第29話 三年目の夏の長期休暇
ヴァッハとギーア嬢をやり過ごし、無事に夏の長期休暇に入った。
王族の公務の合間に、オティーリエに頼まれたループレヒト男爵の馬牧場を訪問すると、ループレヒト男爵が出迎えてくれ、例の馬のところに案内してくれる。
「ナハトは、殿下方と同じ年に生まれた馬なんです」
馬の寿命って確か三十年ほどだったはず。僕らと同じ歳って言うと十五歳だから、人間に換算すると六十、四ぐらいかな?
「へ~、じゃぁもう結構なお年なんだ? それなのに騎乗しようとすると暴れるの?」
「そうですね。年齢を重ねれば、だいぶ落ち着いてくるものが多いのですが、ナハトはなんというか、説明に困る馬です」
馬……ナハトが放牧されている場所に連れていかれると、一頭だけ離れてもしゃもしゃと草を食んでいる黒鹿毛の馬を見つける。
「おーい、ナハト~。会いにきたよ~」
遠くにいるナハトに呼びかけると、耳を立て、顔を上げる。
「ナハトー」
手を振ってもう一度呼びかけたら、ナハトは速歩でこちらに寄ってきて、ブルルルと鳴く。
「相変わらず綺麗な毛並みだなぁ。お日様の光で艶々してるじゃないか」
頭を下げてくれるナハトの顔を撫でる。
「君、人間を騎乗させないんだって? 人を乗せたくない何かあったの?」
よしよしと額から鼻にかけて何度も撫でながら訊ねるも、ナハトはブルルと鳴くだけだ。お馬さんだもんね。人の言葉が喋れるわけではないのは分かってる。でもなんか文句を言われた感じがした。
「どうしたらまた人を騎乗させてくれるの? 果物たくさん上げたら乗せてくれる? そうだ、今度フルフトバールの果物持ってきてあげるね。うちの葡萄は美味しいよ」
気性が荒いって言ってたけど、そんな感じしないんだよなぁ。
「そう言えばナハトって、牡馬? 牝馬? どっち?」
「牝馬です」
「女の子かぁ。もしかして男の人騎乗させて、その時扱いが悪かったから、女性しか乗せたくないってやつじゃない? あ、でも最後に乗ったのって僕だっけ? 僕の乗り方が悪かった?」
すると後ろ脚をドンと地面にたたきつける。
「え~? やっぱり僕のせい? 機嫌直してよ~」
「いえ、殿下。ナハトは殿下に乗ってほしいのだと思います」
「……そうなの?」
思わずナハトに声を掛けて聞いてしまう。
するとナハトは、ブルルルと鳴いて顔を押し付けてきた。
「じゃぁ、今日、僕のこと乗せてくれる?」
いいよと答えるように、ナハトはまたブルルと鳴く。
僕も王宮で管理している馬で乗馬するようになったから、最初に乗った頃よりもずいぶん上達したと思う。
気が済むまで走らせて、もう飽きた、走らんという雰囲気を出すようになったので、厩に戻ることにした。
「ナハト、今日はご機嫌だな」
ナハトの担当の馬丁なのかな? 年配の男性に声を掛けられて、ヒヒーンとナハトが声を上げて鳴く。
僕が鞍上から降りると、馬丁が鞍と鐙それから馬銜を外す。
「ナハトの機嫌がわかるの?」
「はい、こいつが生まれた時に立ち会ってから、ずっと世話を任されているのでね。大体の機嫌は分かりますよ」
「へ~。ナハトって小さい頃から、綺麗な馬だった?」
「そうですねぇ、産まれたときは少し青みがかった毛色をしていたんですよ。てっきり青毛か青鹿毛になると思ったんですがね」
「馬って毛色変わる?」
「えぇ、葦毛は年を取ると真っ白になりますよ」
あ、それは聞いたことがある。
年配の馬丁さんに手入れをされるナハトを見ていると、ループレヒト男爵に声を掛けられる。
「殿下、ナハトの乗り心地はいかがでしたか?」
「うん、いいね。この子気性が荒いって言うよりも、気難しやさんなんじゃないかな? きっと乗せる相手に拘りがあるんだよ」
「そうでしょうか? 他の馬ともあまり仲良くしないんですが……」
「ボス気質もあるんだよ。格下が舐めるなって立場をわからせてるんだと思うよ? 人に対してだって、こうやっておとなしいじゃない?」
「いえ、ナハトの世話ができるのは、この馬丁だけなんです。この者以外が世話をしようとすると蹴ろうとしたり、噛みついてくるんですよ」
「え? そうなの?」
馬って頭がいいから、誰かがナハトの前で、この馬丁さんのことをバカにしたか、何かしたんじゃないかなぁ?
前世の競走馬の話なんだけど、人間の言葉が理解できるんじゃないかってぐらい、めちゃくちゃ頭のいい葦毛のお馬さんがいたんだよね。我儘っていうか気位が高いのか、人間を揶揄って遊んでる感じのお馬さんだったみたい。
ある日調教師が騎手と厩務員をそのお馬さんの前で叱りつけて、それで庇うようにお馬さんが吠えたって逸話があるんだよ。騎手と厩務員が、こいついつもやんちゃばかりして困らせるけど良いやつじゃないかって思ったらしいんだけど、でも叱られた理由がお馬さんだったっていうオチでさ。
そういう話を聞くと、馬だからってバカにできないんだよ。馬だけに。
このナハトも、あの馬のように頭のいい馬だと思う。
だってこんなに大人しく、手入れさせてるんだもの。この馬丁のこと大好きなんだよ。
「殿下、もしナハトを気に入っていただけたのでしたら、献上させてください」
ループレヒト男爵の言葉に僕は素直に喜べなかった。
それは、どーなのかなぁ? 厄介者を僕に押し付けようとしていないか?
いや、僕にとってナハトは良い馬だし厄介じゃないけれど、ループレヒト男爵にとっては扱いにくい馬だから、使い物にならないなら手放したいって思ってないか?
どういう意図でそんなことを言い出したか知らないけれど、僕はナハトを見ながら返事をした。
「ナハトを僕にくれるなら、その馬丁さんも一緒にちょうだい」
「え?!」
僕の言葉にループレヒト男爵は驚いた声を出す。
「馬丁さん、お名前は?」
僕らの話が聞こえていたのか、馬丁さんはナハトにブラッシングしている手を止めて僕を見ていた。
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