第9話 魔法の呪文

 国王陛下への失望を吐露したイジーは、さらに言いつのる。

「兄上はきっと、父上が何もせずご自分が規定通り国王になったとしても、俺の子供が王位に就くまでの代理の王だと、そう仰ると思いますが、それでもきっと兄上は、ご自分が王である期間に、ラーヴェ王国の土台を盤石になさったはずです。父上はその機会を奪った」

「いや、それはあくまでも仮定でしょう? 本当にそうなるかわからないよ?」

「いいえ、誰だって同じように思う筈です。父上の所業を知っている者たちは、皆、俺よりも兄上が王であればよかったのにと思っています」

「イジー……、そんなこと言わないでよ」

 押し付けた僕がこんなこと言うのも変な話だろうけれど、その言い方はないよ。

 イジーにはイジーの良いところがある。

 派手派手しく改革するだけが、良い王じゃないよ?

 危うい現状を悪いほうに傾けずに、少しずつ確実に堅実に回復していく。これはきっとイジーでなきゃできない方法だ。

 一気に情勢をひっくり返せば、いろんなところで弊害が出てくる。特に周辺諸国に警戒される。それをイジーなら気づかせないようにやっていけるはずだ。

 イジーの強みは、根強い観察力と忍耐強さだと、僕は思っている。

 少しずつ変わっていくのは、時には市井からの不満が出てくるかもしれない。でも、未来を守るのは、辛抱強く守る方法だ。


「俺は、本当に、王になれますか?」


 ごめんね。

 辛いことを押し付けて、しなくてもよかったことを押し付けて。

 不安だよね? どうしたらいいのかって思ってるよね?

 でもね、それでも……。

「なに言ってるんだよ。イジー以外に誰が王様になれるっていうのかな? イジーは立派な王になれるよ。僕が言うんだから間違いない」

「でも……、自信がないです」

 そう言ってイジーは俯いてしまう。

「自信なんてなくていいんだよ。皆にはね、俺は自信満々ですっていうフリをしてればいいんだ。文句を言う奴は、何をしても気に入らないって文句を言うし、じゃぁ自分でやれって言い返せば、それは自分のすることじゃない。王がすることだって言い逃げるんだ。そんな無責任な言葉にいちいち耳を傾ける必要はない。イジーは自分を支えてくれる人たちを信じて、自分の行く道を悩みながらでも進んでいけばいいんだよ」

 こんなこと言っても、イジーはきっと、ずっとこのことを引きずるだろう。

 どうして自分が王になってしまったんだと、もっと適任者がいたんじゃないかと、そんなふうに、心のしこりにするだろう。

「俺、怖いです」

 まぁそうだよね。

 国民の命を背負うんだから、そりゃぁ怖いだろうさ。

 それでも、もう周囲は、イジーが王になるための舵をきってしまっている。

 国議に出ている貴族や大臣たちは、次代の王をイジーに決めて準備してるのだ。

「なにが怖い?」

「……父上みたいなことをするんじゃないかって」

「アレはちょっと特殊っていうかさぁ。僕はあんなことをイジーがするとは思えないけれど、でも、もし、イジーが人道に背くようなことを誰かにしようとしたら、その時は、僕とそれからテオが全力で止めるから安心していいよ」

「テオ……」

「テオは僕らの親友でしょう?」

「はい」

「間違うことを恐れちゃだめだよ。人間なんだから、そりゃぁ間違うことだってあるよ。大事なのは、その次をどうするかってことだ」

 大丈夫。イジーは、間違ったって、すぐ反省するし、どう贖えばいいのかちゃんと考えられる子だ。

 テオのことだって、最初はなんだかライバル意識を持ってたみたいだけど、ちゃんと仲良くなれたじゃないか。

「ねぇ、イジー」

 僕の呼びかけに、イジーはのろのろと顔を上げる。

「不安でどうしようもなくなった時の、魔法の呪文を教えるよ」

「魔法、ですか? 魔術じゃなくって?」

「僕がイジーに教える呪文は、難しい法則式で整えられたものでも、長々しく詠唱を唱えるものでもない。だけどこれは、イジーだけにしか使えないんだ」

「俺だけ?」

「うん、イジーだけにしか使えない、とっておきの呪文」

 きっとイジーが一人じゃないって思える呪文だよ。

「イジーの心が折れて、自分ではどうしようもできないと思ったときに、たった一言ですむ簡単な呪文だ」

「一言、ですか?」


「うん。『お兄ちゃん助けて』って、言ってよ」


 イジーは目を大きく見開いて、僕を見つめた。

 あぁ、そう言えば、昔もそんなふうに僕のこと見ていたね?

 あの頃に比べたら、僕ら随分と仲良くなったよね? ちょっとは兄弟っぽくなったと思わない? 僕は聞き分けが良すぎるイジーが心配だよ。弟なんだから、たまには甘えていいんだからね。

「そうしたら、何処にいても、イジーを助けに駆け付けるから」

 母親が違ったって、イジーは僕のたった一人の弟だもの。

 イジーが悩んで苦しんで、辛い思いをしているなら、兄である僕が、助けに行くに決まってるじゃないか。

 大人になって、僕が王籍から抜けたって、イジーは僕の弟なんだからね。

 死ぬまでイジーは僕の大切な弟なんだよ。

「僕が、イジーを必ず助けにいくよ」

 僕がそう言うと、イジーは再び俯いて、袖口をぐっと目元をこする。

「目にゴミが入った?」

「はい」

 返事をした声が震えていたことは、気が付かないふりをした。

「それじゃぁ仕方がない」

 鼻をすする音も、押し殺した嗚咽も、聞こえないよ。


 しばらくして、目も鼻も赤くしたイジーが言った。

「兄上。俺は兄上の弟であることに恥じない王になると誓います」

 そんなふうに言ってもらえるほど、立派な人間じゃないんだけどなぁ。

 でもここで、そんなことを言うのは無粋だよねぇ。

 だから僕はイジーにエールを送る。

「イジーは今でも充分、僕の自慢の弟だよ」

 感情が表情に出にくいイジーが、照れながら笑顔を見せてくれた。




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