第二章 十四節
この年の春は、ロレインの心を今も焦がしている。
庭に咲き乱れる花の匂いをステラが嗅いで回っていた。
その様子を本の手を止めてロレインは眺めている。
眩しい黄色い花を咲かせる菜の花、鮮やかな青色のネモフィラは彼女に良く似合う。
そこに、紅茶と茶菓子を持ってエン爺が来る。
「最近は、読むペースが遅いですね?」
「フッ、うるせぇ奴が増えたからな」
ふっふっふ、とエン爺は笑って話をうやむやにする。
「それと、先程伝書烏が来ました」
「内容は?」
「招集ではなく、キュネさん達からでしたよ。鎧武器など全員揃った様です」
「りょーかい」
伝書烏が幸せな空間に影を射すような、陰気な鳴き声を上げた。
風呂場でステラに背中を洗ってもらいながらロレインはふと昼間の事を思い出した。
そろそろ春が終わる。
この前に出陣した時、大きな桜の木が並んだ場所があった。
「なぁ、桜が並ぶ場所があるんだが行くか?」
ステラはそれが余りにもロレインに似合わない言葉の為、背を流そうとしたお湯を誤って頭にかけてしまった。
ポタポタと白い髪から水滴を垂らしてロレインが振り返る。
「……具合、悪いのか?」
真剣に自分を心配するロレインがいる。
ロレインは濡れた手を伸ばし、ステラの頬に付いた泡を拭った。
ペチっとロレインの顔に手を当てる。
「なんだよ」
「元気よ、嬉しくて驚いただけ」
鼻に泡を付けたロレインに、ステラは意地悪そうに笑う。
ガシャガシャと物騒な音を奏でてロレインの家に武装した小隊が集まっていた。
先頭を行くのは馬に乗ったキュネだ。
キュネ達は、自分達も戦えるよう武器を集めロレインの指示を待っていた。が、いくら待っても返事が無かったのでロレインの家までやって来たのだった。
玄関からエン爺が出迎える。
「エン爺!!いるなら返事を送れ!!それとも何かあったのか!?」
馬から飛び降りて玄関に向かうキュネ。
「何も、ただ一人急患が入りまして」
「急患って……」
玄関の窓から部屋の中が見える。
中では、ロレインが古い本を1人の女に読んで聞かせていた。
そこにあったのは、キュネが今までに見たことの無いロレインの顔だった。
「……帰る」
「え、良いのですか?今来たばかりですのに」
「何かあったら伝えてくれ」
キュネは、瞼に今にも落ちそうな涙を溜めていた。
「分かりました。またお越しください」
「ああ……帰るぞお前等!!!」
キュネはそれからとんぼ返りして首都へと帰って行った。
「ん?帰ったのかキュネの奴」
ステラに膝枕をしながらロレインが玄関を閉めるエン爺に言う。
「ええ、急用を思い出したそうです」
エン爺は、キュネの悲恋を思いながらも二人の愛を尊重した。
桜が散り始めた頃、キュネは具合があまりすぐれない様だった。
ロレインとエン爺は、出来うる限りの治療を調べ試みていたが、どれも効果は薄かった。
「どうする?今丁度、零れ桜で綺麗みたいだぞ」
ベッドで横になるキュネに声をかける。
「行きたいけれど、今日に限って足が痺れて上手く歩けそうにないわ」
何だそんな事か、とロレインはベッドに腰をかけて背中を向ける。
「ほら、おぶってやるよ。行くぞ」
「えっ、でも」
キュネの手を引いてロレインは軽々と彼女をおぶった。
外では満開の桜の花びらがヒラヒラと散っていた。
今朝降った天気雨の水溜りに、花筏が浮かび風に吹かれていく。
「これが最期になるのかな……」
散り去る桜と同じ様に、ステラも後一年と寿命が無い。
ロレインがステラを背負い直す。
「うわっと」
「そう気を落とすな、桜なんかより綺麗な物いくらでも見せてやる。それに、嫌って程ずっといてやるよ」
「……どうしたの?いつにもなく優しいのね」
背中にキュネが密着してくる。
耳元で囁く声がロレインをくすぐった。
「俺が優しい?ハハッ、そんな事初めて言われたぜ」
「あら、本気よ。貴方は、口は悪いけれどいつも私を大切にしてくれている。それがとても嬉しいの、愛しているわロレイン」
「は?」
ロレインが振り向いた時、その頬にキュネがキスをした。
「ふふ、今は恥ずかしいから振り向かないで」
「自分勝手な奴だ」
彼女の告白は、彼を変えていく。
彼は優しさなんて甘えでしかないと思っていた。
誰からも愛を注がれなかった彼は、知らず知らずのうち優しさを知らなかった彼女に優しさを教えた。
それは自分に優しさを教えるかのように、見返りを求めるかのように。
その優しさを知った彼女は彼に愛を注いだ。
彼は理解した。
初めて彼女を見た時、何故無性に怒りが湧いたのか。
彼女に最も憎いと思う人間を殺すか、と聞いて断られた時、何故ムカついたのか。
それは、自分と同じだったからだ。自分と同じ、人から捨てられた苦しみを抱いていたからだ。
彼女は強い心の持ち主だ。
限られた命でも涙を見せず、毎日明るく生きている。
そんな彼女が不遇な事に、彼は無性に腹が立って仕方が無かったんだ。
何で今分かったのだろうか、毎日彼女を見ているからか?
いや、何故か俺は彼女から目が離せないんだ
二人が桜並木を行く、心に愛の花を咲かせて
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