第32話 それは略奪女の常套句じゃなかろうか?
「えーっと、まずはお名前を訊こうかな? あ、僕はアルベルトだよ」
「あ、あの、そ、その」
うん、この態度は、僕が誰だか知っているのだろう。
「パウル・フィッシャー伯爵令息です」
本人の代わりに答えたのは、リュディガーだった。そして名前を言い当てられたフィッシャーも驚いた顔で、リュディガーを見ている。
「なにがあったのか、おれたちの視点での話になりますがご説明します」
イジーたちがセリフの合わせや演技、衣装や小道具の準備をしている最中に、フィッシャーがいきなり教室にやってきて、女生徒に怒鳴りつけたのだと言う。
「怒鳴りつけられたのは、アンジェリカ・ブルーメ伯爵令嬢です」
あ、もしかして、あそこにいたのが、例のドアマットヒロイン?
「一方的な罵りでした」
「の、罵ったとか、そんなんじゃなくって、注意しに行っただけで」
沈痛な面持ちでリュディガーが付け足した言葉に、フィッシャーはごにょごにょと小さな声で言い訳をする。
「んー、君の認識では注意だったかもしれないけど、リュディガーが罵ったって捉えちゃうぐらいの口調だったんだよね? イジーたちは注意してるように聞こえた?」
「注意って感じじゃなかったです」
「思いっきり怒鳴ってましたね」
「だっ、そ、それはっ、アンジェリカがミュルテに酷いことを言ったから!」
あ、やっぱり怒鳴って罵ったんだ。
「ミュルテって誰?」
「お、幼馴染みです」
「幼馴染みは、君の幼馴染み? それともブルーメ嬢の幼馴染み?」
「お、俺の幼馴染みです」
キナ臭くなってきたなぁ。
そしてこういった話では、いの一番に突っ込むだろうテオは、さっきのことで怒っているのか一向に口を挟むことはなく、お弁当を食べながらひたすら台本に目を通している。
「んーつまり、君は自分の幼馴染みに、婚約者が酷いことを言ったから怒って注意しに行ったってことなんだね」
「は、はい」
「君の幼馴染みは君の婚約者からどんな酷いことを言われたのかな?」
この手の酷いこと言われたって話は、大体は距離感がおかしいだろうっていう苦言なんだと思うんだけどなぁ。違うのかな? でも僕らはフィッシャーの幼馴染みがブルーメ嬢に、どんなことを言ったか知らんしな。そしてそれが事実なのかも不明だし。
「婚約者は自分なのだから近づくなと」
「当り前のことでは?」
スパンと言い切ったのはクルトだった。
「まぁまぁ、クルト。確かにそれはそうなんだけど、僕らは彼らの距離感がどれほどのものか知らないからね」
自分で言ってて白々しいとは思う。けど、フィッシャーと幼馴染みの距離感を知らないのは事実だし。
「い、嫌がらせも、されてると……」
「どんな?」
「教科書やノートを破かれたり、物を壊されたり、隠されたり……」
ヒロインが悪役令嬢に冤罪をかけるものとおなじ、ベッタベタな内容だな!!
どうなんだろうね? ここで証拠は? といっても、無駄な気がする。なぜなら、フィッシャーは付き合いの長い幼馴染みに心情が傾いてるから。
「……それは、本当にブルーメ嬢がやったことなのか?」
どう切り出そうかと思っていたら、ずっと黙って話を聞いていたイジーが、珍しく口を挟んできた。
ちょ、え? イジー、ブルーメ嬢のこと気になってるの、マジなん? どういう意味で気になってるの? 恋? 恋なのか? ちょっとおにーちゃん、イジーにざまぁフラグが立つんじゃないかって、心臓がバクバクしてるんですけど?
「イジー、どうしたの? 何か、今の話でおかしなことでもあった?」
「兄上、ブルーメ嬢は俺たちと同じクラスの女生徒ですが」
「うん、さっきリュディガーが言ってたね?」
「彼が言っていたようなことをする人物像とはかけ離れているのです」
「ん?」
「誰かに酷いこと言ったり、私物を壊したり、そういう……、誰かに悪意がある嫌がらせをする人物には、見えません」
イジーは自分が見てきたものを確認しながら、ゆっくりと説明しはじめる。
「ブルーメ嬢はいつも一人でいます。声を掛けてくる相手にも、うまく言葉を返すことが出来ません。返事が出来ないから黙ってしまう。あれは……、誰かとあまり会話をしたことがないからではないでしょうか? そう言った人物が自分から誰かに何かを言うのは、本当に必要に迫られた内容、告げなければいけない話だと思うんです」
あ、そういう……。確かに、そうかも。
「それから彼女が教科書やノートを破ったり、私物を壊すと言いましたが……、彼女は物をすごく大事に扱っています。本当に汚れ一つつかないように、教科書にカバーをかけたり、使い古したボロボロの筆記用具を大事に使ってるんです。物の大切さを知っている人だと思うのですが、そんな人が、他人の物を壊したりするでしょうか?」
イジー、ごめーん!! おにーちゃん誤解してた!!
君がドアマットヒロインにぐらぐらしてるのかもって邪推してた!! 違った! そうじゃなかった!!
イジーはきっと、周囲とうまく馴染めていない彼女が気になったんだろう。なんで気になったのかはわからんけど、もしかしたら昔の自分と重なったのかも。イジーも昔は自分から発言する子ではなかったもんね。
テオを抜かした全員の視線が、フィッシャーに向けられる。
「まずさ、これをはっきりさせたほうがいいんじゃない? フィッシャーの幼馴染みが、ブルーメ嬢に酷いことを言われたってやつね?」
僕だけではなく、ネーベルもクルトもリュディガーも、フィッシャーの幼馴染みが言ってることは、うそくせーなーとは思ってるけどさ、いかんせんその幼馴染みに会ったことがないから、嘘だって言い切ることができないよね。
でもその幼馴染みの言うことって、略奪女の常套句じゃねーかなとは思うんだよ。
フィッシャーを見ると、幼馴染みの言葉を信じてイジーたちのクラスに乗り込んでいった割には、僕らの話に自分の思いが揺らいでいるように見えた。
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