「お主の故郷では虫がごちそうなのか?」

  それは突然の出来事であった。城中のみなが唖然としてその場に立ち尽くしてしまうほどに……なぜなら、この城の主にして、一国の主である龍灯鷹宇治が娘である英姫の首根っこを掴み、引きずるように何処かへと足を進めているからである。

「う、上様……姫を連れてどちらに……?」

鷹宇治に何年も使えてきた老中である爺が勇気を持って鷹宇治に相対する。

「なに、鬼を退治に行くまでよ……」

その名の通り猛禽類の如く鋭い眼光から放たれる威圧にその場にいた鷹宇治の部下たちは恐れ慄いて道を開けて脇に座り込んでしまう。さながらその光景は大名行列のようであった。

「そ、そうですか……お、お気おつけて」

爺はただただその光景を見ていることしかできなかった。今の乱心した鷹宇治に反論して無傷でいられる保証がなかったからである。元々鷹宇治はしがない農民の足軽でしかなかった。それをたった一代にして三千石の領地を持つ大名へ成り上がってみせた傑物なのだ。何故、それほどまでに成り上がれたのか?それは単純明快であり。ただひとえに鷹宇治自身の腕が異常なまでに立つ。それだけのことである。かつて、尾張にてあらゆる地を害してきた薩摩の地より来た魔物、『不知火』をその身一つで部下すら使わず退治してみせたのだ。その偉業をたたえられ当時の織田家の当主に大名として取り入れられ、妖怪『不知火』の別名である龍灯の姓が与えられたのだ。しかし、それも昔の話。今の鷹宇治は酒におぼれ鍛錬の一つもしていない日々を10年以上を続けているのだ。それゆえか、あるいは今宵の酒が抜けておらず油断してしまったのか、もしくはその両方が原因であのような出来事が起きてしまったのだろう…………


  塀の北側にある門のかんぬきが抜ける音が聞こえてきた。その音に誘われて魁は布団から身を起こす。まだ寝ぼけている頭ながらもなにやらただ事ではないと感じることができた。今の今まで門の封が解かれ、開こうとしたことなど一度もなかったからである。少なくとも自分が生まれてからは一度も門が開けられた記憶はなかった。魁は寝間着のまま急いで屋敷の南側にある裏庭から塀の入り口へと向かおうとする。屋敷の正面扉にはさまざまな仕掛けが施されているからである。昔、六つか七つのころにお雪に黙って勝手に塀から出ようとして正面扉の仕掛けで大怪我をした記憶が鮮明にいまでも魁の中に残っているからである。しかしながら、魁は塀の入り口である門に向かうことはなかった。こちらの屋敷に入ってきた存在が裏庭に到着したからである。

「うむ、物音につられ来てみればやはりここに鬼がおったか」

その男は浅黄色の着物を着ていた。手には抜身の太刀が握られており、殺意の籠った刀身が十三夜月に照らされて鈍い光を放っている。そして、反対の手には英の背中が見えた。

「英!!」

魁の言葉が背中越しにはっきりと聞こえたのか英はびくっと体を震わせて俯いていた顔を魁の方へと向ける。

「か、魁!逃げてぇ!お父様に殺されてしまうわ!」

……?英は俺の姉になるらしい。つまり、この人は……

「えぇい!静かにしておれ英姫よ!お前はわしが鬼を退治するところを見ておればいいのだ!」

自分の父親と思われる男は英を片手でどちらの手の届かないところに投げ飛ばしてしまう。

「自分の娘だってのに少し扱いが乱暴じゃないですか??」

魁はすこしなかり腹が立った。必ずやこのダメ親を英から解放せねばと誓った。魁には父親と言う者がわからない。生まれた時からそんな存在はいなかったし、知らなかったからだ。けれども、家族というものにはとりわけ人一倍敏感であった。自分にはお雪と言う育て親しかいなかったがそれでも親子の情というものを誰よりも理解して育ってきた。少なくとも、この男よりは……

「黙れ!この鷹宇治、貴様なんぞ!息子だと思ったこともないわ!」

怒号のような罵倒を吐いた後に鷹宇治と名乗った男は自身に斬りかかってきた。これには流石の魁も困ってしまう。如何に自身が俊敏であろうと剣の腕に覚えのあるこの男の太刀筋は酔っ払いとは思えないほど早く正確な一太刀である。その初動をみながら魁は心の中で大見えを切っておいてこんなことを思っていた。

(あぁ、これ避けられない……死ぬ)

静かにただ無感情に客観的にそう感じられた。逃れようと思っても間に合わない。斬られて死ぬ。その事実を受け入れ魁は目をつぶった。そこで悲劇を起こった。


――ザッシュ!


乾いた肉を切る音が聞こえてきた。しかし、魁は驚きを覚えざる得なかった。なぜなら、一切痛みが走らないからだ。不信感を持ったまま目を空ければ……

「え、英!」

「なんと、姫!」

鷹宇治と魁の言葉はほぼ同時に重なった。なんと英が鷹宇治と魁の間に入り、魁を庇ったのだ。背中に大きな切り傷を受けて英は魁の方へと転がるように寄りかかって来る。

「英、何で……僕なんかを……」

「ごめんね、私先に死んじゃうみたい……」

やめてくれ!やめてくれ!こんなバカげたこと……魁は知りうる限りの神に英が助かるよう祈った。しかし、魁は理解してしまった。英の背中をさすった時についた赤い水や弱まっていく英の鼓動から死が歩み寄って来る感覚がした。その感覚を魁は知っていた。

「愛してる」

英は魁の頬に触れながらただひとことそれだけを伝えてこと切れてしまう。

「馬鹿な娘よ、鬼を庇って死ぬとは……案ずるな貴様も同じ地獄に行ける」

魁は動かなかった。ずっと泣いていたのだが、いまはなみだが乾いていた。代わりに心の奥に別の何かが宿ったのを魁は感じた。魁は英の簪を髪から抜いた。

「おい、あんた娘を斬ったこと何とも思ってないのかよ」

まるで知り合いにあったときのように静かに問いかけた。

「……ない。この馬鹿が勝手にしでかしたことよ。貴様と英姫に罪があれども――」

「そうか、じゃあ死ねよ。ハゲタカやろう」

鷹宇治が最後まで言い切ることは無かった。魁が一瞬の踏み込みで鷹宇治の開いている口の中の舌に鼈甲の簪で刺したからである。子供でなおかつ気持ちよくしゃべっていた隙を付かれて攻撃された鷹宇治であったが、不幸はまだ続く。魁はそこから簪を握った手を火事場の馬鹿力であらん限り引っ張って鷹宇治の舌をひっこぬいてしまう。そこから、腰に差していた脇差を抜いてニ、三度脇を刺されてしまった。運悪くその中の一撃は肋骨の隙間を貫通して臓物を破壊してしまう。鷹宇治は悪あがきで太刀を振るうが間合いは完全に魁が制していた。そして、鷹宇治はその生涯の幕を閉じてしまう。


 殺してしまった。目をしばたき、自分がしたことをしてしまったことにショックを受けて一歩下がってしまう。吐き気でさらに数歩下がって喉の奥からこみあげる者を解放した。

「う”け”ぇ”ぇ”ぇ”」

胃液で気持ち悪くなりながら魁は冷や汗が止まらなかった。いつまでそうしていただろう?やがて、正面の門から人がぞろぞろと集まってきた。

「上様!こやつぅ!者ども!出会え出会え!」

魁は入ってきた誰かを見ながら、半狂乱になるのを必死で抑えていた。自分がどこに立っているのかもわからないながらもおって来る男どもから逃げて塀を越えて裏山の方へと逃げてしまった。空では雷がゴロゴロとうなりを上げていた。


 逃げるうちにだんだん魁は落ち着きを取り戻していった。しかし、そのころには豪雨が降っていた。体が雨でびしょびしょになってしまい、骨の髄まで冷えるようであった。もし、雨が強くならなければ山を下りどこか別の土地へと逃げ延びたかもしれない。もしかすれば、そこで結婚をして、子宝に恵まれて、そこそこの人生を送れたかもしれない。だが、彼の中に宿る者はそれを許しはしなかった。道中、大きな木の下で休もうかとも思ったしかし、雷が木に直撃するという話を思い出してやめた。しぶしぶ、どこか休める場所を探すことにした。ぬかるんだ道を歩いているうちに寂れた神社を見つけることが出来た。鳥居も狛犬もなく、森の中にとつぜんぽつんと本殿だけがある不思議な神社である。しぶしぶその本殿で雨宿りをすることとなった。本殿の中は外と変わらないほどに冷たかった。しかし、雨風を凌げるだけましであると思うことにした。床に転がって丸まりながら、何でこんなことになってしまったのだろうと思っていた。だが、考えてもどうしようもないので減っている腹をどうにかしようと目の前にいた蜘蛛を捕まえて口に含む。虫特有の苦みが口いっぱいに広がったが無理矢理食道に通した。

「お主の故郷では虫がごちそうなのか?」

背後から声をかけられて恐る恐る振り向く。そこには白髪交じりで見たことのないつばがひろくて筒上の帽子を被った白い肌の男性が立っていた。

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