第30話 どうせなら好きなものに囲まれたい
ループレヒト男爵と馬丁さんが固まってしまっているけれど、僕はお構いなく名前を訊く。
「お名前は?」
「ツァールトと、申します」
名乗ったツァールトに僕は続けて訊ねる。
「んじゃ、貴方もナハトと一緒に僕のものね」
モノ扱いなんて人権無視した物言いだけど、でもさぁ、こんなにツァールトに懐いてるんだし、ナハトだけ引き取るなんてできないよねー。
「で、殿下、ツァールトはベテランの馬丁で、彼がいなくなると困ります」
僕はもうすっかりナハトとツァールトを貰う気でいたのに、ループレヒト男爵は焦ったように言ってくる。
何寝ぼけたこと言ってんだよ。
「やだなぁ、ループレヒト男爵。さっき言ったじゃない」
「言ったって、なにを……」
「ナハトは、ツァールトの世話しか受けないって」
「あ……」
先ほどの自分の発言を思い出したのか、ループレヒト男爵は小さく声を漏らす。
「ナハトだけ連れて帰っても、うちの馬丁のお世話じゃナハトはお気に召さないよ。それにナハトだってツァールトがいなかったら拗ねちゃう。ねー? ナハト。ツァールトも一緒がいいよね?」
僕の言葉に答えるように、ナハトはブルルルと鳴く。
「ほら、連れていけってさ」
ナハトの鳴き声を都合よく解釈させてもらう。
「なんなら献上じゃなく、購入でもいいよぉ。僕はケチったりしないから、白金貨一枚で買い取ろうか」
僕がそう言った途端、話を聞いていたであろう、隣の馬房で馬の手入れをしていた若い馬丁が、持っていた木桶を落とした。
ゴシャガシャンとすごい音がなって、カラコロと木桶が転がっていく。
隣にいた若い馬丁が驚いたのは、僕が白金貨一枚出すと言ったからだ。
白金貨は一枚一千万円の価値がある。
馬一頭の購入値段は、通常金貨五枚程度で済む。しかもナハトは十五歳という古馬。売買するにしても金貨二・三枚の値段にしかならない。
古馬一頭に白金貨一枚は払い過ぎだ。
だけどね、僕が払う白金貨一枚は、ナハトだけの値段ではない。ツァールト込みの値段だ。同時にそれだけの価値が、ナハトとツァールトにあると言っているのだ。
「で、でんか……」
「白金貨一枚、後日持ってくるよ。その時にナハトとツァールトを引き取るから、準備しておいて」
「で、殿下。む、無茶です」
「どうして?」
「どうしてって……」
「ナハトはめちゃくちゃ頭がいい馬だよ。だから、自分が世話してくれる馬丁のこともわかっているし、世話をしてくれた馬丁をバカにした奴のことも覚えている」
僕はそう言って、こちらの様子を窺っていた若い馬丁を見る。
「ボス気質で頭がいいナハトは、ツァールトは自分の子分だと思ってるんだろうね。自分の前でツァールトに嫌がらせやバカにした奴が、自分に触れようとして怒ったんじゃないの?」
ナハトは古馬だけど、素人目の僕が見ても、バランスの取れた綺麗な馬だと思う。毛艶も体つきも脚の形も、古馬とは思えないほどがっしりとして、それでいて優美だ。
「ナハトって若い頃はたくさんの貴族に欲しがられたりしなかった?」
「……はい。でも気性が荒くて、他の馬とうまくいかないので、売りには出せない馬です」
いきなり話を変えた僕にループレヒト男爵は戸惑いながらも同意する。
「でも馬好きのお金持ってる貴族が、こぞってナハトを見学に来るでしょう?」
「なぜそれを……」
だってさぁ、言うこと聞かない馬なんて、普通はすぐに馬肉にされるもんだよ。
にもかかわらず、今までこうやって生かされてるってことは、ナハトを気に入って見に来る貴族がいることと、『こんなに素晴らしい馬をうちは扱っています』っていう宣伝目的があるからだよね?
「ナハトは気性が荒くて扱いづらい。でも貴族には人気があるお馬さんだ。そんな馬を世話できるっていうのはさ、貴族に目を掛けてもらうアドバンテージになるよね」
「アドバンテージ」
「有利ってこと。誰にも懐かない気難しい馬をお世話できるのは、馬丁として優秀であるという証明だし、そんな馬を見に来る貴族にも注目される。あの馬丁は何者だって言われるんじゃないの?」
「……」
心当たりがあるのか、ループレヒト男爵は、黙り込んでしまった。
「貴族に顔を売りたいとか、馬丁としての能力を買ってほしいという人は、このナハトに懐かれて、お世話ができるツァールトのことが目障りだ。ツァールトが馬丁をやめていなくなれば、ナハトの世話役がまわってくるかもしれない。ナハトも最初は暴れるだろうけれど、ツァールトがいないと知れれば、そのうち大人しく世話を受け入れる」
そこまで僕が言うと、こちらを窺っていた若い馬丁が、顔を真っ青にしていた。
「人を乗せない理由は分からないけれど、乗せる前に何かやったんじゃない?」
「そんなことは……」
「ま、ぜーんぶ、僕の憶測。でも、ナハトは僕が購入するし、ナハトの世話をしているツァールトは、ヘッドハンティングさせてもらうってことで」
「ヘッドハンティング」
「優秀な人材を引き抜くってことね」
本当は雇い主の前でやることではないけれど、意味はそんな変わらんし。
「ループレフト男爵とツァールトの雇用契約はどうなってる? 何か借金の返済を肩代わりしているとか、そういうことは? あるならそれも全部僕が支払うよ」
「ま、待ってください」
そこでようやく口を挟んできたのはツァールトだった。
「ナハトは古馬ですが、確かに金貨百枚では足りない、それだけの価値があります。でも私は違います。私程度の馬丁は掃いて捨てるほどいるんです」
自分に自信がないにしても、卑下しすぎじゃないか? 専門家には専門家しか持ちえない技術があるわけだし。でもそれを説明しても納得してくれなさそう。
「あのねー、ツァールト。僕はね、貴方が馬丁として飛びぬけて優秀だから欲しいと言ってるわけじゃないよ。ナハトのような癖のある馬を扱える技術やその能力を、僕の為に使ってほしいと言ってるんだよ」
呆けた顔をしてるツァールトに、僕は笑顔を向けていった。
「僕の我儘だね」
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