第6話

 リリアナが王太子と順調に交流を続けてしばらく。


 本日もハノーバー邸で茶会が開かれることになっていた。リリアナは朝も早くから、準備の差配をしていた。


「お嬢様…」


家令ネイルがやって来たので、少し早いが誰かが到着したのだろうと思った。だがいつも朗らかな彼の顔色は悪い。


「どうしたの。どなたかお客様がお着きなの?」

「そ、それが、テイラー侯爵がお見えでして…」

「何ですって…」


もちろん今日の茶会には招待していない。そばでガーディと戯れていた弟ヘンドリックがあからさまに顔をしかめた。


「そうね、今日はお帰りいただきま…」

「リリアナ!いるんだろう!」


家令にそう指示する前に、元婚約者が現れた。勝手に入ってきたらしい。


「この僕を待たせるとはいい身分だな、リリアナ」

「…御機嫌よう、テイラー侯爵閣下。他人の邸に家人の許可なく入っておいでとは、さすが身分の高い方は礼儀がなっていらっしゃるわね」

「何だと!リリアナ、お前は相変わらず可愛げがないな!」

「…婚約者でもないのに姉様の名前を気安く呼ぶなよ、得体の知れない女にコロッといった愚か者のくせに」

「えっ」

「はぁ!?」


ヘンドリックが可愛い眉間にしわを寄せてガイアスを威嚇している。


(ヘンディったら、どこでそんなガラの悪い言葉を覚えたのかしら…そのお顔、ちいか○が怒っているみたいで可愛いけれど、マナー違反です)

「お前、いつの間にそんな生意気な口利くようになったんだ!このガキ!」

「王太子殿下が仰っていたんだ。あんな女たちになびくなんて分別のない証拠だって!」


ガイアスはドスドスとヘンドリックの方へ向かっていく。ヘンドリックの方も一歩も退く気がないようだ。


「ちょっと、弟に乱暴したら許さないわよ!」

「うるさい!だいたいお前のような小賢しい女が殿下に似合うはずがない、別れろ!」

「はぁ?あなたには関係ないでしょ!」

「あるっ、お前のせいで殿下がアニア姫と婚姻を結ばないんだろう?おかげでエイミンが姫様にお叱りを受けたんだ!」

「…はぁ?つまりあなたが私との婚約を反故にしたせいで、私が殿下とお付き合いしてるから、アニア王女が殿下と結婚できない、ってこと?」

「そうだ!」

「いやそれ、あなたのせいじゃん」

「黙れ!仕方がないからこの僕がお前を嫁にもらってやる」

「…何ですって?エイミンさんはどうするの?」

「もちろん僕が愛するのはエイミンだけだ。だけどエイミンがどうしてもアニア王女殿下のために身を引きたいっていうから…」

「…やっぱり愚か者だね、姉様…」

「そうね、でもここまでバカだったかしら?」


十一才の弟にまで蔑まれているガイアスだが、両親が生きていた頃には普通に分別があったように思う。


「何だと?殿下だって可憐なアニア王女と結婚した方が幸せに決まっている!だからお前みたいな女でも僕がもらってやると言っているんだ。喜べ、一応お前が正妻だ!」


どうやってこの話の通じない相手を追い返そうかと頭を痛めていると、ネイルが客人たちをつれて入って来た。


「聞き捨てならないね」

「お、王太子殿下!」


さすがのガイアスも慌てて礼を取る。


「誰が誰を娶るって…?君ごときに他人の幸せを語ってほしくはないが」


そう言いながら王太子はリリアナの傍へ寄り、肩に腕を回した。


「どういう状況?リリー…」


その名を呼ぶ声も吐息も甘い。リリアナも瞳を合わすと微笑んだ。


「マリオン…ごめんなさい、テイラー侯爵はお呼びしていないのだけど…」

「そうだね、今日は私たちの貴重な逢瀬の時間だものね。無粋な客はお帰り願おうか」

「い、いえ、殿下、どうか、お…話…を…」


ガイアスは王太子の凍てつく微笑みから逃れようと視線をさまよわせた。だがそこには虫けらを見るような目をした、もう一人の貴公子が立っていた。


「セ、セイルズ公爵子息…」

「…」


黒い髪の美貌の男は何も言わない。その無言の圧に気おされるようにガイアスはじりじりと扉の方へいざった。


「ほ、本日は失礼いたします!」


 帰っていく元婚約者を、家令はもちろんメイドすら見送ろうとはしない。みんなテキパキとお茶の用意を始めた。


「申し訳ありませんでした。セイルズ卿もマルカも、来てくださってありがとうございます」

「いや…」

「いいのよ、でもなんかあのヒト、前より面白いことになってない?」


 マルカの無口な婚約者は、ルーベン・セイルズ次期公爵だ。数学者という顔も持っていて、あまり社交の場にはでてこない。


 マルカへのプロポーズの言葉が『あなたのような完璧な黄金比の顔を持っている人は初めて見ました。結婚して下さい』だったそうだ。それに対するマルカの答えはノー。


『そうしたらね、目の前でぽろぽろ泣くのよ!なんか可哀想になっちゃって…まあ、顔も家柄もいいからいっかー、って、アハハ』


そうは言っても二人の仲はいい。


 今日はマルカとのお茶会だったのだが、マリオナークが来たがったので、それならぜひマルカの婚約者も、と招待したのだ。引きこもりがちだから来てくれるかは不安だったが、マルカが頼んだら快く了承してくれたそうだ。


 お茶が入ったのでそれぞれ席についてもらう。ヘンドリックは暇を告げ、ガーディは王太子の足元に寝そべっている。


「で、何しにいらしたの、あのヒト」

「あー…」


仕方がないのでかいつまんで内容を話して聞かせた。


 王太子が眉をひそめる。


「何という愚かな…テイラー家も先が見えるな」

(また愚かって言われてるわ)

「しかし、そこまで愚昧ぐまいなことをあっさりと信じるものでしょうか」


ルーベンが心底不思議そうに口にした。


「猫娘の言いなりなのね。前はもっと、自信のなさそうな地味目の感じの方だったけど、随分攻撃的になっていましたわ」

「ああ、彼女らに堕ちた者は一様に盲信状態のようになることが多いと聞く…個人的にはあの甘ったるい匂いが怪しいと思う」

「以前も仰っていましたね」


リリアナにはわからなかったが、王太子は鼻がいいのかもしれない。


「そういえばルーベン、あなたもあちらの女性に言い寄られていましたわね?やっぱりお気付きになって?」

「いや、それは気付かなかったが…彼女らは気持ちが悪い」


ルーベンの直接的な言い様に茶の席が少し緊張する。しかしマルカは婚約者のことをよくわかっていた。


「もう、あなたったらいつも言葉が足りないんだから。どんなふうに気持ちが悪いの?」

「あ、いや、すまない。彼女たちはそっくりなんだ」

「そうか?」


確かに愛らしくて可憐な雰囲気は似ているが、リリアナの見る限りアニア王女とエイミンの顔は別人に見えた。王太子も疑問に思ったようだ。


「ああ。目や口などの顔のパーツの配置、手足の長さなど体の均衡、それらが一様に同じなんだ。親兄弟だってあそこまで似るだろうか、というくらいにね」

「はは、ルーベンらしい観点だな。さすが数学者ってとこか」


マリオナークとルーベンは同士ということで、気さくな関係だ。


「甘い匂いと同じ体型…」

「ん、どうしたんだい、リリー」

「いえ、あの、マルカ。以前幽霊が出るっていう話をしていたじゃない?女のすすり泣きが聞こえるとかって…あれってどこのことかわかる?」

「ええ?どうしたの、あなたそういう話嫌いじゃなかった?…ええとね、確か三番街のうちの倉庫があるとこよ」

「三番街の…あそこは倉庫街よね」

「そうなの、うちの商会の荷運び人がね、偶々たまたま夜遅くに通りかかったら甲高い女の泣き声が聞こえてきたと言うの」

「近所にはどんな方の倉庫があるのかしら?」

「うーん、私はあまり詳しくはないのだけど、有名どころだとマティアス商会とかジャス伯爵のお店、それから、あ!ドートレル侯爵の商会もあったわ!」

「ドートレル侯爵…三人目も女児…」


 リリアナには前世の記憶がある。自分の人生や家族のことなど肝心なことは覚えていないが、時々どうでもいいようなことを思い出すことがある。


「リリー、一体どうしたんだい?」

「マリオン、荒唐無稽なお話を聞いてくださいますか」

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