幕間②
──深い深い霧の中。
ひとりの退魔師が、森の奥へと足を進めていた。ここ数日、夜になると鳥の声が不気味に響き渡るとの報告があり、同時に、近隣の街の住人の多くが体調不良を訴えていた。
それだけならば退魔師の案件ではなかった。しかし、森に一番近い邸の住人が一家総出で首をくくったことを皮切りに、同様の被害が街に広がり始めていた。
「まいったなぁ……」
退魔師は、思わずそうひとりごちた。
森の中に入ってからというもの、鳥の声は全く聞こえず、その姿も見えない。時間が経つごとに霧は徐々に濃くなり、足元すら覚束ない始末だった。
妖の気配もなく、一度足を止めて今後の行動を思案する。出直すか、この場に留まるか。
「……ぅあ、だれかたすけて……っ」
その時──ぐずぐすと泣きじゃくる少女の掠れた声が耳に届いた。
慌てて周囲を見回せば、大木の根元に子どもがひとり、座り込んでいた。うつむいて、小さな両手で目元を拭っている。痛ましい姿だが、すぐに駆け寄ることはせずに周辺の気配を探る。
こちらの油断を誘うために妖が人間に化けるのはよくあることだ。
(……うん、妖の気配はない)
退魔師は、早足で少女の元へ駆け寄った。
親とはぐれ迷い込んでしまったのだろうか、少女の艶やかな緋色の着物や長い黒髪をは、すっかり土で汚れてしまっている。
「もう大丈夫。一緒に帰ろう?」
膝をつき、怯える少女に目線を合わせる。涙を浮かべたまま顔を上げた少女は随分と愛らしい顔立ちのまま──
「よかった。女の退魔師か」
そう、呟いた。
「え?」
「男の霊力はまずくてかなわないから」
言葉の意味を理解するより先に、少女の腕が退魔師の首に回った。そのまま、唇が重ねられる。
「っ……!」
驚きに動きを止めたのは一瞬で、見た目よりも力の強い少女の腕を強引に振りほどき、瞬時に距離を取った。身体にうまく力が入らず、霊力を奪われたことを知る。
「何、あなたいったい……!?」
退魔師は、そして気づく。
森は古来より、人ではなく妖の領域だ。そんな場所で、妖の気配がただのひとつもないはずがない。
妖の気配がなかったのではない──周辺の空間を妖が埋めつくし、退魔師の正常な感覚を狂わせている。
その証拠に、耳が痛い程の鳥の羽ばたきがあちらこちらでしていた。これは霧ではない。無数の妖の集合体だ、森一体を覆う程の。
「──
肩に止まった小鳥を撫でてやりながら、少女は嗤った。
「鬼絵師だと……?」
鬼絵師? 聞いたことがない。戸惑いながらも腰に差した刀に伸ばした手は、鳥の啄みによって弾かれる。そのまま足元を掬われ、幾羽の鳥に地面に縫いつけられた。
「離せ……っ!」
「命を取るのは許してやろう」
身を屈め、退魔師の首もとに少女は顔を寄せた。
「退魔師仲間に触れ回れ。鬼絵師百夜の復活を」
あ、と少女は口を開けた。鋭い牙が覗き、足掻く退魔師の首筋に歯を立てた。
「──あぁああ!」
意識を失った退魔師に背を向けて、少女はゆっくりと歩き出した。
真白い月を見上げて、そして、血で汚れたその口元に笑みを刷く。
──すべては、たったひとつの願いを叶えるために。この歩みは、決して止めない。
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