第三章 人形師と鬼絵師(おにえし)の噺 桃の香りは六花に眠り、月解(つきど)けを待つ②

誰か──百夜びゃくやだろうか──に名前を呼ばれた気がして、つはハッと目を覚ました。辺りを見回すが、曇天のもと、緑の多い場所であることしかわからない。

 拓けた大木の中で、満つは首を傾けた。


(どこだ、ここ……?)


 満つは確か、自室で寝ていたはずだった。妖の自分が、まさか気づくことなく誰かに拐かされる訳もない。


「あぁ、満つさん、起きたんだ」

「っ、遊鷹ゆたか……? ここ、どこだ?」


 と、羽根をしまいながら遊鷹が顔を覗かせた。どこかを飛んでいたのだろうか、町で人として生きる遊鷹には、明るいうちは駄目だとあれ程言い含めていたのに。


「──俺ね、もう、あんたのこと待つのは止めた」

「え……?」


 にっこりと笑った遊鷹は満つの前でしゃがみ込むと、膝に肘をついて頬杖をしながら瞳を眇めた。細まった瞳孔が、満つを見つめる。


「もう、こっから出さない。俺も出ない──燈史郎とうしろうが、死ぬまで」


 その瞬間──枝葉が勢いよく伸びて、拓けていたはずの大木の口が閉じた。覗いていた曇り空が見えなくなり、遊鷹と満つだけがぽつんと取り残される。

 その様子を呆然と見ていた満つが、小さく息を飲んだ。


(ここは、遊鷹の霊域れいいきか……!)


 霊域、妖ならば誰しもが持っている自身だけの空間。遊鷹の霊域ならば遊鷹の許しがなければ入ることも出ることもかなわない。


「なに、何言って……」


 なぜ、遊鷹が突然こんな暴挙に出るのかがわからない。燈史郎を嫌ってはいても、それは本心ではないと満つは思っている。それに、遊鷹は満つを傷つけるような真似は──


つがい、解消する気だったんだろ……?」

「ッちが、」

「違う? じゃあこれはなんだよ!?」


 震える声が、耳朶を打った。反射的に否定するが、遊鷹が乱暴に満つの胸ぐらを掴んだ拍子に、懐に忍ばせていた酒の小瓶が転がり落ちる。とっさに目で追えば、肩を怒らせた遊鷹が小瓶を掴んで壁に叩きつけた。


「──解消なんて、させるかよ」

「ゆ、たか……」


 大木でできた狭い室内に、遊鷹の怒りを表すような強風が吹き荒ぶ。


        ◆◆◆


「燈史郎、先生、ゆたか、どこ……?」


 何が起こったのかも、今いるこの場所がどこなのかも理解出来ぬまま途方もなく歩いていた百夜は、川縁の草むらであるものを見つけ足を止めた。


「これって……」


 そこに横たわっていたのは──百夜、だった。

 眠っているのか、瞼を閉じてぴくりとも動かない少女は顔立ちも髪も、着物の色も百夜と全く同じ瓜二つであった。

 否、唯一一ヵ所だけ、違う部分がある。

 額の左右にある、小さな一対の角。本能でわかる、これは、鬼の証だ──。

 そっと角に触れた百夜は瞠目し、やがて震えながらその場にうずくまった。


「ああ、燈史郎、ごめんね……」


 両手で顔を覆いながら涙を流す百夜は──一体、何を思い出したのか。


        ***


──これで、全て終わった。

 人形から剣を引き抜いた燈史郎は、深く深く息を吐いた。

 結局、奉日本たかもと家から退魔の剣を盗むことが叶わず協力を仰ぐような形になってしまったが、復讐は無事に終えた。慶心を殺した憎き鬼絵師の魂は、これで滅した。

──と、その時。



──


「……っ!?」


 反射的に後ろへと飛びずさった燈史郎が、鋭く退魔の剣を構える。


「誰だ、お前は……!」

「私は東江あがりえ家歴代当主、東江寧々あがりえねね

「東江家当主……?」


 燈史郎には聞き馴染みのないその名に、反応を示したのは総司そうじだ。なぜか、隣にいる従者の女性へ気遣うような素振りをみせている。


(馬鹿な……この人形には百夜以外の魂なんて入れてないはずなのに……!)


 戸惑い動揺しているのは燈史郎も同様で、眉根を寄せて人形──寧々を睨みつけた。


「おい、燈史郎。どうなっている」

「知らないよ、僕に聞かないで」


 つっけんどんに言い放った燈史郎は退魔の剣を片手で持ったまま、手甲から鋭く糸を伸ばした。首に巻かれた糸に焦ることなく、糸を指で弄びながら寧々はくすくすと笑った。


「何がおかしい」

「ひとつ、昔話をしてあげる」

「は?」


 怪訝そうな顔をした燈史郎に構うことなく、寧々は首に糸を巻き座り込んだまま、『昔話』を始めた。その姿はまるで、操り人形の如く。


「──それまで飼っていた鬼絵師おにえしが死んでしまって、私は野山で新しく、ようやっと幼い鬼絵師を見つけました。顔の可愛い鬼絵師は、すぐに私のお気に入りになります。けれど、その鬼絵師は欠陥品。なんとあやかしが見えないというのです!」


「困った私は色々なことを試して、鬼絵師の目に妖の血を塗りたくれば見えるらしいことに気づきました。それからは、平穏の日々。一度だけ逃げられてしまったけれど、なぜかまだ近くにいた鬼絵師を無事に保護し、二度と外には出しません」


「──私は、ずっとずぅっと現当主です。何百年も、ずっと。それは、身体を定期的に変えているから可能なこと。あの日は一路を、そう、東江家の出自でありながら奉日本慶心けいしんの女に成り下がった一路いちろを私の新しい身体にしようとしていました」


「その素晴らしい日を絵に残してもらおうと、私は鬼絵師も連れていきました。一路の身体から一路の魂を追い出して私が入る大切な儀式の途中で──憎き奉日本慶心が来たのです」


「あの馬鹿男、ふふ失礼、奉日本慶心は我が一族を皆殺しにし、私の命すら屠ろうとしました。私は一路の身体でその場を離れようとしましたが──奉日本慶心は地獄を開き、その場の全てを飲み込もうとしました。そこに来たのがあなた! 燈史郎くん!」


 突然名指しされ、燈史郎の肩が跳ねた。


「僕……?」


 寧々の言葉に、何ひとつついていけない。観客を置き去りにして、昔話を語る寧々の言葉は徐々に早くなり熱がこもっていく。


「燈史郎くんが飛び込んできたから、あの男、一瞬揺らいだ。それに燈史郎くんはあの場にいた妖を鬼絵師だけだと勘違いした。だからとっさに鬼絵師の魂を守ったね? 復讐しようと。あの一瞬でその判断ができるのはすごいよ! 大好き! 私はとっさに鬼絵師の魂に同化した。だからあの時地獄に落ちたのは奉日本慶心と可哀想に、巻き込まれた一路と鬼絵師の身体だけ。あぁ、あと私の古い身体ね」


──確かに燈史郎はあの時あの場所で、地獄に落ちる慶心と一路を見た。そして、小さな角を生やした妖の少女を。

慶心と一路は地獄の淵に落ちすぎていてすでに間に合わず、だから妖の魂を保護した。絶対に死なせないと思った。自分の手で殺してやりたくて。

 人形の器を与えた時、記憶がないのなら好都合だと思った。逃げられる心配もない。幸福ばかりを与えて、絶望の底に落としてやる。

 途中、少しばかり情に絆されかけてしまったけど、無事に復讐をやり遂げたと思ったのに。

 今の、寧々の話が事実であるなら、燈史郎はとんでもない間違いを犯したことになる。


「──うそだ」

「嘘じゃないよぉ」

「あの子、百夜が鬼なら、桃は嫌いなはずだろう!? あの子は好んで食べていた!」

「そんなの知らなーい。無理して食べてたんじゃないの? うちの屋敷にいた時は、庭の桃を嫌っていたけど?」


 鬼は桃を毛嫌いするというが、そんなもの個体差もあるだろう。百夜に記憶はなかったのだし、身体は人形だ。桃を受け付けたって決しておかしくはない。だだ、何かしら反論をしたかっただけだ。


「あの子の着方は苦しいわ」


 寧々が、帯を調整して襟を緩くする。両肩をはだけさせたその姿は、確かに外見は百夜なのに百夜にはない婀娜があった。吐き気がする。

──燈史郎は、百夜が退魔師を襲う現場を見ていた。だから、記憶を取り戻してまた人を襲い始めたのだと思った、のに。あの晩に見たのは、百夜じゃない。この女だ。


(百夜は、ただ巻き込まれただけの妖……?)

(何の罪もない百夜に、僕は、何をした……?)

(退魔の剣で、刺した。魂は消滅する。もうどこにも、残って、ない……)


 震える燈史郎の鼓膜を、寧々の高い声が打つ。


「鬼絵師百夜の魂は滅した!」

「っ!」

「奉日本燈史郎が退魔の剣をこの胸に突き刺した!」

「やめろ……!」


 耳を塞ぎ両膝をついた燈史郎の元まで来た寧々は、優しく燈史郎の頭を抱きしめた。


「燈史郎くんは、人も妖も嫌いでしょ?」

「……そ、んな、こと……は、」

「嘘。人は、燈史郎くんを妖だって、化け物だって責めるでしょう? 妖は、人の癖にって言うよね。助けてあげてるのに」

「……」


 先とは打って変わって、囁くような小さな声は、燈史郎の胸に静かに広がっていく。


「燈史郎、聞くな!」


 怒号とともに総司が投げた鎖鎌は寧々が放った小鳥の大群に御され、威力を失う。

──邪魔をするな。

 燈史郎の髪を撫でながら、目線だけで総司を威圧する寧々は──確かに、長く当主をしているだけの実力があった。先の昔話の時も、何かの呪いの類いか、一歩も動けずに。


「──かわいそうな燈史郎くん。あの烏天狗だって、結局は自分の番いを選ぶよ。だから今、ここにはいない」

「……」

「ひとりぽっちになっちゃうね」


 こくんと、燈史郎が力なく頷いた。


『僕はひとだよ』

(魂は妖のそれだろう)


『……妖だと、言えば満足かい?』

(人のくせに、妖の味方面をするな)


『──じゃあ僕は、なんなんだろう。なんて、中途半端な』

 どちらにも属せない、つま弾き者。慶心がいなくなってから、ずっとつらかった。


「私だけ。私だけが、ずっと一緒にいてあげる」

「大好き」

「好きに触れていいよ」


 寧々が、燈史郎の手を握り自身の頬に触れさせる。片手で退魔の剣の柄を握るが──


『燈史郎、これ相合い傘ー?』

『燈史郎、虹の根っこには宝物があるんだって。さっき燈史郎、虹の根っこの方から歩いてきたの。ふふ、百夜の宝物、燈史郎と先生とゆたかだよ』

『燈史郎、あのね。百夜、燈史郎たちとずっと一緒にいたいな』


 ふっと、指先から力が抜ける。

(だめだ、……殺せない)

 わかっている、これは寧々が生き延びるためのやり方だ。身体を乗り換えて生きる術。わかっている、それでも。


「──殺せ、る、かよ……」

「ありがとう。燈史郎くん」


 絞り出すような悲痛な声を嗤った寧々は、ぐいと燈史郎の首に腕を回してその唇を重ねた。


「燈史郎!」


 通を守りながらも小鳥の猛攻をようやく制御した総司が、寧々を狙い鎖鎌で攻撃をしかけるが──


「……っ!」


 鎌を弾いたのは、燈史郎だった。腹に穴の空いた百夜の身体。これ以上は決して、傷つけさせない。

 寧々をきつく胸に抱いて、刀剣を構える。


「ぁは、ははは! 燈史郎くん、かーわいい!」


──本当はわかっている、わかっているんだ、これは百夜じゃない。

 百夜の笑顔じゃない。

 でも、ならこれは誰のせいだ。

 この状況は、誰のせいだ。

 僕、の、せい。


「あ、 ぁ、ああああ!!」


 燈史郎の身体から、ぶわりと黒い霧が溢れ始める。


「まずい……っ!」


 総司の焦りを含んだ声すら掻き消して──霧の中から、迷い出でるは百鬼夜行。

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