだけど、数年前に海外に本社が移転になって、お父さんは今海外で単身赴任中。今国内にいるのはあたしとお母さんだけ。そのお母さんもあたしと一緒に引っ越すの。ごめんね返事もせずあたしの話を聞いてもらって」


 柚未さんは後ろめたそうに苦笑いしていた。


「いえそんなことないですよ」


 顔を引き締め平然とした声で俺は謙虚に言う。だが今の俺ならスーパーで鯖を人参と間違えて購入し、そのまま家で刺し身として捌いてもおかしくはない。そのときは両親に仰天されるだろう。 


 俺の視線はかろうじで柚未さんを捉えていた。けれど間もなく顔が俯き、視界から柚未さんが消えそうだ。そんなとき柚未さんが瞳に深海を照らしてしまいそうな輝きが灯る。その輝きを俺の瞳は追い求め、目が見開き柚未さんと視線が決して切れない糸によって結ばれる。


「文示くん、二つ目の問いへの返しだけあたしは夢を追いかけることは素晴らしいと思うよ。本当ならもっと側で――」


 柚未さんの口が唐突に塞がれる。俺は回答の続きを欲していた。けれど柚未さんは自らを静止するように首を横に二度振った。柚未さんが伝えたいことは曖昧のままだ。だけど口にしたかった言葉は何となく悟れた。


「わがままで申し訳ないけど三つ目の問いを教えてもらっていい?」


 柚未さんからの求めに俺は無言で頷いた。心を鎮めるように一瞬目を瞑る柚未さんの姿が目に入る。柚未さんの目がゆったりと開く。俺はそれを見ながら心臓に手を当てた。鼓動は激しい。この道の先に巨大な壁が待っていても想いを伝える。俺は覚悟を心臓に宿す。そのまま想いを一直線に口から押し出した。


「柚未さんのことが好きです。いつかは離れ離れになる。それでも俺は柚未さんの卒業までは側にいたい。だから俺と付き合ってください」


 想いを打ち明けた俺の胸に静けさが訪れる。視線の先にいる柚未さんの瞼が少し落ち伏し目になる。目には雫が溜まり、頬をゆっくりと流れ出す。 柚未さんの手は涙を拭わない。涙がまた一つ流れ、柚未さんは微笑んだ。


「あたしも文示くんが好きです。ずっと一緒にいたいぐらいには。卒業まで一年もないけどこれからまたよろしくね。あたしの彼氏さん」


 朗らかな声が空気と混ざり合う。けれど笑顔は一瞬にして崩壊する。苦悶に満ちた顔つきが俺の目に映り込む。俺達に別れは決して遠くはない。俺は自分に誓う。彼氏でいる間は彼女を幸せにしてみせると。



 豊富なスイーツが並べられたショーケース。その前に柚未さんは上機嫌そうな様子で屈んでいた。


「このプリン甘そうで美味しそう。これにしようかな」


 後ろで立つ俺は柚未さんが目の先にあるプリンに目をやる。


「なら二人共これにするか?」


「けどプリンはいつでも食べられるし、今日は受験勉強の息抜きだし特別感を出したい」


 頬に膨らませた柚未さんはショーケースの端から端までを目で辿る。学校は夏休み中で今日は受験勉強で疲れた柚未さんのために洋菓子カフェに訪れていた。柚未さんは半袖のワンピースに身を通している。何を着ても似合う柚未さんだが今日の衣装は特に印象的だった。


 俺はスマホを取り出し時間を見て、眉を顰める。この調子なら選ぶのに時間がかかりそうで不安が心に絡まりついていた。結局選ぶのに時間がかかり最終的に食べたいものを全て注文していた。


 トレーにスイーツを乗せテーブル席に着席する。俺の向かい側に座る柚未さんの前にはいくつものスイーツが並べられている。先ほどのプリンの他にワッフルなどがあった。大量のスイーツを前に何となく食べきれない分を任される未来を勝手に想像する。


 柚未さんの手にスプーンが握られ、その先端がプリンに軽く当たる。プリンはしなやかに左右に揺れ、スプーンに一部が掬われた。プリンは柚未さんの口へと運ばれ、食した本人の表情は蕩けていた。


「うーん、素材の甘さが引き出されて幸せ」


 柚未さんの手は止まらず、プリンは矢継ぎ早に削られていく。あっという間に皿まで数センチまでプリンは低くなった。その光景を俺は自らのプリンを食すのを忘れ喫驚する。前言撤回だ。柚未さんならテーブルにある全てのスイーツを食べ切れるだろう。

 

 少し時間が経つと俺はプリンをようやく完食としていた。一方で柚未さんの目の前には空き皿何枚も置かれている。また一品完食した柚未さんが次のスイーツを求め残りのスイーツを見渡す。するとチーズケーキと目があう。柚未さんはチーズケーキを手前に置く。俺はプリンの最後の一口を舌に載せながら、柚未さんの動向を伺っていた。だが柚未さんはチーズケーキには手を付けない。顔つきも薄い雲に覆われ青空が見えづらくなる。


「これは新しいスイーツを欲しているのかな」


 俺は茶化すように探りを入れる。


「文示くんが食べたそうなものを考えていたの」


「せめてドリンクで勘弁してください」


 あまり聞きたくない仕返しに口元が乱れた。


「実はね、昨日までお父さんが帰国していたの。二日だけだけどね」


 柚未さんが口元を噤む。


「二日だけとは忙しいな」


「帰国時のお父さんの寂しそうな顔見るとちょっと哀れに思えたよ」


 朧げな瞳を抱えながら柚未さんは首を前に倒した。二日しか娘と入れないのは俺も気の毒に思える。


「やっぱり家族で暮らしたいよな。親なら」


 テーブルを見下ろしながら控えめな声を出す。すると柚未さんは困惑した目付きを俺に向けた。


「お父さん、来年家族三人で暮らせること楽しみにしていた。それ聞いていたとき文示くんのこと思い出してあたしちょっと胸が痛かった」


「俺がいなかったら柚未さんもお父さんと同じ気持ちでしたか?」


「多分そうだっただろうね。前は向こうの言葉覚えるの物凄く楽しかったし、向こうの美味しいものも調べてたから」  

 名残惜しそうに柚未さんは目尻を下げた。その顔つきを見て体内に切ない風が吹いた。俺は顔を小さく横に振り胸の中の気持ちを外に飛ばす。


「柚未さん、今日は勉強の息抜きなんでこれ以上は侘しい話題はなしで」


 柚未さんの顔をしっかり見ながら微笑む。


「ごめんね。空気悪くして、さあ続きを食べよう」


 柚未さんの口角は一気に引き上がり笑みが充満する。だけどそれが強引に作られたものだと俺は悟った。  



 朽ちた紅葉が風に押され地を転がる。夕日が沈み宵が訪れている天に白き衛星が昇っている。駅前にあるベンチに柚未さんと二人で腰掛けていた。外の空気に手が触れる。ひんやりを通り越した寒さに手袋を欲してしまう。柚未さんはコンビニで買ったペットボトルに口をつける。ラベルには「アップルティ」と書かれていた。


「久々にチェスしたから頭がちょっと疲れたかな」


 ペットボトルから口を離した柚未さんの和やかな横顔が目に映る。手に持ったコーラを一口含むと俺は尋ねる。


「久々の部活は楽しんだ?」


「三年生は自由参加だから同期は居なかったけど満喫できたよ。ブランクあっても腕は鈍ってなかったしね」


 柚未さんはこちらを向き、片手で拳を作り得意がるようにポーズを取った。朗らかな柚未さんを見ていた俺の心に元気が降ってきた気がした。


「俺はチェスしたことないけど、戦術考えるとか大変そうだな」


「最初のうちは覚えること多いけど、相手の戦術を予想しながらプレイするのは楽しいよ。何なら今度教えてあげようか?」


 上体をこちらに寄せマグマのような眼差しで柚未さんはチェスを勧めてくる。柚未さんの眼差しに捕らえられた俺は視線を泳がせる。柚未さんに悪いがチェスには興味はない。ここは同じチェス部の公文の話題に誘導しよう。


「そういや、公文って実力どうなんです。確か高校から始めたはずですけど」 


 柚未さんは俺から上体を離し、体ごとベンチの前側に向きを変える。この動きに俺は不自然さを覚えた。柚未さんの顔に目を凝らす。すると柚未さんは険しい顔つきをし、やがて腕を組んだ。


「初心者だからまだ未熟だけど……いつかは部内で一番強くなるかな」


 声は濁って聞き取りにくい部分があり、抑揚もない。潜在能力を称賛するような言葉を柚未さんは口にした。だけど声の調子から見て公文にチェスの才能はないようだ。俺は愛想笑いしながら「そうなんですね」と在り来りな反応をした。


 場の空気を変えるように柚未さんはアップルティを口に含む。俺もそれに釣られるようにコーラを飲んだ。二人共ベンチの前を見ていた。帰宅してきたスーツを着た人々が駅から多く出てくる。


「そろそろ帰ろうか」


 俺は暗闇の空間を目にしながら提案した。今日は柚未さんの部活終わりを待って一緒に下校していた。そのため下校時には既に日が落ちていた。


 柚未さんに提案してから人が何人も目の間を横切った。だけど隣から声が返ってこない。俺は様子が気になり柚未さんの方を見る。柚未さんは瞬きする以外に体が固まっていた。俺は柚未さんの視線の先を辿ってみる。


 すると一人の女性が着実に歩いてこちらに近づいていた。やがてその女性は柚未さんの目の前で立ち止まる。一瞬俺の方を一瞥したがすぐに裕美さんへと視線を戻した。歳は四十代後半から五十代ぐらいに思えた。ロングアウターの下にブラウスとロングスカートを身についているがいずれも上品な雰囲気を醸し出している。少なくとも近所に買い物をするような格好ではない。


「柚未、まだ帰ってなかったの」


 女性は困惑するように言った。聞かれた柚未さんは間が悪いように女性と顔を合わせようとしない。


「ちょっと学校の友達と話して帰るのが遅くなっただけ」


 素っ気ない返答に女性は怪訝な瞳で柚未さんを見下ろす。


「もしかして隣の人はチェス部の人かしら」


 優雅な声が俺達の周囲を包む。


 この女性は初めから俺を単なるチェス部員だと信じていないだろう。わざと気付かないふりをして柚未さんを試している。柚未さんは降参を決意したような面差しで俺の方を一瞬見た。そのまま視線を女性の方に戻し、無気力な声で話す。


「お母さんには紹介してなかったけど、この人はあたしの彼氏。部活終わりまで待ってもらっていたの。それでちょっと話し込んで帰りが遅れました」


 全てを白状した柚未さんは項垂れ小さな息を吐いた。唐突に訪れた自己紹介の流れ。俺は背筋を伸ばし、柚未さんの母の顔をしっかりと見据える。震える唇に力を入れ鎮めると口を開いた。


「柚未さんと付き合っている豊原文示です」


 柚未さんの母がこちらに反応し視線が重なる。


 娘の彼氏に興味を抱いているような瞳をしている。交際反対の言葉を浴びせられるのでは危惧していたがそれはなさそうだ。


「いつも柚未がお世話になっております」


 柚未さんの母は綺麗な動作で背中を丸めて挨拶した。


「いえ、こちらこそ普段から色々と助けてもらっています」


 座席したまま腰を深々と曲げた。ベンチには後二人程度は座れる空きがある。けれど柚未さんの母は座る気配はない。


「文示くんは柚未の同級生かしら?」


「いや一年です」


 質問に速攻で否定した後、柚未さんの方を一瞥する。俺は授業中の柚未さんを知らない。だから柚未さんの同級生らが羨ましく思える。もし同級生なら色々と違った柚未さんが見られたのだろうか。出会い方も違ってくる。それでも今と同じように一目惚れしている自覚はあった。


「あら、年下なのね。柚未が迷惑かけることもあるけどそのときは許してあげてね」


 軽やかな口調で裕美母は俺に頼んでくる。それに対し柚未さんは大声で反発する。


「お母さん! 文示くんの話は帰ってするから先に帰っててよ」


「柚未に嫌われたみたいだから、帰りましょうか。だけど最後に文示くん一つお願いしてもいいかしら」


 微笑みながら柚未さんを見た柚未さんの母は話しかけてくる。頬は緩んでいるが真率な目付きに俺は息を飲み畏まった声を喉から出した。


「なんでしょうか」


「この先柚未が助けを求めたときは手を貸してあげてね。たぶんそれは恋人のあなたじゃないと解決できないと思うから」


 柚未さんの母の顔全体から笑みが消え不安が一気に浸透していた。


 柚未さんもその異変を察したのか「お母さん……」と儚い声が口から漏らす。


 柚未さんの母が示す「助け」が柚未さんの留学の件なのか。俺は柚未さんの母の意図を推測できないまま、声に重みを加えるように返答する。


「……わかりました。何かあれば柚未さんを助けます」 


「そういっても貰えてありがたいわ」


 感謝を告げる柚未さんの母の顔からは後ろめたさを感じてしまった。


「それじゃあね。柚未、夕食のこともあるから早く帰ってきてね」


 最後は笑顔で手を振って柚未さんの母は目の前から去っていった。 

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