第二章 十八節

北部から東部に軍を動かした一日目の夜だった。


ロレインのテントにエン爺が入って来た。




「何の用だ?エン爺」




「少し気になりましてな、最近利き手を意識して避けてますね」




エン爺が細い目を開けてロレインに聞く。


これは誤魔化しても面倒くさいな、とロレインは思う。




「ああ、もう長くねぇな。自由に動けなくなるのも」




溜息混じりにロレインは机に脚をかける。




「ステラさんの病ですね……」




「ああ」




震える左手をランプに照らして、愛おしそうに見るロレイン。


それをエン爺は知っている。


家の庭で、春花を嗅ぐ彼女を眺めていた彼だ。




「そこにいるのですね、彼女が」




「……いる訳ねぇだろ馬鹿が、これはアイツがくれた、たった一つの贈り物だ。アイツはとっくに旅立って、何処かで幸せにやってんだろ」




「ふっふっふ」




彼女の幸せを願っているのですね




「何だよ」




「何でもありません」




いつも通り、エン爺はそうやって有耶無耶にする。


エン爺は何か満足してテントを出て行く、ロレインは何度も読んだボロボロの古本を開く。




昔昔、世界が一つだった頃。


国の偉い人は悪い人だった。


そこに一人の勇者が立ち上がり、悪い人達を倒した。


悪い人達に閉じ込められていたお姫様と勇者は出会い、彼女を救い出したのです。


でも悪い人達が原因でお姫様は死んでしまうのでした。


怒った勇者は次から次へと湧く悪い人達を倒してまわりました。自身の怒りをぶつける様に……悪い人達を倒す勇者に国の皆は喜びました。


けれど倒しても、倒しても悪い人達は出てきます。


いつしか、悪い人達を倒して喜んでいた人を勇者は殺していました。


最後に悪い勇者は、国によって倒されたのでした。




「それ、いつも読んでいるよね。好きなの?」




「!!?」




バッ、と顔を上げる。


そこには彼女はいない、チリチリとランプの光に群がる小虫がいるだけだ。




幻聴か……




かつての記憶を思い出す。


俺はあの時、




「気に入らねーんだよ」




「ふーん、私は好きだけどね」




本を読む彼の後ろから彼女が手を回してくる。




「私は思うの。最後に勇者は、罪を償う為に国に処刑されたんじゃないかって。彼は死ぬ前に優しかった頃の勇者に戻ったのよ」




「フッ、弱かっただけだ。罪でもない。悪い奴は悪い奴と殺し続ければ良かったんだ」




「フフッ、貴方の様な優しい人が隣にいたら彼も救われたのかもね」




かつての温もりに浸りながら、ロレインは目を閉じた。








彼の名を呼ぶ声が薄っすらと聞こえてくる。


隣では、愛した者に似て非なる者がいた。そこに悪魔が近づいて来る。




「団長おおおぉぉぉ―!!!」




「若アアアァァァー!!!」




すぐそこまでヤギの怪物は迫っている。


歩兵の壁はいとも簡単に突破され、続々と正気を失った敵兵がなだれ込んでいた。




「シュラ、此処はお前に任せる」




「了解、どうするので?」




「フッ、追いかけっこだ……」




ロレインは鼻で笑って、隊を動かした。


主に弓兵を騎馬に乗った弓兵でサラを追うヤギの怪物を討とうと考えたのである。




「あの馬鹿が!!!」




その様子を外で見ていたセロ将軍は、怒りで座っていた椅子を叩き壊した。




「ヴオオオオオオオオオオーー!!!」




「撃て、良い的だ……」




流石のヤギの怪物でも馬の脚には、敵わず矢の集中砲火を浴びた。


隣にいるサラは黙って目を背けている。


動きが鈍って来たヤギの怪物に、ロレインは馬の足を止める。




「別れでも言うか?」




「……」




血を大量に流しながらもヤギの怪物は、膝を地面に付けなかった。


サラが馬を降りて近づく。




「団長……いいのですか?」




「矢を構えとけ」




「ハッ」




ヤギの怪物の顔にサラが手を伸ばす。


怪物は持っていた斧を降ろして、その小さな手を掴んだ。




「サ、ラ……だい、じょう…ぶ?」




「うん、ありがとうね。ここまで来てくれて」




グランデルニア大国にいた時、サラは物として扱われていた。


グランデルニアの繁栄を願わされる日々、礼拝堂で願いを祈ったら冷たい石の部屋へ帰る。少女にとってそこは監獄だった。


そんなある日、一人の小年と出会うのだった。


彼は強靭な兵士を作る為の実験として連れてこられた、とある部族の子だ。




彼とはグランデルニア王の居城で度々顔を合わせた。


会う度に大きくなる少年、サラは不思議に思って彼のいる部屋にコッソリと会いにいった。




ムシャリ、ベチャリ、クチャクチャ




と、部屋の中で少年は狂った様に色々なキノコを食べていた。


部屋を開けたサラにも気づかずに




「ダメじゃないか☆、勝手に入っちゃー♡」




部屋の隅から声が聞こえて振り返る。


そこには、道化師の恰好をした男が座っていた。




「気になるかい?彼は巨人族の子なのさ♤、といっても真実は病気だけどね♢」




「巨人が病気?」




「そうさ☆、初めて会った時彼は普通だったろ?」




「ねぇ、じゃああの子を直してあげて」




自身の服の裾を引っ張ってサラは懇願する。




「うーん、何故だい?」




「えっ……」




「君には治す力があるだろう?」




道化師はいつの間にか目の前にいて、化粧を施した白い顔を近づけウィンクする。




「でも☆可哀想だからやめたまえ♡彼らは、巨人族。仲間外れは可哀想だろ?」




ふざけた顔をして、タップダンスを踊り始める男は誰よりもサラの目に狂って見えた。






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