ようこそ、月夜の世界へ

 魁はそれはもう驚いた。心臓が九年間のわずかな人生の中で一番鼓動しているのが何よりの証拠だ。目の前にいる存在がもののけや妖怪の類に見えたからだ。慌てて、気だるげな体に鞭うって扉に突進する。そして、本殿から出ようとしたその時、

「まぁ、若いの落ち着きな。別に取って食うつもりはないさ」

その言葉にはもののけやハゲタカ野郎には決してないであろう温かみややさしさのようなものを感じた。そう、例えば俺を育ててくれたお雪のような……そうだ!お雪はどうなっただうか?今頃、屋敷で寝ていたら急に僕と英の二人の子を失って呆然自失としてるかもしれない……。お雪のことを考えていてもどうしようもない。彼女は僕よりもずっと心が強いから大丈夫だろう。そう言い聞かせて、声をかけてきた人と向き合う。白い肌で鼻が高いが確かに人間だ自分とさして変わらない。決して怪物などではなかった。

「南蛮人を見るのは初めてかね?坊や?」

その人は自分と向かい合うように扉とは反対側に座る。南蛮人?そう言えばお雪から聞いたことがある。なんでも、遠い海の先にある異国からきた人のことを言うだとか…ってことはこの人は遠い国から来た人なんだ。どおりで肌が白いわけだ。世界は広いのだなと思った。

「え、あっはい。初めてです。おじさ……すいません。お兄さんは何者なんですか?」

初対面の人にいきなりおじさんは失礼が過ぎると思い、お兄さんと言いなおす。

「ほう。どうやら礼儀はわきまえているらしい。その歳にしてはよくできている」

お兄さんは感心したようにあごひげをさする。

「だが、そこまでかしこまらんでもいい。わしも年寄りであることを理解できぬほど老いてはおらんよ。そうじゃなわしの名はオリバー・ノア」

と、お兄さん……オリバー・ノアはそう名乗った。

「僕は魁って言います。この今夜は一緒になるようなのでよろしくおねがいしますさん」

慣れない外国語の名前に思わず聞こえたままに名前を呼ぶ魁は手を差し伸べる。

「そうかそうか、カイよ。よろしくな」

そんな無礼をオリバーは気にせずに握手を交わす。


――グゥゥゥゥゥ


「今のは?」

「…………」

魁はお腹を押さえて顔を赤らめる。顔を俯き、視線をオリバーから外してしまう。魁は午後二時に昼食を食べてそれ以降何も口にしていなかったことと必死で雷雨の中を走り回ってきたこともあってか、空腹になってしまっていたのだ。

「ふふふ、歳のわりに大人びているとは思っていたが案外年相応に可愛いではないか。ほれ、食うか?」

そう言ってオリバーは懐から柿を取り出して、半分をこちらに差し出してきてくれた。まって?今あうりばさん素手で柿を半分にねじ切ったよね?どんな力してるんですか……オリバーを怒らせてはいけないと深く心に誓った魁であった。

「あ、ありがとうございます」

おずおすと魁は半分になった柿を受け取って一口かじる。小さな歯形がついた柿を眺めながらみずみずしくてシャキシャキとした舌ざわりと甘酸っぱい味を楽しむ。


 柿を食べ終わり、意地汚くも柿の汁の付いた右手を舐めまわす。

「そういえば、魁よ。お主はなぜこんな山奥まで来たのだ?人里からは遠すぎるし、ただの迷子ではあるまい?」

その言葉で魁は自分とオリバーさんが自己紹介の途中であったことを思い出した。

「実は……」

そこで魁はここまでのことをすべて正直に包み隠さず話した。作り話をしてもよかったのだが、嘘をつきたくはなかった。それは親切に食べ物を恵んでくれたオリバーを信用してのことであった。

「ふむ、さぞ苦労したでのあろうな、しかし、お主の話が本当なのであればその男は実の娘を殺めても心痛めぬほどに落ちていたのであろう?であるならば、遅かれ早かれ死んでいたであろうよ」

「僕は悪人だ」

オリバーの同情の言葉に自虐的な言葉を返す魁。

「……僕はいつか報いを受けることになるんだろう」

「そうじゃな、お主は奪うべきではなかった命を奪ったそれは許されぬ行いなのであろう。ならば、今ここでわしがお主を城の者の下に突き出してやってもいいのだぞ?」

オリバーのその言葉に魁は、一瞬考えこむような素振りをみせたが

「お断りします」

きっぱりと拒絶した。オリバーの青い瞳に映るその少年の姿は凛々しく罪を背負ってでも明日を生きようとする者の意思があった。魁の中には自信を庇って死んでいった英の光景が脳にこびりついていた。英の分まで生きなければならない。まだ死にたくない。もっと色んなことを見て、学んで、知りたい、もっと生きたい。そんな感情が魁の中を駆け巡って明日を願い進む勇気を与えていた。

「うむ、よろしい。罪を犯した者はその罪の重さを理解して初めて罪人となれる。魁よお主を角狩りの同志として歓迎しよう」

「角狩り?」

聞いたこともないような言葉に魁は首をかしげてしまう。

「あぁ、すまんな。この国でもそれなりに名が広まってきたと思いこんでいたわしの落ち度じゃ……」

オリバーは額に手を当てて申し訳なさそうにする。

「角狩りって何するの?動物の角でも売るの?」

「あぁ、まずはそこから説明しなければな、角狩りとは世界中をまたにかける一つの組織じゃ、各地に支部……まぁ仲間がおる」

「つまり、世界中にいる商人みたいなものってこと?」

あちこちの地方を渡り歩く商人のことを魁をイメージした。

「商人か、近いと言えば近いかの違いと言えば客に売るのは商品ではないとうことくらいか」

「何を売るの?」

魁はわくわくした面持ちでオリバーの言葉を待つ。

「魔物狩り、この国の言葉に合わせれば妖怪狩りじゃよ。角狩りとは人に仇をなす化け物専門の殺し屋のことよ、角狩りと呼ばれるのは退治した化け物の死体を持ってくるのが面倒じゃったから角だけ剝ぎ取って来て証拠として持ってきたことに由来しておる。


闇夜を生き、月夜の下、闇の使者の角を折る。それが我らよ」


その説明に心なしか魁は興奮した。まるで絵物語の英雄の話を聞かされているような気分だった。なにせ、話の中でしか聞いたことのなかった妖怪退治屋が目の前にいるのだから。

「僕みたいな人でもいいの?」

そんな強きをくじき弱きを助ける正義の組織に自分のような悪人が入っていいのか迷ってしまう魁。

「安心せい、角狩りは正義の組織などではない。ただ仕事で妖怪を倒すをしている事業を提供しているだけのことよ。報酬が無ければ魔物を狩ることもせぬし、仲間は死にやすい。やりがいはあるが危険も伴う世界よ。それゆえに腕が立つものであれば来るもの拒まず去る者追わずの精神でやっている」

そこまで言ってオリバーは立ち上がって魁の背後にある扉を開ける。大森林が広がる中、空の雨は心なしか弱まっているように感じられた。

「どこに行くの?」

「なに、まだ腹が空いておるじゃろ。わしが狩りをして肉を持って来てやろう。それまでに考えておけ、誘っておいてなんじゃが、お主は若い。今後の人生をすぐに決める必要はない。じっくりと悩んで後悔しない選択をしろ」

そう言ってオリバーは森の中に消えていった。

「そうそう、仕事の大先輩としての助言としてはこの仕事は非常に名誉なことだ。人を助けられたことで良心が満たされるし、魔物を倒した時の勝利の美酒はとても甘美なものだ。無論、リスクもあるがな。あぁ、それと最初の数ヵ月、下手をすれば数年は見習いから始まるから心しておいてくれよ」

そう言ってオリバーは立ち去っていった。一人取り残された魁はもんもんと悩む。こんな誘い人生で二度もあるとは思えない。きっと、この機会を逃せば僕は、いや、俺はきっと後悔する。最初に僕という一人称を直そう。妖怪と戦う戦士が「僕」なんて格好がつかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る